へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

穢れ-富士宮の特殊事情

「Wikipedia 穢れ」 より抜粋

仏教、神道における観念の一つで、清浄ではない汚れて悪しき状態のことである。

精神的・観念的な汚れのこと。





「祭吉の山車祭り講座 第6回女人禁制」 より抜粋


古くは女性は穢れ(けがれ)ているとされ、清浄を重んじる神社の神事には遠ざけられてきました。

しかし本来、神道(神社の宗教)の考え方では女性だけを穢れとしたわけではありません。
穢れとは気枯れで、健康な状態を元気と言うように、本来あるべき気が枯れてしまった状態が穢れ(気枯れ)なわけです。







= 富士宮秋まつり 11月3-5日 すれ違う山車 =



つまり、穢れとは気が枯れること。



いわゆる血の穢れを嫌うという理由で、女人禁制などを守り伝えているなら、男子といえども怪我や病気による出血などがあれば当然排除されるべきだと思います。でも、男尊女卑思想からの女人禁制の場合には男性に都合よくルールが作られている可能性はありますね。



病気や身内の不幸なども「気枯れ」ですから、「ハレ」の祭りにはふさわしくないと言えます。



富士宮市では宗派にもよりますが、四十九日を葬儀当日に行うことが多いです。

そこには、古くからの浅間大社門前町としての特殊性があるのではないかと言う話を、葬儀社の方にお聞きしました。

服喪中には神社への出入りもひかえなければならず、それが長期にわたれば商売にも差し支える。そこで葬儀当日に四十九日の法要を行うことで、忌み明けとしたのではないかということでした。



その説で言えば、家人の不幸を理由に祭りに出るも出ないも、要は当人の気持ち次第ということになりますね。



日常とは違う特別な日が祝祭なのですから、悲しみを引きずり「ハレ」の日に水を差すような「気枯れた」精神状態だったらやはり出るべきではないでしょう。



故人が祭りを好きだったから出ることが供養だと言う方も居ます。

それなら、「気枯れ」を見せずに率先して祭りの場を盛り上げるのが良いのではないでしょうか。



参考リンク

ふじのみや美図


尾張の山車祭り

富士宮囃子と秋祭り




祭りの準備



いよいよ他区との打ち合わせが始まりました。

囃子は今までは室内で練習していたけれど、昨夜太鼓を山車に設置して会合のスペースを確保したところです。

とはいえ、9時までは囃子の音で会議にならないので、来訪は9時過ぎにお願いしています。



子供達の囃子の稽古は区民館の小部屋で行いますが、鍵をあずかっていることもあり7時前には区民館を開けに出かけます。

9時までは囃子の面倒を見て、その後諸事雑多の打ち合わせ。

気がつけば午前0時を過ぎている事が多いです。

帰ってパソコンをいじっていると寝るのは1時か2時。

自営とはいえ朝ものんびり寝ているわけにもいかず、一番つらいのは夕方の4時から5時頃です。



疲れも溜まってきたようで背中や腰が重く、ちょっと不安がありますが、今週で子供の囃子が終わるので、来週からはちょっとだけ楽になりそう。



疲れも今がピークであればいいのですが・・・。



祭りと事故

ニュースでは秋まつりでの事故多発を報じています。



私の町内の祭りでも、起こって初めて危険のありかをを知ると言うことを、過去2度の転落事故で痛感しています。



最初の落下は競り合いに太鼓の枠に乗り、激しく競っていた鉦叩きがバランスを崩して宙吊りとなり、落とした鉦となぎ払った提灯の竿で下にいた町内の人間が負傷した物でした。

あまりの行儀の悪さに罰が当たった物と、以後は鉦も行儀よく出しゃばらないようになりました。





今では太鼓の後の柱に帯を結び、行儀よく大きな動作で囃します。





一昨年の祭りでした。

競り合いが終わり、山車が分かれた時に人だかりが見えました。

事故だと直感し駆けつけると、向こう側の鉦叩きが落下していました。

体を預けていた帯が切れ、2メートル近い高さから、路上に背中から落下したものです。

命にも関わる高さですが、幸い意識ははっきりしていて救急車で病院に運ばれましたが、しばらくして帰ってきました。腰と肩に打撲は負ったものの、鉦の紐で負った中指の切り傷を2針縫っただけで済んだとのこと。

帯の傷みに気付き、危険だからと外していたものを当人が引っ張り出して使用したものでした。気付いた段階で廃棄しておくべきでした。

一つ間違えば人命に関わる事故です。人命を失うようなことがあれば祭りは実施できなくなります。

浅間大社正面での競り合いで起きたことと、奇跡的な怪我の軽さから、神様からの大いなる警鐘と捉えて安全を最優先することを心しました。



10月7日の半田の山車まつりに祭り仲間が見学に行き、隣り合わせたご老人に話を聞いてきました。

若い時に祭りに出ていて山車の前で転び、片足を山車の車輪に轢かれ失ったそうです。でも好きな祭りからは離れられず笛を吹いてきましたが、老いてそれも出来なくなりました。

好きな祭りで事故にあったのだからしかたないとは言いながら、寂しさは隠せなかったといいます。



マスコミは勇壮さばかりをもてはやすけれど、本当に大事なことは事故無く確実に祭りと伝統を伝えて行くこと。

それが地味なようでも一番大切なことではないでしょうか。



参考リンク

湧玉宮本の祭り

ふじのみや美図

富士山 - 祭りの頃

ようやく初冠雪のニュースが聞かれる頃になりました。

富士山は雪があってもなくても素晴らしい山ですが、やっぱり雪があったほうが素敵です。





= 白尾山から見た富士山 平成19年2月15日=



富士宮市は富士山の西南麓で富士山の8合目以上を所有する富士山本宮浅間大社の門前町として発展した町です。画面下部に大鳥居が見られますね。





満月の月明かりの富士山と富士宮市街です。

昼も夜も、その懐でいつも慈母のような富士山に見守られていると感じています。



11月3日から5日まで行われる秋まつりの頃は、雪もまだ積もったり溶けたりですが、運がよければ山頂に雪をいただいた富士山が見られます。





浅間大社大鳥居前での囃子奉納。

鳥居の向こうに見えるのは雪のない富士山。





富士山に向かって登山道を曳く。





共同催事の勢揃い。

天気さえ良ければ山車の並ぶ背景に富士山が顔を見せます。



関連サイト

ふじのみや美図 富士宮市の美しい光景を豊富な写真で紹介



湧玉宮本の祭り 弱小区ですが、祭りを守り続けています。



富士山本宮浅間大社 浅間大社公式サイトです。

「祭り」この大きな生き物

葛飾北斎描くところの「北斎漫画」に次のような絵があります。





たぶん「群盲象を撫ず」または「群盲象を評す」という諺を絵にした物なのでしょう。

直に手に触れ確かめた物でも、あまりに大きな物の全体像はつかめない。

それぞれに語られる物は間違いではないけれど、一部であって全部ではない。

多分そんなこと。



祭りにどっぷり浸かっていればいるほど、全体像が見えていないものかも知れません。

自信満々に語られる話に、首をかしげることもけっこう多い物です。





長年慣れ親しんだ部署を離れ、まったく違う部署から見た祭りの新鮮だったこと。





嬉々として踊る子供達に気づき、新鮮な思いで祭りに向き合えたこと。



山車と離れて走り回る交渉や給与、会所で食事の支度をするご婦人方。

経験ばかり長くてもまだまだ知らない部署があります。



「祭り」という大きな生き物を知り、御するために、少し離れて見ることも必要かも知れません。



関連サイト

湧玉宮本の祭り

ふじのみや美図




祝い

囃子仲間の結婚披露宴にサプライズで囃子を披露したいとのことで、急遽本日出演の運びとなりました。





会場は市街南部のショッピングセンターに隣接する、新しい真っ白な結婚式場です。なんでも以前の例でガラスにヒビが入ったとかガラスが響いたとかいうことでしたので、披露の場所は披露宴会場ではなく、隣の中庭。

太鼓をセットして一回りしてみたところ、平らな地面に四角く穴があいたようなプールが真ん中にあり、ちょっぴり不安を感じていました。



内緒で準備を進めていたにもかかわらず、新郎がトイレに行く際にばっちり見られてしまい、驚かすつもりがちょっぴり拍子抜けしてしまいました。

でも、披露が始まっても新郎がなかなか出てきません。

どうやら感激のあまり物陰で涙をぬぐっていたようです。

メンバーが途中で新郎に太鼓を譲り、一回し囃子を演奏しました。

練習もできなかったのに、囃子のできは上々でした。

参列者の皆さんも新郎の意外な一面に驚いたに違い有りません。



でも、ハプニングがありました。

太鼓に気をとられてプールに落ちた人がいたのです。

「やっぱり・・・」と思いながら笛を吹いていましたが、息が乱れないように平静を保つのにずいぶん苦労しました。



新婚の奥さんには悪いけれど、また祭りと準備には世話になりますので、よろしくお願いしますね。



関連サイト

ふじのみや美図

祭りの思い出

子供の頃の祭りの思い出と言ったら、それは浅間大社境内を埋め尽くすたくさんの露店です。

秋まつりの屋台の引き回しにも1度だけ参加したことがありましたが、子供は太鼓に触れることも出来ず、屋台を曳いて踊りを踊るだけでしたので、とても楽しみにはなりませんでした。昭和30年代半ばといえば、丁度祭りの低迷が始まった頃でしたから、よけい印象に残らなかったのかも知れません。



小学校の行き帰りは露店のびっしり建ち並ぶ浅間大社境内を通ります。

と言うより家の向かいにまで鯛焼き屋が出ていましたので、祭りの中に住んでいるような物。

露店をひやかして境内を歩き回るのが何よりの楽しみでした。







成人してからの祭りの楽しみはお囃子で、屋台に乗って囃すことはそれは楽しい物でした。

幾多の危機を乗り越えて今まで祭りに関わってこられたのも、お囃子に出会ったからに他なりません。

楽しみを祭りの中に見つける人、作り出す人、そう言った人が居る限り、祭りは続いていくのでしょう。



過去、人出が確保できずに休止されたことが何度もありました。

それは仕方ないことなのでしょうが、実施する形にこだわりさえしなければ何かできたのではと思います。



易教の解説の中にこんな言葉があります。

「隣の大国ではお祭りに牛を供えるが、この小国の粗末だけれど心のこもった祭りにはとうていかなわない。」



突きつめるならば、どんなに粗末でも、たった一人になっても心のこもった祭りはできるんだという事。



祭りを心待ちにする子供が居るなら、どんなにささやかでもその子供のために祭りを続けていきたいと思っています。

火難

約1000万円をかけてきらびやかな装飾品を新調したばかりの祭り屋台が燃えてしまったといいます。

祭りをほんの3日後にひかえてのことですから、関係各位の落胆はいかばかりでしょうか。



私の住む富士宮市でもかつて山車を焼失したと言う事例はいくつかありました。



=大宮町大火 昭和7年4月=



町の中心を流れる神田川以東の1200戸が焼失した昭和7年の大宮町大火では、大和が山車を失い、昭和12年には湧玉神立の山車が火災で焼失しています。

富士宮の町と祭りの歴史より



2年後の復興祭には大和も祭りを実施しており、湧玉神立は昭和15年には隣接の湧玉立と合同で、紀元2600年祭に祭りを行っています。

隣接区が手をさしのべた物でしょうか。



山車・だんじり悉皆調査の岩根さんは個人で所有している子供だんじりを、火災で焼失した町内に貸してあげたという方です。



サイトを訪問してみましたら、ブログに三木市の火災の件も載っていました。



日もないことですから、手だても間に合わないかも知れませんが、

同じ祭りの仲間としてこれからの近隣のご協力をお願いしたいと思います。



関連サイト

富士宮囃子と秋祭り
 富士宮囃子保存会公式サイト

富士宮秋まつりのリーフレット

富士山を間近に仰ぐ山車祭りで、富士宮市で11月3日から5日にかけて行われ、勇壮な競り合いでも知られる富士宮秋まつりの、平成19年のリーフレットが出来ました。



今年は市制施行65周年になりますので、現在それを記念して冊子も編集中で、私も微力ながら協力させていただいています。







JR東海、JR身延線の一部の駅に置かれますが、入手できなかった方は下記リンクよりファイルをダウンロードして下さい。

◎PDFファイル

写真は解像度が低いのであまり期待しないで下さい。

地図や説明を拡大表示させて読むのに向きます。

表 地図案内など

中面 広告と山車の写真 


◎JPEGファイル

ファイルサイズが大きいので重いかも知れませんが、

写真を見るのに向きます。

表 地図案内など

中面 広告と山車の写真 




関連サイト


富士宮囃子と秋祭り 富士宮囃子保存会の公式サイト


ふじのみや美図 富士宮の見所を高精細な写真で紹介しています


祭りのあと

吉田拓郎の歌は青春時代にリアルタイムで聴いていました。

中でも「祭りのあと」は好きな歌です。







そこに歌われる祭りが終わった後の寂しさや切なさが、1か月丸々準備にかかり切っていた頃でしたから切々と胸にしみました。



2003年に肺がんの手術を無事成功させたとはいえ、テレビで見たたくろうはコンサートでは相変わらず熱唱していて、無理がなければいいがと内心心配していました。

今回もぜんそく性気管支炎で8公演を延期したとのことですので、ツアーが再開されたとは言え、気に掛かります。



今でこそ私も少し離れて祭りに参加できますが、昔その準備の多くを担っていた頃、疲れからよく風邪を引き、その後は体調が元に戻るまで咳が3か月も抜けない事がざらにありました。

気管支の弱い体質で笛吹きを志すのは無理な話でしょうか。



でも憧れは捨てきれず、咳をしながら練習しました。

手ほどきを受けていた先輩は居なくなってしまい、恐る恐る門を叩いた笛の名手が練習に呼んでくれた時には中学生の囃子方の世話などで断念。

録音テープと8ミリ映画から落としたVHSビデオで独習せざるを得ませんでした。

あちこち回り道をしたために、笛がなんとか物になったのは5-6年ほど後の事。



また間に合わなかったとため息をつきながら、この歌「祭りのあと」を聴いていました。



拓郎頑張れ!

でも無理するな。まだまだ歌い続けて欲しいから。

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