へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
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前唄の報告

11月4日、中日の引き回しは好天の下、順調に行われました。





共同催事の勢揃い位置についた我が湧玉宮本の山車。

この時間だと日射しは夕陽の色だ。





神田川沿いの勢揃いはこの位置に5-6基の山車が欲しい。

もっと富士山側から詰めて並べばいいのだが、改善を願いたいものだ。





本部舞台から神社側を望む。

中腹に雲はあるものの、富士山も雪をいただいてくっきり姿を見せてくれました。





舞台から式典会場を覗いたところ。

この時持参した篠笛2本のうち1本が腹掛けから落下したが、下に居た方が拾ってとどけて下さった。本当にありがとうございました。





通りに並ぶ山車。

この通りには16基の山車屋台が並んでいるけれど、全景は1枚の写真には収められない。



さて、肝心の前唄の報告をしよう。 

あがり性と言うこともあり、ただ待っているのではつらい。 

高い舞台にいるので、あちこち写真を撮って気を紛らせていた。 

いよいよ一斉囃子が始まるという時に、サイレンを鳴らして救急車が神田橋際に着き、ストレッチャーが宮町交番に運ばれた。

どうやら病人が居る模様だ。 

ここで一斉囃子を初めては救急の無線連絡に支障が出るからと、しばし待機。 

救急車の退出を確認していよいよ出番となる。 



青年協会長から急に振られてあがる間もなく、前回のようなフライングもなく無事に前唄を終えて本部をあとに地元の山車に合流した。 



昨年の合成写真のような青空まではさすがに欲張りすぎですが、 

ほどほどの雲と富士山で、なかなか今年は天候に恵まれました。

前唄

11月3日から秋祭りが始まる。

富士山本宮浅間大社秋季例祭に、20の氏子町内が祭り囃子も賑やかに山車屋台を引き回す。

中日の11月4日夕刻には浅間大社周辺に20町内の山車屋台が集結し、一斉に囃子を奏した後、辻々で競り合いや踊りを繰り広げる。





写真は一斉囃子で大社本殿に向けて囃子を奏する湧玉宮本の山車だ。





一斉に囃される囃子は「にくずし」から「屋台」に繋げるが、祭典本部舞台で発する開始合図前に笛が「前唄」をソロで奏するのが恒例となっている。

最近は秋まつり青年協議会会長を出している区から、前唄を奏する笛吹きを出すことになっているようだ。

そんなことで、今年の前唄は私が奏することになった。



今回が2度目なので、若手にまかせようと思ったのだが拒否されてしまい、再度の登板となる。





前回の前唄登板時に舞台から開会の式典を撮ったものだ。

時間帯が昨年とは2時間ずれ、元に戻っているので、今年もこんな感じだろうか。



この時には目の前の山車がフライングをした。

前唄の途中で会長の「始め!」の合図も待たずに囃子を始めたのだ。

競り合いには醜態は見せられないからと熟練メンバーを充てるものだが、一斉囃子は経験の浅い者でもかまわないという意識でもあるのだろうか。



今回はそのリベンジでもある。

フライングをさせない笛を吹かなければならない。



勝負は11月4日午後4時だ。





関連サイト

富士宮囃子と秋祭り

ふじのみや美図

65周年富士宮秋まつり記念誌

富士宮市が誕生して今年で65年目ということで、今年は秋まつりが5年に一度の大祭りになり、また65周年を記念して秋まつりの小冊子が発行された。

私も写真や解説などで編集に参加したので、出来たての冊子をさっそく届けていただいた。



こちらに紹介する。



表紙






解説ページには拙文と写真データなどを提供した。





各祭り組紹介ページの袢纏や提灯を撮影。





以下に担当者からの一言を転載する。



青年協議会で広報担当をしています城山のhirovohです。わーい(嬉しい顔) 

10月31日ついに「市制施行65周年記念誌」が発行されますよ富士山 

購入希望の方は、各区青年協の役員さん又は市役所商工観光課に問い合わせて下さい。定価\300(安いexclamation & question)。秋まつりの決定版をexclamation ×2皆さんGETしましょう。







※販売の担当はどうも観光協会のようです。

お問い合わせはこちらまでお願いします。



富士宮市観光協会

〒418-0065 静岡県富士宮市中央町16-1   

TEL 0544-27-5240 , FAX 0544-26-0066 

 MAIL: kankou@fujinomiya.gr.jp

宿題

大宮小の3年生が祭りの話を聞きに来るというので、事前に質問内容をいただき、昨夜遅くまでかかって返事を整理しておいた。



以前の傾向から言うと、小学生の興味を抱く対象が私の知りたい事とまったく違って返答のしようがない場合も多く、おたがいにとんちんかんな受け答えになることが多かったからだ。



ある事柄を掘り下げて事細かに説明しても、希望される答はほんの一言でよかったとか、疲れることも多い。



以下は質問(○印)と用意した返事。





○太鼓の叩き方、太鼓の種類やその他の楽器(区によって違うと言うことも含めて)

祭り囃子(山車囃子)の基本形

長胴太鼓(おおど、おおどん)、附締太鼓(きんど、きんどん)x2、

摺鉦(すりがね)、篠笛(しのぶえ)の5人編成が基本だが、

摺鉦と笛は賑わいを増すために増員されることがある。

屋台囃子では三味線、鼓等が入る。



○太鼓の曲は何曲あるか

山車囃子 

にくずし=引き回し時の行進曲と言われる。

屋台=競り合い時に囃される。

屋台囃子 屋台での舞踊に対する伴奏。あるいは三味線や鼓が入った囃子。

昇殿、四丁目

道囃子 - 歩行時のお囃子の総称

篭丸(かごまる)=篭毬(かごまり)

これを道囃子と呼んだり宮参りと呼ぶことが多い。

地域によって呼び名が違うことが多い

宮参り、通り囃子、かぞえ唄、子守唄、石田



その区独自の囃子

咲花-東八景、神立-三くずし・にくずしくずし、神賀-四丁目、神田-竹雀(たけす)

常磐-石田、高嶺・貴船-竹雀・かぞえ唄・子守唄・さんくずし、



○なぜお囃子をするか

山車や鉾などの行進曲と言われ、引き回しの際には必ず囃子が奏される。

囃子は祭りの場の華やぎを盛り上げる裏方で、それ自体が主役の創作太鼓とは違う。





○お祭りに出る山車は何台あるか

山車は16台  琴平、咲花、木の花、松山、二の宮、神立、神田、常磐

城山、大中里、浅間、瑞穂、宮本、大和、福地、羽衣

屋台は4台   貴船、高嶺、阿幸地、神賀

休止中屋台1台 日の出



○山車はどれぐらいの重さか。(高さはどれぐらいか)

        幅   長さ   高さ     重さ

大和区   2.7   3.5   4.5-7.15   3t

木の花区  2.34  3.54   6.25-8

大中里区  2.7   4.3   5.0     4.6t



○山車はどうやって動かすか。(どんな仕掛けがあるか)

(何人ぐらいで曳くのかも含めて)

・引き回しは綱をつけて曳く。山車周りについて押す。

曳く人員は区によりさまざま。宮本の場合は70-80人。

・迫り上げはウインチ(手動・電動)油圧機器などを使用。

・近年操舵装置(かじとりの機械)を使うことも多い。

・大きく方向を変える時に茶玉(ちゃんちき)を使うところもある。 



○山車にはどんな人形が乗っているか。

琴平(天狗) 咲花(神武天皇) 木の花連(木花之佐久夜毘売命)

松山(日本武尊) 二の宮(屋形-将来からくり予定) 神立(加藤清正)

神田(猿田彦命) 常磐(素戔嗚尊) 城山(坂上田村麿) 大中里(牛若丸)

浅間(屋形) 瑞穂(米俵) 宮本(諫鼓鶏) 大和(源頼朝) 福地(鍾馗)

羽衣(天女)



○山車は、どんな木の種類で作られているか。

土台には欅(けやき)材が使われることが多い。

総欅 木の花、神田、浅間





○踊りは、何のために踊るのか。

楽しむため。



○踊りの曲は、何曲あるか。(一番踊る踊りは )

・共同踊り三曲 富士宮音頭、富士大宮音頭、富士宮秋祭り唄

それぞれの区で自由に選曲。宮本の場合レパートリーは10曲以上ある。

楽しむために選曲や振り付けに凝るところもある。





○競り合いはなぜやるか。

昔道幅が狭かった頃、すれ違うことの出来ない道で山車が鉢合わせした時に

囃子で競り合い、敗れた方が道を譲り、勝った方が昇殿を叩いて山車を進めた。

この競り合いをめぐって争いになることが多く、そのため長期にわたり自粛された。

現在は秋まつりの呼び物として行われるので、時間を決めて終了し勝敗はつけない。



○競り合いは、どんなルールでやるのか。

事前の打ち合わせで手順を決め、時間を決めて終了し勝敗をつけない。

和議を行い、争いを次に持ち越さない。







以上が宿題とそれに対する返事だ。



突き詰めれば「楽しむために行うのが祭り」であって、

お互いに相手を尊重し敬うなら、もめ事など起こらないもの。

誰にとっても楽しい祭りなら、無くなることはない。



亡くなった私の師匠は常々こう言っていた。

「祭りの極意はなんとなく然るべくよろしく」

だと。



関連リンク

富士宮囃子と秋祭り

ふじのみや美図


屋台暴走す!-見えぬ危険

昭和54年の富士宮秋まつりはかつて無いさびしい祭りだった。

ある事件から露天商が出店を自粛すると言うことになり、

いつもなら境内を埋め尽くすはずの多くの露店が、境内から消えたのだ。



この写真もただの記念写真に見えるかも知れないが、じつはかなりの無茶をしている。





通常なら露店が建ち並ぶ浅間大社境内の楼門前になど、屋台を引き入れることは出来ない。

露店が一つもないということから急遽浅間大社の許可を得て引き入れることが決まった。





この西門の鳥居をくぐり、石段を下りなければ境内の馬場には入れない。

屋台の後に綱をつけ、前の梃子方がブレーキをかけながら下ろすことになった。

暴走や落下、転倒を恐れるあまり、後の綱を必死に引っ張るのでなかなか進めず、

どうにか馬場に下りたのは20分ぐらいも経っていただろうか。

何とか事故無く、境内馬場に下り立つことが出来た。



そして楼門前正面参道脇に屋台をつけて、冒頭の記念写真を撮影したものだ。



問題はこの後である。



正面参道を通り大鳥居までくぐると言うことで、屋台を参道に進めた。





ひょうたん池の太鼓橋は傾斜もそんなにはきつくなく、この程度ならと多寡をくくっていたのだろうか。

橋の中央を通り過ぎた時、屋台が暴走した。

屋台の中で鉦を叩いていた私は、すんでのところで前方に放り出されるところだったが梁に頭をぶつけ、きんど(締太鼓)打ちの背中の上に落ちた。

屋台は石段を3段落ちてやっと止まった。



こんなものだろうか。

目に見える明らかな危険には誰しも慎重に対応するが、

うっかり見落としたもので痛い目を見る。



この事故の結果、私は幸い頭にこぶを作ったくらいですんだ。

私の持っていた鉦がきんど打ちに当たり、彼も頭にこぶを作った。

屋台はあちこちゆるんだだろうが特に支障はなく、

この後も何事もなかったかのように引き回された。

2-3段くらいの石段は何カ所かあったが、慎重にクリアー。







仕上げはこの大鳥居をくぐり、通り端まで行ってUターン。

鳥居向こうの灯籠の手前を左に抜け自町に帰った。



石段とは言え車輪が当たったので、大鳥居下の御影石の角が少し欠けていた。

後日通りかかったら、かけらが落ち居ていたので拾ってお守りに今でも大事に持っている。



一昨年の鉦叩き落下事故といい、この暴走といい、一つ間違えば人命に関わる事故だ。奇跡的に軽く済んだのは幸運だったが、やっぱり浅間大社正面と言うこともあり、浅間様が守って下さったのかとも思う。



こういった経験を積むことで無茶や危険なことは避けるようになるものだが、起きて初めて気付く危険の種は、じつにあらゆる所にあるものだ。

うるさがられても警鐘を鳴らすのが私の務めだと思う。



今年の祭りが、事故無く無事に終わるよう祈ります。



参考リンク

湧玉宮本の祭り

ふじのみや美図

台風の翌朝

昨夜の台風は富士山に雪を降らせました。

大気も澄み、絶好の撮影日和。





富士宮市中央図書館から見た富士山。

空気がこんなに澄むのは台風一過だからこそ。

山肌の黄葉までがくっきりと見えました。





ここが祭りの会所になる区民館。

右にあるのが山車蔵だ。

この後10時から会所の門と宣伝提灯の掲示枠などを設置した。



富士山の黄葉もこんな日に撮れたら最高なのにな。

台風一過月明かりの富士山

午後7時からの踊りの練習の時は強い吹き降り。

それが8時に踊りの練習が終わった時には嘘のように風も止み、雨も上がった。



囃子の練習と祭りの手順確認などを終え帰宅は午前0時。

月明かりに富士山の姿が白く見えたので、

雲か雪かと悩みながらも白尾山まで出かけることにした。





山頂部ははじめ雲に覆われていたが、撮りすすむうちに雲が押しやられ、

雪を戴いた山頂が姿を現し、台風一過の透明な大気と月明かりに富士山は美しい姿を見せてくれた。



昨年暮れから月の明るい夜には富士山を撮るためにあちこち徘徊していたが、

夏場は雪もなく出控えていた。



やっぱり雪あってこその富士山だと実感した次第。

このままなんとか祭りまで残って欲しいものだ。



参考リンク

ふじのみや美図

雨の日は

雨で踊りの練習が区民館に変更になった。

参加者も雨天なので少し少ないようだ。



踊りの終わるのを待って8時に囃子の練習が始まるが、

なかなか人が集まらない。

このところ毎日こんな調子だ。

陰々滅々、天候の影響もあって、愚痴もこぼれようというもの。

「こんなで祭りが出来るんだろうか」

気がつけば、毎年同じ言葉が繰り返されている。



うちの町内は空洞化が進む市街にあって世帯数も約120。

若者や子供は当然少なく、小学校の球技大会などでも単独でチームが組めず、数区が合同でやっと混成チームが出来るといったあんばいだ。





でも不思議なことに祭り当日になれば、これだけの参加者が集まってくる。

それは多分、祭りがみんなの楽しみになっているからなのでしょうね。



今日人が来ないのは、中だるみと雨での足止め。

だから明日になればまた状況は変わります。



祭り本番に人が少なければ無理をせず、少ないなりの祭りをやればいい。

そう思えば気も楽だ。

無理に背伸びをすることはない。



祭りを楽しみに人が集まる間は、祭りはなくならない。



それにしても、昔は囃子方は花形で子供や若者の憧れだったはず。

とりあえず囃子を習えば簡単に山車に乗れるという今の風潮は、

簡単に囃子から離れていく原因になってはいないだろうか。



憧れて憧れて囃子を熱心に練習しても、

女は乗れないと言う決まりで何年も乗れなかった女性の

「どれだけ山車に乗りたかったことか。」

という一言がとても重い。



囃子方は憧れでなきゃね。



参考リンク

女性囃子方山車に乗る 前編

女性囃子方山車に乗る 後編




富士山紅葉す!

富士宮口新五合目から宝永山まで歩いてみました。







新五合目少し上の登山道から山頂方面を望む。

この少し上が森林限界です。







宝永火口と山頂方面。

遠足に訪れた小学生たち。







新五合目から山頂方面を望む。

常緑樹と黄葉の織りなす絢は見事です。



11月3日の秋まつりまで10日を切りました。

先日の冠雪もほとんど溶けてしまいましたので、祭り前に一雨欲しいところです。



参考リンク

ふじのみや美図


神田川原にのろしを上げて



= 湧玉神立 x 湧玉琴平 の競り合い =

実は手前で湧玉宮本と湧玉福地立組も平行して競り合いを行っています。

この写真は湧玉宮本の山車の屋根から隣の競り合いを写したものです。



勇壮な競り合いには昔からもめ事も多く、それぞれの町内に伝説となって残っているようです。



この競り合いのあまりのエスカレートに、長期の自粛がなされたこともありましたが、秋まつり青年協議会発足後は祭りを全国に発信する呼び物として積極的に行うようになりました。



秋まつり青年協議会が発足したばかりの昭和62年頃、浅間大社の祭事係で磐穂神田組の大先輩でいらっしゃる加藤長三郎さん(故人)にお聞きした話です。





その昔川東のある町内と川西の町内がお祭りの競り合いでもめることがあり、その場は双方引いたけれどもどうにもおさまらず、川東の町内は殴り込みに行こ うと神田川に集結しました。

しかし相手の町内に行くにはその前に他の町内を通らなければなりません。

神田川の畔で焚き火をしてひたすら交渉をしたけれども、結局 通過の了解が得られず大事には至りませんでした。



この様子を地元の新聞は「神田川原にのろしを上げて」と題して記事にしました。





メディアが話に尾ひれをつけたりあおったりするのは、どうも今に始まったことではないようです。



とはいえ、競り合いには争いがつきものです。

血染めの笛」、「同じ囃子を継ぐ仲間」でもご紹介しましたが、競り合いがエスカレートしてもめ事に発展することが多く、それが競り合いの自粛や祭り休止など、祭りの実施に悪影響を及ぼしました。



秋まつり青年協議会発足当初は事務局として、そんな歴史から競り合いに尻込みする町内を「時間を決めて勝負はつけないんだから」と説得したことが思い起こされます。争うためでなく、賑わいのためにやるんだと。



20年余を経て状況も変わりましたが、最近の競り合いの過熱には危惧を感じます。

挑発や威嚇などが行われるようでは、どこぞのタイトルマッチと変わりありません。



祭りは終わるものです。

来年再び始めるために、今年はきれいさっぱり片づけるという意味もあります。

でも、祭りは永遠に続くと思っていても、人心が離れてしまえば祭りは死にます。

そうならぬように、「祭り」が区民全員の楽しみとなっているかどうかに常に心を配らねばなりません。



かつて山車が売却されたり焼却された時代がありました。

祭りが行われなくなれば山車でさえ無用の長物と化し、処分されてしまえば復興するには気の遠くなる年月や大きな努力が必要です。



無事に続けていくことが、祭りと伝統を守ることにつながります。

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