へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

知らなきゃ損!宝くじ助成金

10月16日に太鼓の披露が行われました。





これは浅間大社正面の大鳥居で財団法人自治総合センターの助成で新調された太鼓セットの披露で、祭典実施区3区と富士宮囃子保存会メンバーが交互に富士宮囃子を披露したものです。







囃子道具の購入にはそれぞれの自治会で資金繰りなど苦労も多いと思います。

今までにも市内各自治会などがこの助成を受け、祭りに使用する囃子道具を揃えてきました。最大で250万円というと、囃子道具で言えば太鼓2セット、枠x2、ファイバーケース2セット分に加え、笛、当たり鉦、バチなどを充分揃えることが出来る金額です。





このシールが示すように宝くじの収益金が各種助成事業に充てられているものです。



詳細は財団法人 自治総合センターのサイトで御覧下さい。



一般コミュニティ助成事業

の「4.                         お祭り、運動会、ピクニックその他コミュニティ行事」に、

「太鼓、御輿、山車、法被、テント、組立式ステージ、各種用具等」とあります。

補助金額は一般コミュニティ助成事業1件につき、100万円から250万円まで(10万円単位)とのことです。



事業実施主体は、市(区)町村、コミュニティ組織(自治会・町内会等)又はコミュニティ組織の連合体とする。

採択にあたっては、できる限りコミュニティ組織を優先するものとする。





ということで自治会や町内会の活動に対して行われる助成です。

富士宮市の場合は市に担当する窓口があり、そこを通して申請するわけですが、すでに10数年先の分まで順番待ちの状態と聞きます。



行政区がいくら資金的に余裕があっても、祭り道具の購入にばかり充てるわけにも行きません。たとえ20年先でも必要な道具が揃えられるなら、申し込まないのはもったいないと思います。



なかなか当たらない宝くじですが、こんな形でも還元されているんですね。

同じ囃子を継ぐ仲間



= 競り合い 富士宮秋まつり 11月3日から5日 =



昭和初期の事。

湧玉御幸が当番町として広く他町を引き回していたときに前後を磐穂の2つの町内に挟まれ、行くも戻るも出来なくなりました。



当時は元々山車がすれ違えないほどの狭い通りですから、どちらが道を譲るかを囃子の競り合いで決めていました。負けた町内の山車は引き下がって道を譲り、かった町内は意気揚々と山車を進めました。

だからこの競り合いで負けないために囃子方は稽古を積んだのです。



前後をふさがれ進退ならぬままの競り合いは圧倒的に不利で、誰しも勝ち目はなく、囃子が立ち往生する物と思いました。

でも意外なことに、進路を塞いだ町内が退いて道を譲ったのです。

じつは、挟 まれたという伝令が西町に飛ぶや、湧玉の他町の囃子方が袢天を脱いで駆けつけ、御幸の囃子方と交代しながら延々と続けたので、挟んだ方の町内が音を上げたということです。



当時の祭り組はまだ同じ囃子を伝えているという連帯感も強かったもののようです。祭り組間での競い合いと協調の好例ではないでしょうか。





このよう に湧玉を親名に名乗るのは同じ「湧玉囃子」を伝えているという名残らしく、当時は他町とはいえ息をそろえて一緒に叩くことも自然に出来た物のよう です。



それぞれの祭り組が確立されて久しいのですが、それゆえに町内毎のお囃子はそれぞれ独特の個性を持つようになりました。

個性が伝えられるというのも 伝承的にはもちろん必要なことですが、同時にその大元が一緒であったということも忘れてはならない事では無いでしょうか。

血染めの笛



= 競り合い 富士宮秋まつり11月3日から5日 =



駿府博(1989)に出演された、根古市流沢田祭り囃子保存会の皆さんに伺った話です。



明治の末頃の話。



沼津市に住んでいた按摩さんでお囃子の名人がいました。根古屋出身なので根古市さんと呼ばれていたその方は強い笛を吹くというので、請われて近隣のお祭りでも笛を吹くことがよくあったそうです。



ある年、大宮(現富士宮市)の秋まつりに請われて笛を吹きに来たそうな。

髭をあたってもらおうと入った床屋は、なんと以前の競り合いでさんざんにうち負かされた相手の笛吹きで、それを恨んだ床屋は卑怯にもかみそりで根古市さんの唇を切り裂いたと言います。



これで笛も吹けず逃げ帰っただろうと思っていた床屋は、多少の後ろめたさは感じながらも山車に乗り、いつものように笛を吹いていました。因縁の競り合い相手の山車が見えたとき、床屋はあっと声を上げへたりこんでしまいました。

なんと切られた唇から血を飛沫かせながらも根古市さんは笛を吹いていたのです。



この時の無理がたたって、唇の傷は大きくあとを残すことになりました。しかしこの話は彼の名を冠した根古市流沢田祭り囃子とともに沼津市沢田に今も伝えられています。



 

= 浅間大社周辺で盛んに行われる競り合いは秋まつりの呼び物です =



参考リンク

富士宮囃子と秋祭り
 こぼれ話より

ふじのみや美図

女性囃子方山車に乗る 後編

意を決し、初めて女子を山車に乗せたその夜。

いやが上にも高まる緊張とは裏腹に、打ち上げまでは不思議なほど和気藹々で順調に進みました。

やがて散会となり、年寄り、後見と参加者を皆送り出して緊張の糸がほっと緩んだその時でした。

「何だとこの小僧!」と言う怒声が響き渡りました。



騒ぎが起きたら女の子は裏口から逃がし、近くに用意した車に匿う。

とにかくそれだけは決めてありました。



玄関から走り出ると、梃子棒を振り上げた後見が羽交い締めにされ、なだめられているところ。後ろ手に戸を閉め、ここは通すまいと身構えると「この野郎!仁 王立ちなんかしやがって」との怒声が飛んできましたが、他の後見たちに引きずられるように遠ざかっていきました。梃子棒を振るわれた青年に怪我を聞くと、 かすったぐらいで済んだとのこと。



騒ぎを聞きつけて顧問がやって来ました。

見れば祭り衣裳のままです。

こんな事態が起こることを見越して家で待機されていたようです。

「先生、俺は悔しくてならない」

先ほどの後見に梃子棒を手渡した後見が言いました。



他所の町内の人間に宮本の山車は女を乗せるのかとからかわれ、それが悔しいと涙をぽろぽろ流して訴えています。



その人の囃子方時代には山車は屋台に作り替えられていたので、山車に乗った経験はない。現役の囃子方には遠慮するにしても、自分も乗れない山車に女が乗るのは到底納得できない。おまけにそれを他町の人間に言われたからなおさらのこと。

巡る思いはいろいろあったのでしょう。



顧問は「女を乗せて何が悪い」「言った奴を連れてこい。俺がじっくり教えてやる。」と懇々と諭してくれましたが、結局話はかみ合わず、最後には後見もあきらめて一礼をして去っていきました。



この後町内では女の囃子方が山車に乗るのは公認され、瀕死だった祭りも何とか盛り返しました。

女子供を安心して祭りに出すことが出来ず、青年層にそっぽを向かれるような無頼を気取った祭りでは、町内からも賛同が得られずに、たとえ屋台を山車に作り替えたところで、やがては滅びるしかありません。



ここが大きな分かれ目だったと思います。



事態が限界まで閉塞してしまうと、静かに終末を待つか、風穴を開けて打開を図るかのどちらかです。



けっして伝統を軽んじたわけではありません。

あれは先行きに希望を見いだすための大きな決断でした。



= 昔の屋台の頃(昭和54年) =



囃子方を乗せても下に5-6人居れば昔の屋台は軽量でしたから押して歩けました。

暴力団抗争で露店が出なかった54年には西門の階段を下り、楼門前の馬場で記念撮影までしています。



でも山車ともなるとそうは行きません。区を上げての実施体制への移行がどうしても必要でしたが、体制がやっと整ったのはこの数年後でした。



山車に女性を乗せたのは間違いではなかったと自負していますが、今現在、男の囃子方がなかなか残らないのが最大の悩みです。



今では女子対女子で競り合いが行われることも多くなりましたが、20年前のあの頃には考えられなかったことです。



関連サイト

富士宮囃子と秋祭り

湧玉宮本の祭り






女性囃子方山車に乗る 前編

数年前のニュースで、あの伝統有る京都の祇園祭でも山鉾への女性参加が容認されたと言う記事を読み感慨深い物がありました。





私の町内で女性の囃子を山車に乗せたのはかれこれ20年前になりますが、時の流れは歴史有る祭りにもようやく変化を起こさせたのでしょうか。



富士宮では屋台に芸者衆は乗せたけれど、山車に関しては女人禁制という傾向が昔からありました。

今でこそ女性も囃子方として山車に乗る事も多いですが、最初は女性を乗せるについては抵抗も多く、それを変えるには大きな衝突が起こることは目に見えていました。



20年ほど前のわが町内の状況と言えば、現役青年がわずかに5名。勧誘に歩いても居留守を使われるなどことごとく不発に終わるのは、昔青年だった青年後見の無頼のごとき行状の数々が嫌われたからに他なりません。

頼み込んでやっと出て貰った娘さんを後見が朝まで連れ回すという事件があってからは、年頃の娘さんの参加はお願いできなくなりました。

青年の5名というのもどん底の3名の頃中学生だった2名が高校を卒業して加わっただけ。事態は変わっていたわけではありません。



屋台を元の山車に復元したのも、青年主体の運営から区主体に切り替わる前でしたから手不足に拍車をかけ、かなりの重荷になっており、現役青年には明るい未来など何も見えませんでした。



そんなところに囃子をやりたいという女の子が現れたのです。

囃子は希望が有れば誰にでも教えていました。

先輩諸氏からは教えることには面と向かって文句は言われませんでしたが、女は山車には乗れないからと何度も釘を刺されました。

2年目か3年目には何とか囃子も物になり、なんとか乗せてやりたいと思うようになりました。



思えばあれは叛乱であったかも知れません。



神社の神主さんに相談すると、

「神事に於いて女人禁制の場所は厳としてあるけれど、神楽や舞には女性も加わっている。神様を祀る場所と囃子の場所をしっかりと区切るなら女性が囃子で乗っても良いのでは。」

というご意見をいただきました。

区の顧問でいらっしゃったお隣の先生には話をしましたが、「乗せるのか」と一言言っただけで了解していただきました。戦前の祭りで青年長を経験している方ですので、それがどれだけ重いことかは十分承知した上でのことです。



後見とトラブルになることは、こちらも承知の上です。

少ない青年で結束し覚悟を決めて、いよいよその日を迎えました。



続く

穢れ-富士宮の特殊事情

「Wikipedia 穢れ」 より抜粋

仏教、神道における観念の一つで、清浄ではない汚れて悪しき状態のことである。

精神的・観念的な汚れのこと。





「祭吉の山車祭り講座 第6回女人禁制」 より抜粋


古くは女性は穢れ(けがれ)ているとされ、清浄を重んじる神社の神事には遠ざけられてきました。

しかし本来、神道(神社の宗教)の考え方では女性だけを穢れとしたわけではありません。
穢れとは気枯れで、健康な状態を元気と言うように、本来あるべき気が枯れてしまった状態が穢れ(気枯れ)なわけです。







= 富士宮秋まつり 11月3-5日 すれ違う山車 =



つまり、穢れとは気が枯れること。



いわゆる血の穢れを嫌うという理由で、女人禁制などを守り伝えているなら、男子といえども怪我や病気による出血などがあれば当然排除されるべきだと思います。でも、男尊女卑思想からの女人禁制の場合には男性に都合よくルールが作られている可能性はありますね。



病気や身内の不幸なども「気枯れ」ですから、「ハレ」の祭りにはふさわしくないと言えます。



富士宮市では宗派にもよりますが、四十九日を葬儀当日に行うことが多いです。

そこには、古くからの浅間大社門前町としての特殊性があるのではないかと言う話を、葬儀社の方にお聞きしました。

服喪中には神社への出入りもひかえなければならず、それが長期にわたれば商売にも差し支える。そこで葬儀当日に四十九日の法要を行うことで、忌み明けとしたのではないかということでした。



その説で言えば、家人の不幸を理由に祭りに出るも出ないも、要は当人の気持ち次第ということになりますね。



日常とは違う特別な日が祝祭なのですから、悲しみを引きずり「ハレ」の日に水を差すような「気枯れた」精神状態だったらやはり出るべきではないでしょう。



故人が祭りを好きだったから出ることが供養だと言う方も居ます。

それなら、「気枯れ」を見せずに率先して祭りの場を盛り上げるのが良いのではないでしょうか。



参考リンク

ふじのみや美図


尾張の山車祭り

富士宮囃子と秋祭り




祭りの準備



いよいよ他区との打ち合わせが始まりました。

囃子は今までは室内で練習していたけれど、昨夜太鼓を山車に設置して会合のスペースを確保したところです。

とはいえ、9時までは囃子の音で会議にならないので、来訪は9時過ぎにお願いしています。



子供達の囃子の稽古は区民館の小部屋で行いますが、鍵をあずかっていることもあり7時前には区民館を開けに出かけます。

9時までは囃子の面倒を見て、その後諸事雑多の打ち合わせ。

気がつけば午前0時を過ぎている事が多いです。

帰ってパソコンをいじっていると寝るのは1時か2時。

自営とはいえ朝ものんびり寝ているわけにもいかず、一番つらいのは夕方の4時から5時頃です。



疲れも溜まってきたようで背中や腰が重く、ちょっと不安がありますが、今週で子供の囃子が終わるので、来週からはちょっとだけ楽になりそう。



疲れも今がピークであればいいのですが・・・。



祭りと事故

ニュースでは秋まつりでの事故多発を報じています。



私の町内の祭りでも、起こって初めて危険のありかをを知ると言うことを、過去2度の転落事故で痛感しています。



最初の落下は競り合いに太鼓の枠に乗り、激しく競っていた鉦叩きがバランスを崩して宙吊りとなり、落とした鉦となぎ払った提灯の竿で下にいた町内の人間が負傷した物でした。

あまりの行儀の悪さに罰が当たった物と、以後は鉦も行儀よく出しゃばらないようになりました。





今では太鼓の後の柱に帯を結び、行儀よく大きな動作で囃します。





一昨年の祭りでした。

競り合いが終わり、山車が分かれた時に人だかりが見えました。

事故だと直感し駆けつけると、向こう側の鉦叩きが落下していました。

体を預けていた帯が切れ、2メートル近い高さから、路上に背中から落下したものです。

命にも関わる高さですが、幸い意識ははっきりしていて救急車で病院に運ばれましたが、しばらくして帰ってきました。腰と肩に打撲は負ったものの、鉦の紐で負った中指の切り傷を2針縫っただけで済んだとのこと。

帯の傷みに気付き、危険だからと外していたものを当人が引っ張り出して使用したものでした。気付いた段階で廃棄しておくべきでした。

一つ間違えば人命に関わる事故です。人命を失うようなことがあれば祭りは実施できなくなります。

浅間大社正面での競り合いで起きたことと、奇跡的な怪我の軽さから、神様からの大いなる警鐘と捉えて安全を最優先することを心しました。



10月7日の半田の山車まつりに祭り仲間が見学に行き、隣り合わせたご老人に話を聞いてきました。

若い時に祭りに出ていて山車の前で転び、片足を山車の車輪に轢かれ失ったそうです。でも好きな祭りからは離れられず笛を吹いてきましたが、老いてそれも出来なくなりました。

好きな祭りで事故にあったのだからしかたないとは言いながら、寂しさは隠せなかったといいます。



マスコミは勇壮さばかりをもてはやすけれど、本当に大事なことは事故無く確実に祭りと伝統を伝えて行くこと。

それが地味なようでも一番大切なことではないでしょうか。



参考リンク

湧玉宮本の祭り

ふじのみや美図

富士山 - 祭りの頃

ようやく初冠雪のニュースが聞かれる頃になりました。

富士山は雪があってもなくても素晴らしい山ですが、やっぱり雪があったほうが素敵です。





= 白尾山から見た富士山 平成19年2月15日=



富士宮市は富士山の西南麓で富士山の8合目以上を所有する富士山本宮浅間大社の門前町として発展した町です。画面下部に大鳥居が見られますね。





満月の月明かりの富士山と富士宮市街です。

昼も夜も、その懐でいつも慈母のような富士山に見守られていると感じています。



11月3日から5日まで行われる秋まつりの頃は、雪もまだ積もったり溶けたりですが、運がよければ山頂に雪をいただいた富士山が見られます。





浅間大社大鳥居前での囃子奉納。

鳥居の向こうに見えるのは雪のない富士山。





富士山に向かって登山道を曳く。





共同催事の勢揃い。

天気さえ良ければ山車の並ぶ背景に富士山が顔を見せます。



関連サイト

ふじのみや美図 富士宮市の美しい光景を豊富な写真で紹介



湧玉宮本の祭り 弱小区ですが、祭りを守り続けています。



富士山本宮浅間大社 浅間大社公式サイトです。

「祭り」この大きな生き物

葛飾北斎描くところの「北斎漫画」に次のような絵があります。





たぶん「群盲象を撫ず」または「群盲象を評す」という諺を絵にした物なのでしょう。

直に手に触れ確かめた物でも、あまりに大きな物の全体像はつかめない。

それぞれに語られる物は間違いではないけれど、一部であって全部ではない。

多分そんなこと。



祭りにどっぷり浸かっていればいるほど、全体像が見えていないものかも知れません。

自信満々に語られる話に、首をかしげることもけっこう多い物です。





長年慣れ親しんだ部署を離れ、まったく違う部署から見た祭りの新鮮だったこと。





嬉々として踊る子供達に気づき、新鮮な思いで祭りに向き合えたこと。



山車と離れて走り回る交渉や給与、会所で食事の支度をするご婦人方。

経験ばかり長くてもまだまだ知らない部署があります。



「祭り」という大きな生き物を知り、御するために、少し離れて見ることも必要かも知れません。



関連サイト

湧玉宮本の祭り

ふじのみや美図





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