へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
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真夜中の富士山

月明かりはけっこう明るい物で、満月に近い頃は夜道を歩くのにも不自由しないくらいだ。月が冴え冴えと照らしているのを見て、富士山を見やると少しかすんではいる物のその姿が見られた。

霞む時は出来るだけ近づくのが鉄則。

登山道を上ることにした。



先ずは篠坂の「富士山さくらの園」に来てみた。



昼間と見まごうこの風景も、高感度で長時間露光による物。





肉眼で見た感じに近づけるとこんなぐらいか。











築山に植えられたシバザクラがきれいだ。





ヤマザクラだろうか。葉と花が一緒に開いている。



西臼塚駐車場

人里離れた山の中だというのに、野良だろうか捨てられたものだろうか犬の声がしていた。



通過する車のライトだ。長時間露出が判るだろうか。





山頂をアップで。雲が遊んでいた。





昨夏流星を見に来た時は山室の明かりと登山者のライトがジグザグに続いていたが、ゴールデンウィーク前とあって自動車道の登山区間もまだ開通していない。



水が塚公園

駐車場から公園に来てみると、周囲の林でガサッと音がした。熊ではないかと、ちょっとびくびく物だ。



ここからは宝永山と火口が目の前だ。





空の星も、満月近い明るさだとさすがにかすんでしまいます。





公園のあずまやと富士山。



寒い風が吹き始めたので退散した。

下る途中で道ばたにいる鹿を3回ほど見かけたが、富士山でも増えているのだろうか。

ミツバツツジ

猪之頭在住の友人から「ミツバツツジ見頃」の便りは頂いたのだが、天候が芳しくなく、とうとう週末を迎えた。

昨日と今日、午前中には陽も射し青空も少しは見えたのだが、ようやく出かけた時にはあいにくの曇り空、条件は今ひとつだったが、散る前に見られたのは幸いだった。













静岡県指定天然記念物 猪之頭のミツバツツジ

昭和60年11月29日静岡県天然記念物に指定された。

樹高4.5m根回り1.7m枝張り東西6.7m南北7.3m。

ミツバツツジとしてはわが国で最大級の物。





参考までに昨年撮影のミツバツツジだ。













満開前だったが、雨上がりの澄んだ青空にミツバツツジが映えてとてもきれいだった。



今年は雨も多いのだが、あまりすっきりとは晴れない。

出来ることなら昨年撮影した時の青空に、今年の満開のミツバツツジを配して撮りたい物だ。





おまけ



去年のようにきれいに晴れてミツバツツジが満開で、周囲の電線や電柱などがなければと、切り貼りして作ってみた。

夢でもなければ、お目にかかれないだろうが・・・。

富士山頂で祭り囃子を(3)

浅間大社には浅間大社青年会という若者の会がある。

   

写真左から流鏑馬祭で拝殿に参進する神職を参道で迎える。

お田植え祭で田代役を務める。

観光協会主催行事の燈回廊でボランティアとして協力。

初詣で縁起物の拍子木授与。



写真以外にも浅間大社青年会は、新年餅つき、節分施設慰問、節分奉仕、流鏑馬祭、湧玉池清掃など浅間大社の祭礼に奉仕するとともに、会員相互の親睦を深めるためにいろいろな行事を行っている。

常時会員募集をしているので、祭礼奉仕などにご協力いただける若い方はぜひご参加ください。



こ の会が出来たのは昭和49年1月で、私は最年少会員としてその頃から参加していた。平成15年には創立30周年を迎え、記念事業の一つとして富士山頂奥宮 に囃子を奉納するということになり、私はすでに卒業していたのだが、毎月の囃子練習に顔出しをしていたことからお誘いをいただいた。



それは7月の梅雨明け間もない頃だった。

前 回の地元青年団の奉納登山で登れる自信はあったけれど、どうせ若い者にはかなわないのだから、もっぱらマイペースを心がけた。でも前回の8時間超は何とか 短縮したいので極力休憩はせず、疲れたら金剛杖にもたれて休み、呼吸を整えてはまた登った。休憩している仲間を横目に見ながらこの間に先に進んだが、あっ という間にまた追い越された。

山頂に到着したのはやはり最後くらいだったが、所要時間は前回の8時間超を大幅に短縮する6時間半ほどだった。

奥宮に挨拶し、浅間大社の先輩が経営する山頂富士館に泊まった。





翌日はご来光を見て、落ち着いたところで囃子を奉納した。





仲間が見守る。





登ってくる登山者を励ますために、囃した。





眼下に広がる雲海に向け囃すのは、何ともいえず爽快だ。





お鉢めぐりで剣が峰に。

その後ぐるっと回って久須志神社にも立ち寄り、ウナギをご馳走になった。





下山前にもう一度富士館前で囃した。



登山下山とも中腹にかかる雲は、雨具を着ていても結露で体を濡らし体力を消耗させるので、なかなかやっかいだった。しかし雲を突き抜けた時のあの達成感と爽快感は、めったに味わうことは出来ない。



翌年囃子保存会で囃子奉納登山を計画したが天候にたたられ、延期したがまた悪天候で結局中止になった。



今年20年は浅間大社青年会の創立35周年と言うことで再度囃子奉納が計画され、今回もお誘いいただいた。あれから5年経ち体力にはめっきり衰えを感じているが、高齢者登山のようにマイペースで時間をかければ何とかなるだろう。





時間がかかるのを覚悟して前夜から先発し、満天の星を見ながら夜山を登るのも良いなと今から楽しみにしている。

富士山頂で祭り囃子を(2)



富士宮囃子の基本形は、締太鼓(きんどう)2名、長胴太鼓(おおどう)1名、篠笛1名、摺り鉦1名の5名だ。締太鼓の二人は基本のリズムを刻み、長胴太鼓は笛のメロディーに対応し、締太鼓にかけ合って変化をつける。摺り鉦は締太鼓に対応しリズムを補完する。

全体のリードをとるのは篠笛で、篠笛の合図で中胴(太鼓中央の締太鼓)が号令をかけ、切り替えや終了を行う。



昔、 囃子方が散逸し正規の構成が組めなかった頃は、笛無しで太鼓だけと言うことも多々あった。しかし笛無しの囃子は言ってみれば色のない写真のようなもの。心 浮き立たすという囃子の働きは半減してしまう。せっかくの富士山頂奥宮への囃子奉納は出来れば欠けることのない正規の囃子でありたい。しかし以前の惨憺た る登山を思い出せば、どうしても尻込みしてしまうのだ。





=写真= 宝永火口を歩く人たち



とは言え、ここで逃げたら男がすたる。前轍を踏まぬようにどうすれば良いかを考え、腹を決めた。

笛を吹くためにはまず高度馴化だ。無理せずじっくりと時間をかけて登ろう。脚力や体力は前回よりもっと衰えているのだから、一歩一歩を小刻みにし、急坂は回り込んで足への負担を出来るだけ避けて行こう。





登 山はひたすらマイペースでゆっくりゆっくりと登り、山頂に着いたのは新五合目を出てから8時間以上経っていた。山頂表口の山室富士館は我が町内の先輩が経 営しているので、そこにお世話になった。翌日の奉納を控え室の外でお囃子披露の練習をした。時間をかけて登ったので高度馴化は問題なく笛を吹く余力も十分 に残ったが、山頂の夜は真冬並みに冷え笛を吹く指が寒さに凍えた。



写真は翌日の囃子奉納の時の物だ。

幸い好天にも恵まれ、囃子も無事に奉納することが出来た。

日本一の高山とはいえ、十分な時間をかけ無理をせずに登れば、体力のない物でも登ることが出来る。この時それを強く実感することが出来た。



体力のない物でも富士山に登ることは出来る。

前回は苦しい思いばかりで、そんなことは思いもつかなかったことだが、良い例がある。70才以上で富士山に登った人たちの高齢者登山の会があるのだ。

2年に一度浅間大社参集所で総会を開いていて、私がその記念撮影を承っている。



時間に追われ、予定が狂い、無理をしてしまうことは決して良い結果には結びつかない。日程に十分な余裕を持ち、無理をしないで何日かけてでもゆっくり登れば、いつかは山頂にたどり着く。

富士山に登るにはそんなゆとりが欲しい。



続く

富士山頂で祭り囃子を(1)



富士山は言わずと知れた日本の最高峰だ。その端正な姿から八面玲瓏などとも形容されている。





だが、近寄ればその荒々しさにとまどうことも多い。



「一度も登らぬ馬鹿、二度も登る馬鹿。」と言われるが、地元に育った人間でも登ったことのない者は多い。

かく言う私も最初に登ったのは20代半ばで、浅間大社青年会に所属していたことから、山頂にしばらく居候させていただいた時だ。

この時は神社の荷物を運搬するブルドーザーに便乗させていただき、労せずして山頂まで到着した。心配された高山病もなく初日は何とか無事に済んだのだが、翌日からしばらくの間頭痛に悩まされ、高度馴化の大事さを教えられた。

この年はその後今度は自分の足で2回登ってみたが、この頃はまだ若くて体力もあり苦もなく登ることが出来た。



 

苦難を克服して登山することの満足感から、この後も何度か登った。



自営で通勤の必要もなく1日座って過ごす毎日では、足腰も当然弱ってくる。その衰えを痛感させられたのは、家内の友人を案内して登った時のことだ。先に 立ってガイドすべき所がついて行けず、一人大きく遅れて暗くなる前にやっとの思いで山頂にたどり着いた。おまけに翌日の下りは片方の膝を痛めて下山にも大 変難儀した。案内どころか、足を引っ張るお荷物になってしまったのだ。



そんなことがあって、もう登山は良かろうと思っていたところに地元の青年団で山頂奥宮に囃子を奉納すると言う話が持ち上がった。以前のつらさがあるので、勘弁願うつもりでいたがどうやらそうも行かないらしい。



笛吹きの代わりがいないのだ。



続く

霞む空

「春に三日の晴れ無し」というそうだが、なかなかすっきりと晴れてはくれない。それでも霞む空に富士山は見えていたので、上井出周辺を見て回った。





若獅子神社近くで見かけたミツバツツジ。

まさに満開。





若獅子神社の桜も盛りでした。





ここは旧陸軍少年戦車兵学校跡地だそうです。

帰還戦車がこの奥に展示してありました。





若獅子神社東の桜は満開でした。



富士桜自然墓地公園に移動しました。



通路脇の桜も満開です。





調整池に架かる橋の向こうには富士山が見えました。

ここまで来れば、富士山は間近です。





調整池の斜面には可憐なフジザクラが植えられています。





アップで見れば大沢崩れのえぐれまで見えます。





すっきり晴れたら青空と雪と桜が綺麗だったでしょうね。





桜と富士山はよく似合います。



狩宿の下馬桜



桜には陽光がないと花が映えません。

先日は曇りでしたので出直しました。





ヤマザクラは葉と花が同時に開くので、この花の色は白いのですが葉の赤色でピンクに見えます。





花の盛りは少し過ぎました。撮影には最後のチャンスかな。





天然記念物と文化財。どちらも歴史ある大事な物です。

末永く守っていきたいと思います。





のどかな春のひとときでした。

笑顔に会いに行く

あいにくの花曇りだったが今年も「春の菜の花さくらまつり」が行われ、会場は賑わっていた。



会場近くの菜の花畑とミツバツツジ。



館側から見た菜の花畑。晴れていればこの向こうに富士山が見えたのだが。





特別天然記念物の狩宿の下馬桜。富士の巻き狩りのおりに源頼朝がこの地に投宿した際、乗馬をこの木につないだとの言い伝えから「駒止の桜」とも呼ばれる。

日本五大桜の一つ。

この日の桜は満開で、桜の見物客で会場は賑わっていた。





下馬桜越しに舞台を見ると剣舞をやっていた。





井出館前に作られた舞台と観客席だ。





館側から見た観客席と下馬桜。

舞台では様々な芸能披露が行われた。



今回のお目当てはこの舞台で行われる市民田楽と田楽座の公演だ。

初めて見たのは浅間大社1200年祭だった。

嬉々として演じるその笑顔に魅せられ、地元の公演は欠かさず見ている。





市民田楽の会による田楽。

嬉々として躍る姿に惹かれた。









老若男女入り交じり、嬉々として踊る姿に皆で楽しむという「祭り」の原点を見た気がする。





田楽座の披露が始まった。





そして南京玉すだれ。





太鼓を終えて決めのポーズ。笑顔がまぶしい。





このお囃子では特に演者の笑顔が印象的だった。



祭りを守り伝える原動力は「楽しさ」だ。

笑顔が笑顔を呼び翌年に、翌々年に、ひいては子や孫の代まで続いてゆく原動力になる。



「笑顔」の力をあなどる無かれ!



外部リンク

・田楽座

浅間大社流鏑馬祭

毎年目に新緑のまぶしい5月5日には浅間大社で流鏑馬が行われます。

ポスターやチラシが作成されたので、(社)富士宮市観光協会の許可を得た上でチラシを紹介させていただきます。







上の写真が小笠原流流鏑馬で、二の的に狙いをつけるところ。

午後3時頃より浅間大社桜馬場にて、小笠原流流鏑馬斉藤一門が古式ゆかしい流鏑馬を披露します。



下の写真は流鏑馬練行が駅前通にさしかかったところ。

一行は正午に浅間大社を出発し、市内を練り歩いた後2時半頃浅間大社に帰着します。



浅間大社のお祭りは4日の河原払い、末社回りから始まり、5日の流鏑馬祭、6日の後日祭まで行われ、境内所狭しと立ち並ぶ露天も3日間多くの人出で賑わいます。





流鏑馬練行と神事流鏑馬式(小笠原流流鏑馬)が行われるより前の午前10時頃より古式流鏑馬が行われます。



昔から伝わる古式流鏑馬の「行い」です。

天を指して回り、地を指して回り、左前、左後ろ、右前、右後ろの地を狙った後に的を射ます。





「本乗り」は的を射た後駆け出し、五騎の馬を連ねて馬場を疾駆します。

この「浅間大社流鏑馬」は富士宮市の無形民俗文化財に指定されています。



外部リンク

・ふじのみや美図 http://fujinomiya.biz/

  浅間大社流鏑馬祭





・富士山本宮浅間大社 0544-27-2002



・(社)富士宮市観光協会 0544-27-5240






春の菜の花さくらまつり

特別天然記念物で日本五大桜の一つ「狩宿の下馬桜」のある井出館前で4月12・13日に「春の菜の花さくらまつり」が行われます。

雪を頂いた富士山、桜、菜の花を背景に繰り広げられる芸能の数々。

嬉々として躍動する「田楽」。



ぜひ、お楽しみください。



昨年は下馬桜が盛りを過ぎていましたが、今年は見頃に当たりそうです。





写真は4月9日現在の物でまだ三分咲きと言ったところでしょうか。

満開は欲張りすぎでしょうが、13日には七分から八分くらいは開花が進むのではないでしょうか。













外部参考リンク




・嬉々として



・平成19年の「春の菜の花さくらまつり」レポート




内容の詳細は下記をご覧ください。

・観光協会製作「春の菜の花さくらまつり」紹介PDFファイル

晴れ間

爆弾低気圧はとりあえず去り、今日は風もおさまった。

早起きして白尾山に行ったが朝靄で富士山も町もかすみ、肩すかしを食らったようなものだ。

気を取り直して浅間大社を歩いてみた。





鏡池(ひょうたん池)上の桜だ。

開花の早かったオオシマザクラは葉を茂らせ、実が育ち、ソメイヨシノは花が散って花軸が残った。





楼門と手水舎間の空。クスノキの新芽と散り残った桜の対比の妙。





水屋神社と新緑。

ここの樋から落ちている水は富士山からの伏流水が湧き出た物で、玄武岩層を長い年月かけて移動するためにバナジウムを多く含んでいる。

汲みに来る人も多い。





大風から1日たち、今日は柳も静かな物だ。





柳の緑と橋の赤が映える。



4月12・13日に狩宿で「春の菜の花さくらまつり」が行われる。

昨年は4月15日に見に行ったが、桜はほとんど終わっていた。

まつりの下見を兼ねて出かけた。





「狩宿の下馬桜」と呼ばれるこの桜には、富士の巻き狩りの際に源頼朝がこの地に投宿し、馬をつないだといういわれがある。国の天然記念物に指定されており、推定樹齢は1000年とも言われ、日本五大桜の一つだという。





昨年の満開は9日だったと何かで読んだが、今年はまだ2〜3分咲きといったところだろうか。





樹種はアカメシロバナヤマザクラだそうで、葉芽は赤く、花は白い。





この景色を背景に「春の菜の花さくらまつり」が行われる。





今年は桜の花がまつりまでもちそうだ。





下馬桜周辺では菜の花がきれいに咲いていた。





桜並木の左奥では地元の人たちが売店を開いており、三々五々訪れる見物客も多かった。



この歴史ある桜も館も末永く守り伝えたい物だ。



夕刻にはまた曇ってしまい、つかの間の晴れ間だった。

「狩宿の下馬桜」がみごとに花開くのはまだこれからだ。

満開の写真も是非ご紹介したいと思います。

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