= 昨年浅間大社前の4区の競り合いで。 =



11月4日の共同催事で、我が湧玉宮本の3回目の競り合いは浅間大社正面で行われた。

どちらも女性での競り合いとなり、湧玉宮本はかつての花形メンバーが乗った。



かれこれ20年前に一大決心で乗せた女性囃子方が、やがてセットを組めるようになった時、嬉々として囃す姿は華やかで艶やかで、まるで大輪の花が咲いたようだった。そんな彼女らに憧れて、囃子を志す女性が次々と参加してきた。

一時代を作ったのが今山車で囃している彼女らだ。



立会人として中央に立ち、嬉々として囃す彼女らにあの頃と変わらぬ花を見た。

周りでしきりに切られるシャッター音に、今年最高の笑顔を写真に撮れぬもどかしさを感じ、立会人であることを恨めしく思った。

囃子方は創作太鼓と違ってそれ自体は主役ではなく、祭りの場にあってそれを盛り上げる脇役なのだ。でも花形であることは間違いない。

嬉々として囃す姿には、だれもが憧れを抱く物。

そうして伝統芸能は次の代まで受け継がれていくのだ。



祭りには花が必要だ。

それが囃子でも踊りでも、人を惹きつける魅力がなければ人心は離れていく。

一日にしてならぬのが囃子方。

研鑽と努力を重ねる事は、憧れがなければ何年も続けられない。

だから、囃子方は憧れでなければならない。



花になれ!





以前の競り合いで女性で競り合った時のもの。





一昨年の競り合い。これも女性で。