10月1日から祭りの準備が始まった。



午後7時前に区民館を開け、子供らの来るのを待つ。

小学生のお囃子の練習が午後8時まで。それが終わると中学生以上の練習が午後9時まで。生意気盛りの子供たちに振り回されながら、これが月半ばまで続く。

成人囃子方メンバーに変動はなかなか無いから、おぼえるための練習ではなく磨きをかけるための練習だが、なかなかメンバーが揃わない。足りないところに入って補助するが、習うべき人間より現役を退いた人間の方が練習量が多いってのは、なんともおかしな話だ。



青年や囃子方が来ても来なくても、区民館の鍵を預かっている以上毎日出かけ、戸締まりをするまで詰めている。区民館が出来て30年余、祭り準備が始まるとこんな生活。準備から片づけ、囃子方から諸役、資料作りから会計報告まで三十数年間で大体の事は経験したつもりだが、見えないところで起きている事はまるっきり判らないのが実状だ。



お祭りが終わると、酒席などで祭り談義が盛んに交わされるが、立場が違えば見えるものがかなり違う事を思い知らされる。

群盲、象をなでるがごとしだな。





     = 北斎漫画より =



「祭りはこんなもの」などと多寡をくくらずに、祭りがもっともっと大きいものだという事は、ぜひ知っておいて欲しいものだ。



醒めたからと言って、祭りを投げ出すわけにも行かない。がむしゃらに祭りに没頭できるのも5年から10年。無理ながんばりは続かないものだから、長い目で無理のない、先を見据えた運営が必要だ。



祭りが区内老若男女多くの楽しみであるうちは、祭りは続いてゆくものだけれど、誰かにそっぽを向かれるようになったら赤信号だ。



常に目配りは必要だ。





参考リンク

群盲、象をなでる

「祭り」この大きな生き物