「写真プリント不要という時代が、来るかも知れない。」


同業の若者が言った。


モニターの画面でいつでも見ることが出来、画面の許す範囲で拡大も出来る。


極端な話だが、画像データさえあればそれだけでこと足りてしまうかも知れない。


 


雑誌や新聞がパソコンやiPadなどで閲覧でき、音声・音楽やムービーも使用できるとなれば、いわゆる情報を扱うメディアも新たな表現形を模索しなければなるまい。


閲覧する機器の普及が進めば、雑誌や新聞などの発行形態も変わらざるを得ない。


取材編集し紙面を作る仕事は、内容に多少の変化はあっても続いていくだろうが、印刷・製本・配送という仕事は縮小せざるを得まい。


 


同じようなことが写真業界でもすでに起きている。


デジタルカメラの普及でフィルムが売れなくなった。


フィルムだけでは済まず、写真を撮ったらプリントするという一連の作業が当たり前ではなくなってしまった。テレビやパソコンの大きな画面で見た方が迫力があるし、音楽を附加してスライドショーにもできる。フィルムで撮って現像同時プリントという、今までのお定まりの写真形態がほとんど崩れてしまったのだ。


 


写真館などプロの世界ならそうは行くまいと思っていたのだが、高解像度高機能のカメラやソフト出力環境が構築されるとデジタルに移行する店が増え、営業が成り立たなくなったラボ(現像所)は廃業を余儀なくされた。アナログの銀塩処理(フィルムや印画紙による写真)にこだわっていた写真館も、依頼していたラボが顧客減からクオリティーを維持できなくなってしまい、やむなくデジタル化に踏み切ったと言う。


 


物事の変わり目は最初緩やかであっても、ある程度まで進むとおそろしく加速度を増す。


気が付いた時には古いものは実用にならず懐古的な骨董の類となってしまうのだが、それが切り替わるのはあっという間だ。過去にはレコードからCD、ビデオテープからDVD、銀塩(フィルム・印画紙)からデジタルカメラといった変革があった。


 


プリントは消滅まではしないだろうが、多くの人たちから不要とされる時代がそこに迫っている。


 


我々写真館はつきつめれば撮るのが仕事なのだから、プリントで渡さなくても良い写真データを作れば本来の仕事は続けていけるだろう。しかし関連して起こる不測の事態が、業務を大いに圧迫することもあり得ることだ。


そうなる前に、写真館が生き残る道をしっかり考えておかないといけない。


 


わが家は大正元年創業だから、来年創業100年目となり三代目の私は還暦を迎える。


1年先のことはもう判らない昨今だから、それまでに世の大勢は大きく変わってしまっているかも知れない。


 


どちらにしても大きな節目には違いないな。