浅間大社青年会という会がある。
昭和49年1月に発会した時、22歳で最年少の会員として私も参加して40歳で退会するまで青春時代を過ごした思いで深い会だ。
その浅間大社青年会が所属する、静岡県氏子青年協議会主管の全国大会が、7月10日に富士宮市民文化会館で開催される。
私の住む宮本区は市民文化会館が区域内であることもあり、浅間大社青年会から秋まつりの山車展示とお囃子で全国からの参加者を出迎えるよう依頼があった。
現役の青年会員もおり、区長、町内会長、会計、総務委員を務める青年会OBの4人はそれぞれ過去に会長を務めているのだから、これは協力しないわけにはいかない。
区の文化祭もこれに併せ10日と11日に行うこととした。
7月3日に山車の飾り付けを行い、終了後屋久島土産の焼酎を仲間と飲んだのだが、飲み過ぎてダウンしてしまった。
静岡県氏子青年協議会の主管で行った全国大会はこれが初めてではない。
青年会在籍当時焼津で行った全国大会はまだ記憶に新しいが、富士宮で行った全国大会は昔のこととは言え印象深いものだった。
発会からまだ2-3年と言った頃だから、準備にあたった関係者は大変だったろう。
おまけに浅間大社は夏のこの時期、富士山頂奥宮に神職が登り、手不足と来ている。
オプションの記念事業として富士登山も企画されていたので、青年会員も登山隊の案内から救護と手分けして務めたのを憶えている。
夜の登山を夜山(よやま)と言う。
こんなに晴れた星空や月夜なら夜山も悪くないが、この時は悪天候で途中の山室に緊急避難せざるを得なかったという。
夜中5合目の駐車場で待機していたが引き返して来る人はなく、翌朝交代し大変さの実感はほとんどなかった。
登山の案内をした人たちから聞いたが、登山に慣れた人たちにしてもかなりしんどかったという。天候が回復して山頂に至り撮影された写真にも、疲労の色がありありと見えた。
発会から30年経ち、奥宮に囃子を奉納するという企画で富士山に登り、35年経ってまた登った。太鼓などは別便で送っても、体一つで登り下りするのさえ難儀する。
この5年での体力の衰えを、痛感した。
70歳以上の登山者は、高齢登山者として記録される。80を越すようなお年寄りだって富士山に登っているのだが、お年寄りにはお年寄りの登り方があるらしい。
合目毎に山室が開いている登山期には、たっぷりと時間をかけて疲れたら休み、室に泊まるなど、マイペースで登ればいつかはたどりつく。
体力に自信があるからと言ってタイムレースのような登り方をすると、山頂で高山病でうなることにもなりかねない。
時間に追われての無理な計画は、辛いばかりで良い思い出にはならない。
もし発会40周年で同じ企画があったなら、若い者達とは別行動で登ることにしよう。
昨秋富士宮で行われた国民文化祭でメインゲストとしてご出演いただいた神田囃子保存会の皆さんだ。
7月31日には、去年のリベンジで富士宮口からご来光囃子を慣行すると言う。
太鼓を背負っての登山はそれはきついものだろう。
せめて天候だけでも恵まれるようにと、心よりお祈り申し上げる次第だ。