浅間大社青年会による富士山頂奥宮囃子奉納


 


浅間大社青年会が昭和49年に出来て数年後、祭事係会の全面的なご協力で囃子道具が揃えられ、会員による囃子練習が始まった。



当時はまだ祭りの低迷時代で、祭りを復興させたいという気運は高まりつつあったが、長期の休止は地元囃子方の老化と散逸をもたらしていた。

山車や屋台は残っていても、お囃子がなければ引き回しは出来ない。

祭り復興のためには、お囃子の習得が第一の課題だった。

浅間大社青年会は、神社奉仕を通して地域共同体や世界平和に貢献するという理念を持ち、市内在住の氏子によって構成されている。だから会員である町内の祭りを実施している所と休止している所の青年が相互に協力することで、それが祭りの復興の大きな原動力になっていった。

浅間大社境内でのお囃子練習から囃子をおぼえ、地域で祭りが復興された町内も数多い。祭り復興を聞いて離れていた往年の囃子方が指導にあたり、地域伝統の囃子を復活させたと言う話も聞く。



浅間大社青年会の囃子練習が祭り復興のきっかけとなったこと。囃子方も次世代、次々世代と変わる内にそんなことはどうもとっくに忘れられているようだ。



忘れてけっこう。

誰だって先輩から教わったものを、淡々と次に引き継いでゆくだけのこと。教える上で見返りを求めないのは、それを引き継いで囃子を守り伝えてくれると信ずるからだ。



忘れないで欲しいのは、教えた貰ったものは必ず次代に伝えてゆくこと。逃げ出さないこと。投げ出さないこと。

簡単なようで難しいが、それだけが暗黙の約束。



それぞれの町内で守り伝えられるお囃子だが、地元の練習が始まる祭り前には他町の囃子を聴く機会はあまり無いもの。

毎月定期的に練習を行い、相互に刺激し合い互いの囃子を盗み合う。練習後歓談し、祭りへの熱い想いなど語り合う。





浅間大社青年会の囃子練習は、そんな思いと歴史を持っている。