先日捕まった噛みつきザルに、濡れ衣説が出ているそうだ。
三島市や周辺市域で多くの被害者を出したのは、1匹の仕業ではなく複数犯の可能性が高いのだとか。
まさか冤(猿)罪というだじゃれを言いたいためだけの話じゃないだろうが。
多くの噛みつき騒ぎを起こして、賞金つきのお尋ね者になったのが9月だったろうか。
危険な猿で注目を浴びた事で、目撃情報は格段に増え、足取りの追跡が出来るようになった。
沼津市から富士市に入る頃から先輩のみすたけ氏(@misutake)がGooglemapにそれぞれの市発表の出現情報をマークして公開されていた。
みすたけ氏による猿出現マップ-1 9月18日から29日の足跡
みすたけ氏による猿出現マップ-2 9月30日以降分
この猿の移動に関しては実に良く把握されている。
噛みつき騒ぎ以後、各市で捕獲体勢を取り追跡して居たからに他ならない。
実は以前5月から6月にかけて富士宮市内で、猿の出没情報が広報無線で流された。
同一かどうかは不明だが、当時は噛みつき被害はまだなかったので情報自体が少ない。
最初の猿目撃広報はわが町内だったそうで、家屋二階に入り込んだ猿が柿種を盗み、逃げた屋根の上でそれを平らげ、市街に消えたとの事。
6月で猿の広報も途絶えた。
9月末、猿が富士宮を駆け回り、富士宮市内房から富士市松野あたりで見かけられた頃、囃子仲間が聞いてきたという話しはこうだった。
松野に出没して悪さをしていた猿を捕まえ、愛鷹山の深い山中に放したという。
それが裾野市や三島市、沼津市あたりで悪さをし、追いかけ回されて戻ってきたのではないかとのこと。
そういえば内房から松野に移動した後、あっという間に羽鮒、稲子に移動している。
同じ猿ならば以前捕まった所はやっぱり嫌うのだろうか。
富士宮市の広報以前にも、捕らえた猿を市北部の山に放したという新聞記事を読んだような記憶もある。今回捕らえられた猿はどうやら人に飼われていた猿のようだというから、何度も何度も人里に舞い戻ったものかも知れない。
捕らえられる事でより慎重になり、長期の逃亡劇を演じたのでは。
それぞれが別の話か同じ話か、それは判らない。
でも一匹の猿がそれだけ逃げ回っていたとすれば、もちろん危害はもっての他だが苦難の連続は同情に値する。
終の棲家も楽寿園に定まったようだし、言葉が通じるものならその逃亡の物語を聞いてみたいと思う。