9月26日は毎年大宮司家墓所護持会の総会と墓前祭が行われる。
富士大宮司家とは代々浅間大社宮司を世襲してきた由緒ある家柄。

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駿州赤心隊子孫による玉串奉奠。
墓前祭の最中に雨が降り始め、傘も用意された。


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会場を浅間大社参集所に移し、墓所護持会の総会が始まった。


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墓所護持会も40年年目ということで、富士宮市富士山文化課課長渡井一信氏による講演が行われた。


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最後の大宮司、富士亦八郎重本は明治維新の激動期に尊皇の志し高く駿州赤心隊を組織し官軍に参戦した。戦には勝ったが、駿河の国は大政奉還した徳川家の領地となり、郷里大宮(現富士宮市)には徳川家の御家人が入植した。赤心隊隊士であった神官が襲撃され、殺害されるなど旧徳川家臣による蛮行に生命が脅かされる状況となった。
窮状を政府に訴え田結果、救済策として維新の戦乱でなくなった兵士を慰霊する東京招魂社が作られ、多くの隊士がここに奉職した。
これが靖国神社の前身だ。



1200年以上昔から江戸時代末期まで浅間大社の宮司職を努めてきた富士大宮司家の居館跡を示す芙蓉館の碑で、富士宮市民文化会館敷地内にあります。

碑建立のいきさつを、碑文は次のように語っています。
「富士亦八郎が東京に移った跡、かつて富士氏の住んだ芙蓉館も日に日に荒廃の一途をたどり、その一部は耕地と化し、また他は狐狸の窟となり、ありし日の 面影は消え去ろうとしていた。亦八郎はこうした先祖伝来の由緒の地が消え去ろうとすることを恐れ、これを永久に記念するため、この碑を建てようとした。」

富士亦八郎重本の無念を思い起こさせる。