ふるさとの山に向かひていうことなし ふるさとの山は懐かしきかな

 

啄木の歌だ。

 

この石川啄木の短歌に「千の風になって」の作者新井満氏が曲をつけ、教員時代の啄木が弾いたというオルガンで啄木ゆかりの渋民小学校の土橋理佳先生が伴奏し、生徒達が斉唱しているそうだ。

 

異郷にありて思うのはふるさとの山の姿。

ふるさとにいるとそこにあるのが当たり前で有り難みを忘れがちだが、それを感じるのは大きな悲しみや悩みにぶち当たった時だったりする。


私にとってのふるさとの山は、まぎれもなく富士山だ。

 

その懐に街を抱き、いつも静かに見守っている。

その姿に大いなる母性を感じていたものだ。

 

 

 

そんな富士の姿に亡くなった親を重ねてみる。

見守られていた幸せに気付いたのは、やっぱり失ってからだった

父が亡くなって感じたのは「思ったほど不良ではなかったな」ということ。

生前はあまり好きでなかったはずの親父と、知らず知らずに同じ事をしているのに気づくことが多々ある。昔だったらイヤだっただろうが、今はそんなにイヤではない。

 

先日亡くなった友の生き方は「誠実に、穏やかに、そして凛として」だった。

そんな言葉に、ふと富士山の姿が重なる。

 

これからは富士山を見るたびに、友の事を思い出すのだろうな。

まさに誠実で穏やかで、凛として気高いスターだった。

ご冥福をお祈りします。

 

合掌