sakura

 

再開したスナック猫目屋には待ちかねた馴染みの客が押し寄せた。
とは言っても数は知れている。マスター一人で丁度良いくらいだ。


四方山話の中で、触れないつもりでもついつい亡くなったかみさんの話になる事がある。
客も気がつくと話題をそらせていたけれど、マスターが笑って話せるようになるにははまだしばらく時間が必要で、ようやく気兼ねなく話が出来るようになったのはもう一月ほど後のことだった。

遠慮がちなてっちゃんにマスターが言った。
「いちいち気にしなくてもいいさ、もう大丈夫だ。」
マスターとおかみさん、てっちゃんは幼なじみ。
思い出話にはいやでもおかみさんが顔を出してしまうから、これでは話の種が無い。
「そうか」
笑いながらてっちゃんが話し出した。
「おまえが血相変えて俺を追いかけたこと、憶えてるか?」
「おまえが法事で帰ったときだったな。」
「あの時のおまえはなんだか恐ろしかったぞ。」
「そうかもな」
「鬼みたいな顔をして追いかけてくるから、こっちも必死で逃げ回った。」
「なっちゃんに会ってくれーってね。」
「だから逃げ回りながら、なっちゃんちに行ったんだ。」
「すぐおまえが来たけど、隠れてた。」
「いないと思って、また飛び出したんだ。」
「その後なっちゃんと話したんだ。
おまえがなっちゃんと話せって追いかけ回してるって。」

母親の七回忌の法事で久しぶりに帰省してみると、笛の師匠だったまーちゃん(マスター)の親父さんも何年か前に亡くなっていた。墓に参った時まーちゃんのお袋さんに会い、笛を習いに訪れていた頃の話になった。
「あの人はね、あなたが良い笛吹きになるって楽しみにしていたんですよ。」
申し訳なさに墓前に深々と頭を下げた。
あんな大喧嘩にさえならなければ、憧れつづけた笛吹きになってふるさとを離れることもなかったろうに。
その後だ、お袋さんから話を聞いたまーちゃんが血相替えて追いかけてきたのは。
逃げ回ったあげくに飛び込んだなっちゃんの店は、お袋さんが続けてきた子供相手の駄菓子屋で、奥に置いた鉄板でお好み焼きや焼きそばを焼いて食べさせる店だった。お袋さんは買い出しで留守だったが、久しぶりに会ったなっちゃんはずいぶん綺麗になっていて、話を聞くと笑って言った。
「何勘違いしてるんだろうね。
てっちゃんは確かに小さい時からの憧れだけど、所帯を持ちたいと思ってるのはまーちゃんなのに。」
正直うらやましかった。
「あいつに伝えようか?」
「大丈夫、自分で言うわ。」
「次に来る時には子供が居るかな。」
「かもね。」

「そのまま電車に乗ったんだ。」
「その夜の事だ。のれんを仕舞ってからあいつは切り出したよ。」「てっちゃんに会ったよ。久しぶりに話したけど変わってなかった。
でも憧れは所詮憧れね。息が詰まるもの。
所帯を持つのなら、やっぱり空気みたいな人が良い。」

そう言うと、前に座り居住まいを正して話し出した。
「いつもいつも守ってくれてありがとう。
あたしを、」

「ま、待て!俺に言わせてくれ。」
かしこまって、声を絞り出した。
「嫁になってくれ。」

「何年待たせたことになる?」
てっちゃんが問うと、
「あの喧嘩騒ぎの後、おまえのお袋さんが亡くなっておまえが東京に出て行っただろう。
多分そこからだから、七回忌でまるまる6年か。
「6年もか、もったいない。」
6年早かったら子供だって授かったかも知れない。
結局子供をあきらめ、マスターの実家を次いだ弟の次男坊に後を託す事にした。
養子のような物だが同居でも別居でもなく、あるいはどちらでもあるようなゆるい関係。
家が二つあるような物で気ままに行き来をし、どちらにも要領よく甘えている。

「でも、追いかけっこも無駄じゃなかったんだ。」
横から香代が言った。
下部で知り合った娘、名は香代という。
あの後、浅間大社に参詣すると言って富士宮を歩き回り、気に入ったからとアルバイトを見つけてきた。
「で、住むとこないんだけど、居候させてくれない?」
「おいおい、仮にも男の一人暮らしに居候はないだろう。」
しかし、知り合いにアパートや下宿屋は居ない。
幸い店は二階で鍵もかかる。物置に使っていた店奥の三畳間をとりあえず空けた。
住まいは一階だからまあ間違いも起こるまい。
「給料貰ったらちゃんとした所探すんだぞ。」
それから共同生活が始まった。
居候だから家賃もない。
代わりに少しぐらいはと言う事で、仕事から帰ると洗い物と片づけを手伝うようになる。
するとなんだか若い客が増えてきた。
出しゃばるわけでは無く奥にいるのだが、
「いらっしゃいませ」
の声が小気味よい。
ある日の事、甥っ子のけん坊が血相変えてやって来た。
「おじさんどういうつもりなんだい!」
連れあいを亡くして一月半、まだ喪も明けないうちに若い娘を連れ込んだともっぱらの噂らしい。
人は口さがない者、言わせておけばいい。
しかし、そんなに伯父が信用できないか?
「馬鹿もん。俺がそんな事すると思うか。」
一喝した。
「一応紹介しておく。香代ちゃんだ。」
仕事から帰り、窓際で猫を撫でていた娘が立ち上がって会釈をした。
「今は居候ですが、アパートが見つかったら引っ越します。」けん坊は不意をつかれ、赤面しながら言った。
「いえいえ、焦らなくていいですよ。どうぞごゆっくり」
あたふたと逃げるように去った。
その晩からけん坊は店に皆勤賞。
なんだか昔見たような光景だ。

香代のおかげで新規の若い客が増え、一人ではどうにも手が回らなくなった。
聞けば香代は以前喫茶店で働いていたというので、正式に働いて貰う事になった。
「ホットケーキやピラフは得意なんですよ。」
店のメニューも増えた。
一方けん坊は酔客から香代をガードしているようにも見える。
なっちゃんに虫がつかぬよう、毎晩通っていた自分の姿が重なる。焦るなよ。焦って追いかけると逃げられるぞ。
内心そう思いながら、若い日の自分を見る想いでてっちゃんと二人で見守る事にした。