
facebook仲間の神主さんから、本日正午をもって閉山となり奥宮も戸締めされるとの投稿がありました。いよいよ閉山と聞き、寂しい思いでいっぱいです。

今年は10日間山頂でお世話になり、沢山写真も撮ることが出来ました。
心より感謝申し上げます。
滞在10日目の満月の未明に、撮りたくて撮れなかった数多くの写真をまとめて撮ることが出来たのは、単なる偶然じゃ無かったと思います。
まだ撮りたい写真もあったのですが、台風でまごまごしているうちに登山期も終盤。

登山を断念したとたん、気の緩みからか足を捻挫してしまいました。
今年こそ登るんだと決意してから、8年前の囃子奉納登山の際下山で傷めた左膝、昨年秋から傷んでいた左肘、7年前から踏ん張れなくなった左足など登山の障害となる症状も多々ありましたが、登山を前に嘘のように消え失せました。
まるで申年小縁年、奥宮竣功などで賑わう富士山頂に誘われたみたいです。
そしていよいよ山頂を去るその日に、撮りたかった最高の景色を見せて貰いました。
滞在中、竣功奉告祭や奥宮・久須志神社の例祭なども記録し、山頂の風景なども見て歩きました。
以前浅間大社所蔵のガラス乾板を複写しポジデータに変換したことがありましたが、明治大正から昭和20年代くらいの写真の中に富士山頂の写真も多々見られました。
あらためてそれらと比較すると色々と興味深いものも見えます。
・昔の金明水や銀明水の脇には石で囲まれた小屋がありましたが、現在はささやかに鳥居と囲いぐらいです。
・三島ヶ岳(俵石)と書かれた写真の石も現在の富士宮口頂上から見られ、一部剥落した部分が見られる物のほとんど変わりありません。
・山頂火口周囲の山々を見れば、測候所が作られた剣が峰以外は特に変わりも無いようです。
・富士講盛んな頃と今のお鉢巡りとでは、巡る意味合いも違っているでしょうし、コースもより安全な所を通るようになっているようです。昔のガラス乾板に「外輪廻破石登攀」の写真がありました。
白山岳の剣が峰側に「シャカの割れ石」と呼ばれる岩塊があり、今ではお鉢巡りのコースから外れていますが、ガラス乾板撮影当時はこの外側を登っていたようです。白い登山装束の一団が険しい岩場をよじ登っているのが写っていました。
乾板の写真を紹介するには浅間大社の許可が必要ですが、昔の富士山頂と今の富士山頂の写真の対比も面白いと思います。
許可が得られたら整理してご紹介したいと思います。
今年撮れなかった物を撮るために、来年も富士山頂を目指します。
富士山山開き : へんぽらいの祭り談義