遠音という物語をwebに発表しました。
原稿用紙100枚程度の創作です。
長年関わって来た富士宮まつりと富士宮囃子を題材に、祭りをいかに残し伝えるか、いかに関わりいかに個々の祭を終えるか考えてみました。

遠音 祭りが終わる時

遠音 祭りが終わる時 目次

目次にはジャンプ出来るよう章ごとにリンクし、簡単な解説をつけました。



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4.別れ解説より

墓参りした人は何に向かって祈るのだろうか、墓地?墓標?それともお骨?
墓標は標(しるべ)に過ぎず、お骨は抜け殻に過ぎない。
亡き人を極楽浄土や天国に引き上げてくれと神仏に祈るのか、亡き人を思い浮かべて語りかけるのか。

標が無ければ祈れない、という物でもあるまい。

死んだら無くなってしまうのだろうか、燃え残った骨(こつ)を遺して。
親交のあった人たちにはイメージが強く刻まれていて、何時だって思い出す事が出来る。
だから、誰かに思い出されるうちはまだ消滅していない。
実体は無くても、まだ存在しているんだ。

だから、君が思うとき、僕はそこに居る。
まだ消え去っては居ないんだ。