父親が亡くなってもう11ヶ月、1月には一周忌となる。
年賀欠礼のハガキも早めに送ったが、でも喪中とはいえ11月の祭りには参加した。

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昭和初期の祭りの写真だ。左の男の子が父親で、右の女の子が叔母、中央の男性が祖父だ。
明治29年に撮られた祖父が子供の頃の写真も残っているくらいだから、
代々お祭り好きな家系なのだろう。

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一般的には喪中に祭りなどに参加する事は遠慮する物だ。
だが地元の祭りも簡単に抜けるわけにはいかない台所事情があるし、
何より父親自身がお祭りをとても愛していたから、出なかったらむしろ悲しむだろう。
出るのも供養の内だと割り切って参加した次第だ。

叔母の葬儀の時に葬儀社の人に聞いた話だ。
葬儀の後に一般的には初七日を行うのが通常だが、富士宮市では四十九日を行う事が多い。
これは浅間大社の門前町と言う特殊性が影響していて、
喪に服して神社への出入りを控えていては業務に差し支えてしまうから、
四十九日を葬儀の後に続けて行う事で忌み明けとしたのではないかとのこと。

祭りが穢れを嫌うというのは、「穢れ=気枯れ」つまり、
気持ちの落ち込んだ様をハレの場に持ち込むなという意味合いのようだ。

要は出る人間が納得して、元気に祭りを盛り上げれば良いんじゃないか。
実際、周りを見回しても、身内の不幸で祭りに出なかったなんて人は殆ど居ないものだから。