へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

回想

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

アルデバラン食と月夜の徘徊

新年月初め : へんぽらいの祭り談義

新年早々月の話題に事欠かない。

金星、火星とのランデブー、月面Xと続き、今度はアルデバラン食。

アルデバラン食

富士宮市宮町自宅庭から、時計が合っていればどちらも1月10日0時0分の撮影です。

左が隠れる寸前で右が隠れた後。
ほとんど続けてシャッターを切っていましたので、一瞬にして消えた感じ。

実はこの夜滅多に出会えない体験をしました。
望遠で月を狙おうと三脚にカメラをセットし、ファインダーで月を探していた時でした。
月を捉えた瞬間、月面を旅客機が横切っていったのです。
左手はカメラとレンズを支え、右手は自由雲台のクランプでしたからシャッターを探す程の余裕もありませんでした。
離発着の多い空港周辺では無く、富士山周辺ゆえ飛ぶ飛行機は多少大いにしても月と重なる事自体が稀な事。
そしてそれが月を捉えた瞬間だというのは、まさに奇跡的でした。


月と飛行機と言えばもう一つ思い出します。
夜、祭り準備で区民館に向かう時でした。見上げれば満月が煌々と照らしています。
その月面に2本の電線(そう見えました)がかかっているのですが、いつも見る電線よりはるかに高く電柱の高さから見てもあり得ないところに見えました。その線をたどってそれが飛行機雲だとやっと気付きましたが、道路脇の電線と偶然平行だったのが飛行機雲を電線と勘違いした原因でした。



月を見るようになったのは月明かりで夜景の背景に富士山が写せないかと思った時です。
満月の師走深夜、近くに民家もなく明かり一つない羽鮒山展望台にでかけました。
山林の中を進むのに、樹間から射す木漏れの月明かりがとても心強く思え、時々ライトを消してみたほどです。

月夜の徘徊が始まったのは、それからでした。



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月明かりで見る富士山の姿です。
雪化粧が月明かりに映えます。
2015.11.28 富士山水が塚駐車場より



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充分露出をかけると昼間と見間違えるようにも撮れますが、そこはほどほどに。
この写真では虹が見えるように明るく処理しています。滝壺に架かる虹は月光によるもので、月虹(げっこう)と言います。
2015.11.27 富士宮市白糸の滝にて


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2017.1.12 満月の夜、久しぶりにこの羽鮒山展望台を訪れました。

満月前後は明かりがなくても足下が見えます。
ライトを消しても不安を感じないほどで、月夜に狸が浮かれ出ると言われるのも判る気がします。

私が月に惹かれるのは、うさぎ年生まれだから?



富士宮には何度も訪れコンサートを開いているソンコ・マージュさんの、歌と演奏「トゥクマンの月」をご紹介します。
アタウアルパ・ユパンキ作詞作曲のフォルクローレの名曲で、多くの歌手によってカバーされています。ソンコ・マージュさんはユパンキの弟子でその高い音楽性を認められ、ユパンキから愛用のギターの名器(ヌーニェス)とともにソンコ・マージュの名を贈られました。

亡くなった叔母が生前親しくしていただき、弟の結婚披露宴でミニコンサートをしていただいたのが良い思い出です。

花火の事故

花火市場で爆発、29人死亡=「全部吹き飛んだ」―メキシコ (時事通信) - Yahoo!ニュース


どうやらテロでは無く事故のようだとか。

規模こそ違いますが、お祭りの花火を売っていた露店の火事に遭遇した事があります。
こちらがその時撮ったビデオです。

28年昔に吉原祇園祭を見に行った時です。
通り過ぎる山車を見送った後、それは起きました。

いただいたコメントによれば、この祭りではこれ以降露店での花火販売は禁止されたそうです。
楽しむための花火も一つ間違えば大きな事故になります。

気をつけましょうね。

祭りのあと

作詞家の岡本おさみさんが亡くなって今日11月30日が1年目だそうです。
本日、11月30日は吉田拓郎の盟友である作詞家・岡本おさみの一周忌|大人のMusic Calendar|大人のミュージックカレンダー


吉田拓郎をリアルタイムで聴いた世代ですので、その名前は拓郎の歌と共に記憶しています。
「襟裳岬」「ルームライト」「旅の宿」など多くの曲がありますが、中でも「祭りのあと」は大好きな曲です。

かつて、この曲をBGMにした素敵な祭写真のスライドショーがYoutubeにアップされていましたが、著作権侵害が報告された物かアカウントが削除され見られなくなりました。


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昂揚の後醒めて思う寂しさ、祭りに関わる者は祭りに対する思い入れも深い。
それぞれがそんな思いでスライドショーを作ったら、素敵な物になるでしょうね。

単なる権利の侵害でそんな思いの詰まった作品が削除されるのは、何とももったいないと思います。
スライドショーで歌の良さが何倍にも増幅され、多くの人にアピールされる。
レコード会社の権利の主張でそんな機会が奪われる方が、よっぽどマイナスなんじゃ無いのかな。



地元の祭りのスライドショーで、著作権侵害で削除されぬようにBGMは付けてありません。
でも、吉田拓郎の「祭りのあと(4分21秒)」の手持ちの音源がありましたら、聴きながらスライドショーを再生していただくと良い感じで楽しめるかと思います。

祭り現場を卒業すると決めた今、祭りの後の寂しさはまたひとしお。
引き継ぎや報告が終わったら、しみじみとこの曲を味わおうと思います。

卒業 - 踊る子供に思う : へんぽらいの祭り談義

鶴竜関優勝おめでとう!!

鶴竜 7場所ぶり3度目V!笑顔で「最高です」千秋楽残して確定 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

横綱鶴竜関が14日目に3回目の優勝を決めたそうです。

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浅間大社には平幕時代から節分の豆撒きに来ていたご縁もあり、昨年平成27年2月3日には土俵入りを奉納してくれました。
写真は鶴竜関の土俵入りを実現する会からの依頼で、私が撮影したものです。

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今年の節分祭には横綱が奉納されました。



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今年の豆撒きでの横綱鶴竜関です。

卒業 - 踊る子供に思う

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踊る子供を見て思い出したことがあります。


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昭和48年の初参加から平成28年まで続けてこられたのは、祭りを喜び楽しむ子供たちが居たからでした。
言い換えれば、この踊る子供の笑顔に引き留められて、抜ける時期を逸したのでした。



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私が青年長を承った頃は、青年がわずかに3名というどん底の時代でした。
祭り当日に準備が出来ていないという悪夢にうなされ、それから仕事はそっちのけで祭り準備に注力しました。でも充実感より虚しさばかりがつのります。


そんな時、踊りを真似る幼子の幸せそうな笑顔を見ました。
この子等のためなら続けるのも悪くないか。

そう思えたのが目から鱗が落ちた時でした。


貴重なメンバーが欠ける事もあり、その度に大きな穴があいたように思います。

不思議なことに、修復不能に思えたその大きな欠損もなんとか埋め合わせられるようで、祭りは自分で修復する力を持って居るかのようにさえ思えます。
実際は祭り仲間が力を合わせてその穴を埋めているのですが、祭り自体がまるで自己修復能力を持った大きな生き物のようにも感じられるのです。

だから祭りは続くのでしょう。

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思い上がりか知れないけれど、自分が抜ければ祭り実施にどれだけのダメージがあるのだろうと思うことがあります。
でも抜けた後で何事も無かったように穴が簡単に埋められていたら、それまで関わってきた自分の存在が否定されるような気がして、この祭りから抜けることもなかなか出来ませんでした。

でも、それでは後進が育たない。


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決して多くは無いけれど、青年がわずか3名というどん底の時代と比べれば祭りの仲間はそれなりに居ます。仕事や役割だって、皆で分担すればそんなに負担にもならないでしょう。


子供達の夢中で踊る姿が、きっと力を与えてくれる。
それがやたらと目についた今年が、次の世代に託す好機なのでしょう。
案ずるより産むが易し、大丈夫、何とかなるものだと言われた気がします。


今は思い残すこともありません。
後進に後を託し、今年の祭りをもって現場から卒業します。

頑張れ!!みんな。


蛙の子踊る!! : へんぽらいの祭り談義

いつか見た光景

中日(湧玉宮本では最終日)の引き回しを終えて会所前に帰った際、囃子の先輩に会いました。
昨年会った際には病状の悪化が見て取れるほど弱々しく見えたのが今年はずいぶんと恢復し、明朗快活な昔の先輩に戻ったように思えました。

ふと思い出したのは、私がまだ現役の笛吹きだった頃のことです。
T字路の枝道だったから三区の競り合いだったと記憶していますが、まさに競り合いが始まろうという時にバッグを置き忘れたと言って山車に乗ってきたのが囃子の先輩。後にしてと言うも聞かず、競り合いが始まってしまい、仕方が無いのでしゃがんでいてくれと言って競り合いに集中しました。その間先輩は囃子場の中ほど少し後ろに胡座をかき、目を閉じて競り合いを味わうように聴いていました。

私が笛の手ほどきを受けたのが、この先輩でした。
囃子を始めたのはそれより数年前でしたが、この先輩が笛を吹くのを見たのはたったの数回。
当時は気まぐれな笛吹きのために、囃子はほとんど笛の無い状態。

それでも先輩が競り合いで笛を吹いた貴重な8弍撚茲残っていました。

昭和54年頃の松山区との競り合いで、松山の屋台上から撮られたものです。
宮本の屋台の中で笛を吹き、顔こそ見えませんが時折笛の音が聞こえます。
競り合いを終えての三本締めで、初めて画面中央の上辺に先輩の顔が見えました。


その後昭和57年に、屋台は山車に復元されました。
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笛を湧玉会の有賀さんにお願いしたのは、笛吹きである先輩がもう祭りに出ない状況だったからなのかな?先輩が競り合いで笛を吹いていた時代は競り合いが自粛されていた時代で、昭和50年頃から自粛緩和の萌しがようやく見え始めたところでした。

せっかく山車が復元されたというのに、山車での競り合いは経験することが出来なかったことは囃子方としてとても大きな心残りだったのでしょう。



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今回は競り合い前に山車を下りそびれて、こんなすてきな場面に出会えました。
元囃子方にとって競り合いの囃子場は夢の場所なのかも知れません。
今思えば、先輩が嘘をついてまで乗り込んできたのも判る気がします。

卒業を前に最高の経験が出来ました。


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こう言った記念撮影を撮るのも、今年が最後かな。



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お姉様方、お疲れ様でした。









湧玉宮本と湧玉琴平 : へんぽらいの祭り談義

ご冥福をお祈りします

女性で、世界で初めてエベレスト登頂に成功した登山家の田部井淳子さんが20日、亡くなられたそうです。

登山家・田部井さん“最後のラブレター”(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース
今年7月、高校生を連れて登った富士山が、約60年におよぶ登山人生の最後の山となった。


記事より*******************
田部井さんが、この数年力を入れていたのが、東日本大震災で被災した東北の人たちの支援。「自分の足で歩く喜びを知って欲しい」と、毎年、東北の高校生と富士山に登る活動を続けてきた。
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登られた日が7月27日で、この日私は奥宮の竣功祭を撮影するために富士宮口の山頂に居ました。




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7時46分頃山頂すぐ下の鳥居の前で、日の丸に大きく文字を書いて激励している人が居ました。日の丸の両横の文字は東北だと読めます。
日の丸の旗を持った方が、東北の高校生が登ってくるのでと他の登山者に声援をお願いしていました。



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この時高校生の隊列は9合から9合5尺、これからが最後のがんばり所です。
すぐそこに山頂の鳥居が見えていても、行けども行けどもなかなかたどり着けないという急峻な難所です。



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奥宮の竣功奉告祭が始まるまで時間があったので隣の三島ヶ岳に登りました。
9時44分頃、奥宮西のこのしろ池周辺で、その高校生と思われる一団が休憩していました。

この登山隊が田部井さんが率いる福島県の高校生だと知ったのは、下山して見たネットニュースでした。この写真の中に田部井さんが居たのでしょうか。


この登山が、田部井さんの最後の登山になったそうです。

訃報はこの様に紹介していました。
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【最後の登山は7月の富士山】

■田部井さんが、この数年力を入れていたのが、東日本大震災で被災した東北の人たちの支援。「自分の足で歩く喜びを知って欲しい」と、毎年、東北の高校生と富士山に登る活動を続けてきた。

■しかし、今年7月、高校生を連れて登った富士山が、約60年におよぶ登山人生の最後の山となった。
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記事はこうも告げています。
4年前、腹膜のガンが判明し、余命3か月を宣告されていたと。


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一緒に登った高校生達には、生涯忘れることの出来ない思い出になるでしょうね。


ご冥福をお祈り申し上げます。



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久しぶりの富士山は朝はうっすらと冠雪していましたが、11時には雪はほとんど消えてしまい、かすかに窪みに残るぐらいでした。積もっては溶けを繰り返しやがて定着しますが、お祭りに雪化粧しているか否かは五分五分くらいかな。希望としてはやっぱり雪化粧が良いのですが。


富士宮市教育委員会が制作した8弍撚茵嵬餌無形文化財 富士宮ばやし」は、私にとっては特に思い出深い映画です。我が宮本区が協力したこともあり、私もいろんな所に顔を出しています。

以前8弍撚茲らVHSのビデオに落とした物をパソコンに読み込み、DVDに焼いた物もありますが、パソコンが代わるうちに最初に取り込んだデータの所在が判らなくなりました。3分割したデータのみが見つかりましたので、Youtubeにアップして誰でも閲覧出来るようにしました。
37年昔の祭りが映っているほどの古い映画ですが、学ぼうとする物には貴重な資料です。


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冒頭の解説部分を抜粋したものです。解説に続いて富士宮ばやし保存会「湧玉会」による演奏が記録されています。村山浅間神社で冬場に撮影されたそうで、背景の日陰部分には雪が映っていました。
撮影されたのは「富士宮キネマクラブ」の皆さんで、撮影時に会員の息子さんがこのお囃子を録音していましたので、その録音をコピーさせていただき、繰り返し聴いては手探りでお囃子の笛を覚えました。



宮参り

この年、昭和54年は暴力団とテキ屋の抗争により祭りに露店の出店が無かったので、境内の露店の賑わいを楽しむ人たちには寂しい物だったでしょう。宮参りの部分には露店の無い浅間大社境内を進む各区の行列が映っています。そして浅間大社拝殿前での式典と奉納囃子が続きます。



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引き回し部分を抜粋しました。
宮本区は山車に復元(昭和57年)する前でしたからまだ屋台で、神田区さんも山車の復元は同じ年でしたからこの年はやっぱり屋台です。神立区さんも当時は屋台でした。高嶺区さんは当時も今も屋台ですが、新しい屋台に代わっています。松山区さんも当時は屋台でしたが、その後以前持っていた山車を再入手し、屋台は城山区に譲られました。

長年自粛されていた競り合いが再び行われ始めたのがこの頃で、宮本区と松山区のシンプルな競り合いが記録されています。

締めくくりは踊り。この祭りには欠かせません。


山車屋台の新造などで、不要になった古いものを譲り受け祭りを始めたところも、それを改造したり新たな山車を新造したりして今では20区が引き回しを行っています。
54年の祭典実施区が10区だったことを思えば賑やかになった物で、37年という時の長さをしみじみと感じます。



少年老いやすく : へんぽらいの祭り談義

屋台、浅間大社に入る

今年富士山頂滞在で、山頂の警備をされていた方と話す機会があり、昔話を伺いました。
昔富士宮市の高校で何年か教師をされていたそうで、その当時の教え子達と今でも親交があるのだそうです。
その時代というのが暴力団とテキ屋の抗争で祭りに露店が出なかった頃との事。
そんな年があったのを思い出しました。

まさにその年の写真がこれです。
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昭和54年11月3日、湧玉宮本は露店の出ていない浅間大社楼門前馬場に、屋台を曳き入れて記念撮影をしました。いつもの祭りならこんな事は出来ません。境内には露店がひしめき、屋台が通れるような通路はありませんから。

おまけに境内馬場に入るには、西門鳥居の内側に石段があります。まずここを屋台で下りようとは、誰も思わないでしょうね。
でも、我が町内はこの屋台で石段を下りたのです。引き綱を後ろに回し、暴走しないように慎重に梃子棒で1段ずつ下ろしたのですが、後ろで必死に綱を引いたのでなかなか進みませんでした。
ようやく階段を下り、楼門前の馬場で記念撮影したものです。


この西門の石段は大正年間の浅間大社(当時は浅間神社)大改修で作られた物です。
西鳥居西側に土を盛り境内と区切ったと聞いています。西鳥居北側にあった第三分団詰め所前を下水道工事で掘った時、道路2メートルほど下に石畳が埋まっていたと工事業者から聞きました。
新たに出来た西鳥居から南の現在の宮町商店街まで続く坂道を「新坂」と呼ぶのは、このことに起因している物でしょう。

宮本大正4年大社馬場

大正4年に我が町内は「湧玉御幸」という新たな祭り組を作り、山車を新造しました。その時の記念撮影です。この写真も浅間大社馬場まで山車を引き入れていますが、それが出来たのは大改修前で西鳥居の石段はまだありませんでしたから。



100年後(平成27年)の記念撮影です。
集合

祭り組の変遷から名前「湧玉御幸」は「湧玉宮本」に変わりました。
でも大正4年に作られた山車の土台の足回りは現在まで引き継がれていますので、この山車にとっては100年目の祭りになります。
祈祷殿前まで引き入れ、踊りを奉納して記念撮影を行いました。
馬場に引き入れるには坂道を下りなければなりませんし、露店が出店していればとても通行出来ません。でも祈祷殿前なら、楽に入れます。



祭りの曳き回しをしていたのに露店が出なかったのは、私が祭りに参加し始めた昭和48年以降この54年だけです。当時私は28歳でしたから、この方とは歳が近いのかもしれません。
かなり先輩かと思ってましたが、失礼しました。


今年もいよいよ祭りの準備が始まりました。
10月になればお囃子の練習が始まり、祭り気分は徐々に盛り上がります。

祭りが終わるまで年寄りとしては常に目を配り気を配らねばなりませんが、それを楽しまなくては。


今年も好天に恵まれ、無事に終えられますように。



平成27年富士宮まつり中日曳き回し湧玉宮本-2 : へんぽらいの祭り談義

ビビ心境の変化

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暑さも去る彼岸に入り、おまけに台風接近で肌寒さを覚えます。
暑い時には寄りつかなかった猫も、人の傍に寄ってくるようになりました。

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今日は私の膝に前肢を乗せてきましたから、寒いのでしょう。

ビビがうちの子になって4年経ちます。
ちょっときついところがあり、母親とはなかなか馴染まなかったので折り合いの悪かった祖母の生まれ変わりか?とも思いました。そう言えばシラスが好きなのも祖母との共通点で、ビビが釜揚げシラスを夢中で食べる姿に、子供の頃行商のおばさんから試食を勧められた祖母が美味しそうに食べていたのを思い出しました。
そんな感じで母に寄りつかなかったビビが、珍しいことに昨日は母の枕元で寝ていました。
以前は母は離れで暮らしていたので馴染みが薄かったのが、最近母屋に同居するようになってやっと馴染んだのでしょうか。

秋雨で冷えを感じ、人肌の温もりが恋しかったのかな。
祖母の生まれ変わりでは無かったのかも。


ビビの大冒険 : へんぽらいの祭り談義

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