へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

お浅間さん

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

デジタルデータの危うさ

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祖父の代から祭りには深く関わっていたようで、昭和初期の写真が残っている。
祖父と父と叔母であるが、三人ともすでに故人となってしまった。変色したとはいえ紙焼きしたものは、やはり大事にすることもあり、しっかりと残っている。

昨今の銀塩からデジタルへの急激な移行は、写真業界にも予期せぬほどの大きな影響を及ぼしている。撮影枚数が増えたことと、紙焼きしないでもモニタやテレビの大きな画面で見ることができること、不要なものは簡単に削除ができること、フィルム代や現像料を気にせずに多くのカットを撮ることができるなど、今までのアナログ写真になかった便利さがあるからだろう。

しかし、デジタルデータはいつ消滅するかわからないという危うさは、まだまだ実感されていないことだろう。かくいう私もその一人だった。何度かハードディスクのクラッシュで、データを失ったにも関わらずだ。
ハードディスクはクラッシュするもの。画像編集では内蔵メモリだけでは足りないので、ハードディスク上で画像データを頻繁に書き換えることから、画像編集に使うハードディスクの寿命は短く、私が始めた頃には1年ぐらいで壊れることが多かった。内蔵ハードディスクが500MBと今では信じられぬくらい容量は小さくよけいに負担が大きかったこともあろう。何度かそれでデータを失っている。

どうしても保存データは外部メディアに記録しておく必要があった。初期に使用したのはMO(光磁気ディスク)だった。メディアの寿命は半永久的というふれ込みだったが、3-4年もするとデータが読み出せなくなるという事例が頻発した。それがCD、DVDと変わっては来たものの、それとて何年もつものかは未知数だ。音楽CDでも古い物が劣化して、再生できなくなった例はよく聞く。

80年ほど前の写真が今でもしっかりと記録を残していることを思うと、デジタルデータはとんでもなく危うい。記録メディアやハードディスクは一瞬で壊れることもあり、起きたときには取り返しがつかないものだ。いつでも見られると思っていたものが、簡単に消滅してしまう。そんな危険を避けるためには、大事な写真だけでも必ず紙焼きすることだ。DP店で写真に焼くのもよし、顔料系インクジェットプリンタで出力するのもよし、とにかく物にしておくことが重要だ。

遙か昔に石に刻んだ文字が今日まで形をとどめていることを思うと、デジタルカメラの便利さの裏にある危うさは心しなければならない。
子供の頃の写真はみんなデータが消滅して、すり切れたようなプリクラしか残っていないなんてことが、実際に起こり得るのだ。

先日、ソフトがクラッシュした後、ここ2年分の貴重な写真データが消えた。編集の済んだ物は別のハードディスクに保存してあったので、まあよかろうと思ったら様々な催しの記録もweb用の縮小データしか保存されておらず、失った物の多さに顔色を失った。この2年間サイトで紹介するために駆け回って撮り溜めた多くの写真データが一部のweb用縮小画像しか残っていないのだ。
誤って削除されたデータの復旧を模索し、復旧ツールを探しては見た物の、RAID5で動くLANDISKとなると一筋縄ではいきそうもない。ハードディスクのクラッシュからデータを守るための方策が裏目に出たものだ。
業者に依頼するしかないかと思いながら、それでもと考えてみた。一瞬でフォルダが消えるのは考えにくい。ゴミ箱には見あたらないから、どこかのフォルダに誤って入ってしまったのではと考えてあちこち開いては見たが見つからなかった。最後の手は消えたフォルダ名でのコンピュータ内の検索だ。するとフォルダのエイリアスとともに、消えたフォルダを見つけることができた。通常表示されない.TrashesというLANDISK上のゴミ箱フォルダに入っていたのだった。
そのゴミ箱から元のディレクトリに戻すことで、消えたデータが一瞬で復活した。

デジタル化は世の流れ、逆らうこともできないがデータ管理には一層の慎重な管理が求められると痛感した次第だ。まして、業務のデジタル化ともなれば、撮影データの安全な長期保存は一番の課題だ。

大事な物を失わないためには、それを目に見える形にすること。
色あせた写真がそれを教えてくれているようだ。

秋空晴れて

雨降りは憂鬱でどうも苦手ですが、それだからこそ雨上がりの爽快さが際立つのでしょう。

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中央図書館から富士山を見る。

うっすら雪をかぶった富士山も雨上がりならではのこと。
秋空の雲も爽やかです。

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酔芙蓉と秋の空。

いよいよ蕾の数も減り終期も近づいてきましたが、
昨日咲いた花も色づいたまましぼまずに残り、なかなか賑やかです。

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浅間大社境内の銀杏。

少し色づいてきました。

台風一過

台風は去ったとは言え朝方は雲も多く、富士山がくっきり見えたのは午後になってから。
フェーン現象なのか、気温は上昇して夏に逆戻りの感あり。

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大鳥居越しの富士山。
鳥居には鳩がいる。

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神田川からの富士山。

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楼門と空。
少しずつ秋が忍び寄っているようだ。

春近し!

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うっすら霞んではいるものの、富士山は見えています。
ここのところの雨降りは山の雪を厚くしました。

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拝殿西の寒桜が咲いていました。
20・21日の夜。囃子の練習があった時に花が咲いているのにメンバーが気付きました。

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今日は友引の日曜日とあって、拝殿では結婚式の真っ最中。

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朝には馬場で選挙の事務所開きがありました。

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来週は三月の第一日曜日なので、富士宮市に春を告げる恒例の「鱒釣り大会」がこの神田川で行われます。
昔はかなりの混雑で、釣り糸をからませるオマツリが頻繁でしたが、近年はゆったりと楽しんでいるようです。

節分祭 2月3日

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節分祭の朝ご祈祷に出かける。
西門の前から偏光フィルターのテスト。
左がフィルターなし、右がフィルター有り。
フィルターの効果で空の乱反射が抑えられ、左祈祷殿屋根の銅板の反射が弱められている。

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拝殿での祈祷を待つ人たち。

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ご祈祷が終わり授与品を受け取る。

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鬼の面が配られ、甘酒が振る舞われる。

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休憩用にイスとテーブルが用意されていた。

夕刻の豆まきは仕事のために行けませんでした。

1月4日のお浅間さん

正月の晴れ着撮影も一段落し、誤配された神主さん宛のハガキを届けがてら浅間大社まで行ってきました。

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今日の富士山は雲に隠れたり現れたりでスッキリしない天気。

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さすがに4日の夕方ともなると初詣客も落ち着きましたね。

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水屋神社では若水をすすめていました。
わが家の井戸もたぶん同じ水脈なのですが、竹樋の水をいただきました。

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参道には露店が並び、まるで祭りのようでした。

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西門脇の石垣にちっちゃなタンポポが咲いていました。

新年を寿ぎ お祝詞を申し上げます

浅間大社に初詣に行ってきました。

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午前0時を期して太鼓が打ち鳴らされ、一斉にお賽銭を投げ入れる参拝者たち。

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参拝の人々。

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参拝の人々。

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拝殿右手で青年会が拍子木授与を行っていました。
祈願成就を祈って三本締めが高らかに鳴り響きます。

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祈願絵馬に願いを書く人たち。

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授与所ではさまざまな縁起物が並んでいました。

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楼門の上に月が顔を出していました。
3日の満月に少し早いけれどかなり丸くなっていました。

1200年祭3日目 流鏑馬

秋まつりの準備から片づけと多忙でしたので遅れましたが、11月29日に行われた1200年祭流鏑馬の報告です。

通常5月5日に行われる流鏑馬ですが、昔の記録によれば秋にも行われたことがあると言うことで、1200年祭の主要行事として行われました。

まず古式流鏑馬です。
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「馬改め」でどっと湧いたのは、古式流鏑馬奉仕者の「礼」に馬も頭を下げたからです。

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「行い」です。射手は弓を引き絞り、天を指して周り、地を指して周り。左前後、右前後の地を弓で狙った後に的を射ます。

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古式流鏑馬の「本乗り」です。
以前は旧来の形が再現できず簡略化されておりましたが、保存会が出来てから技術を磨き本来の形に復元すべく研鑽を積んでいます。馬で駆けながら矢を射るところですが、矢を射てから走り出します。

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5騎がまとめて馬場を走ります。

続けて小笠原流流鏑馬が行われました。
5月の流鏑馬では市内連行が行われるのですが、今回は省略されました。

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馬場入りです。
これから小笠原流流鏑馬が行われます。

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一の的で正射手の構え。

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正射手鈴木氏の妙技。
今回は2回走り、計4つの的全てを射抜きました。

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正射手3騎が終わると童子による母衣曳き(ほろびき)です。
赤い布を長くのばし馬場を駆け抜けます。

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その後門下生の騎射が20騎ほど行われました。
馬場元より走り出します。

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一の的、的中。

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二の的、的中。

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流鏑馬が終わり、神社本殿に向かい順次礼をして退き全ての行事が終了します。

1200年祭2日目 10月28日 へんぽらいの長い一日

1200年祭2日目の10月28日は拝殿で行われる奉祝祭に参列する日でした。

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朝早めに浅間大社境内を見に行くと同じく参列予定の石川さん兄弟と宮崎さんが明日行われる流鏑馬の馬場に砂を広げ整えているところでした。途中から神社の職員さん達も加わりましたが、早く着替えに帰るようにとせかされながらもぎりぎりまで作業を続けていました。

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祈祷殿前の舞台では市民田楽のリハーサルが行われていました。

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10時半から受け付けを済まし、いよいよ奉祝祭が始まります。
先ずは祓い所でお祓いを受けます。

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宮司の祝詞奏上

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奉祝祭が終わる頃、横浜浅間神社の神輿がお祓いを受けて境内を練り歩きました。

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参集所での直来を早めに切り上げ、古式流鏑馬の練習に駆けつけました。
朝早くから馬場に砂を撒いてならしていた宮崎さんと石川弟さんは流鏑馬保存会の会長と副会長です。
29日の流鏑馬で行われる古式流鏑馬の手順を確認し練習します。

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馬あらため練習

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行い練習

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本乗り練習

この間に舞台では奉納芸能が始まり、最初に昨日とおなじ雅楽がありました。

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続いて歌の奉納があり、最後に会場のみなさん全員で「富士山」を歌いました。

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「思えば千と二百年」の歌と踊りが続けて披露されました。

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小笠原流流鏑馬の方々の練習が始まりました。

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馬が疾駆します。

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市民田楽が始まりました。

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歌も踊りも太鼓も笛もそして笑顔も素晴らしかった。
田楽座の舞台には本当にしびれました。
 参考リンク:田楽座最高!

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そしていよいよ我らが富士宮囃子保存会の囃子披露です。
DVDのビデオに編集した秋まつりの様子と囃子の解説を背景のプロジェクターに映しながら、湧玉二の宮と保存会理事混成の2組で交互に囃子を披露しました。
残念ながら出演しておりましたので写真は撮れませんでした。
終わった後で楼門前で記念撮影です。

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太鼓をしまい、浅間大社に戻ると境内ではロウソクが並べられ燈回廊が行われていました。

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この段階で疲労はピークでしたが、小笠原流流鏑馬の総練習である流鏑馬式習礼(しゅらい)が参集所で行われますので、そちらにもおじゃましました。

やっと終わりましたが、この日の何と長く感じたことか。

でも朝早くから砂を撒き整地をしていた石川さんは燈回廊の片づけまで参加していました。
本当に一日ご苦労様でした。
ぽつぽつと降り始めた雨に、あすの流鏑馬の天気が気がかりでした。

1200年祭初日 10月27日

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始まりを待つ拝殿
午前11時から奉祝祭が行われる。

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高山市富士神社の闘鶏楽が拝殿前で披露された。

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鳶職による梯子乗り

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奉祝祭協賛芸能開会

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タイのナワミン高校生徒による民俗舞踊

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タイのナワミン高校生徒による民俗舞踊
富士宮市出身の佐野先生がこの高校で英語を使って日本語を教えていらっしゃるそうで、その縁での出演だという。

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浅間大社伶人による舞楽

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浅間大社伶人と大仁雅楽会による雅楽演奏

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浅間大社伶人による舞楽

そして市民によるさまざまな芸能の奉納が行われました。
一部をご紹介します。

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つくし太鼓

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箏曲

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富士宮市民踊会

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