へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

回想

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

卒業50年目のクラス会

富士宮市立大宮小昭和39年3月卒業の6年4組のクラス会を開きました。

この冬亡くなった恩師を偲び、まずは献杯。

昔話に花を咲かせました。

 

 先生の前任小学校へソフトボールの試合をしに行ったこと。

富士宮には珍しい雪が積もった時、授業を中止して中里山まで雪見に行ったこと。

毛無山や天使ヶ岳に登ったこと。

温厚な先生が激怒したのは、いじめっ子が執拗にK君をいじめたからだったとのこと。

なにせ50年も昔のことだから、皆が憶えているものがあればどうにも思い出せないものも。

 

病気治療中で参加できなかったクラスメートに、皆で寄せ書きを書きました。

 

参加者の住所を送っていただいたので、早速記念写真を送りました。

 

 

 

 

夏から秋へ

夕食を終えて外に出てみると、おや?と思った。

いつもはまだまだ賑やかだった、蝉の声がしない。

それに代わって、ヒリヒリとアオマツムシの声が聞こえる。

ようやく酷暑から秋めいてきたものかと、ほっとする。

 

 

いつもの巡回コースを歩いてセミを探してみると、羽化途中のアブラゼミに遭遇した。

いつもならまだセミの声が賑やかに聞こえている所なのだが、今日聞こえてきたのは樹上から降ってくるアオマツムシの声だった。

そういえば、初めてアオマツムシの声を聞いたのはこの市民文化会館が出来たばかりの頃で、この蝉が羽化しているそばのベンチで聞いたんだっけ。

 

ようやくセミから秋の虫へのバトンタッチかな。

 

 

 

遠音 ー 祭りが終わる時 その4 問答

どうやらいきり立っているのは梃子棒男一人らしい。

とすれば、ここは時間をかけて醒めさせるに限るな。

 

「物騒な出で立ちでうちの町内に何のご用かうかがいたい。」

 

「天下の大道を通るのに遮られるいわれはないはず。」

 

「祭りの三日間、祭りをやっている町内に祭り組が入るには、事前の連絡と許可が要るのを、まさか知らんわけではあるまい。」

 

「だからこそ袢纏を脱いできた。祭りの一行ではないからその必要はない。」

 

「ちょっとした用足しなら、袢纏を着てても咎め立てなど野暮はしないが、袢纏が無くてもダボに腹掛け股引とあきらかな祭り衣裳で、それに喧嘩支度で町名隠しとくれば、それこそ見過ごすわけにはいかない。」

 

「ならば、正式に許可を得たいので役員をここに呼んでいただきたい。」

 

いきり立つ梃子棒男にしては、今まで説得されていたのだからちょっと意外な展開だ。

 

「この夜更けに突然の申し入れとは、非常識にもほどがあろう。準備期間中に書面を添えて申し入れするのが筋合いだ。」

 

「緊急の用向きならば仕方なかろう。」

 

「ならば緊急の御用向き承りたい。」

 

「山車運行に使用する梃子棒があらかた破損した。材料を調達し明日までに準備せねばならん。見本を持っての買い出しだ。」

 

「この夜更けに押しかけられても店が困るだけだろう。急用ならなぜ車で行かぬ。」

 

「一日の祭りのあとだ。飲酒するなという方が無理。いくら祭りだと言っても、酔っぱらい運転では行けない。梃子棒も握りを加工しないことには使い物にならない。夜更けでも今行かなきゃ間に合わないのだ。」

 

「それにしては持参の梃子棒は別に痛んだ様子もないが、いったい何本の梃子棒を壊したものか。」

 

「うちは年に数十本の梃子棒を使う。」

 

「数十本を一日の運行で使い果たしたのか?」

 

「あるにはあるが、残っているだけでは心許ない。」

 

「ならば材料屋に届けさせれば良いだけの話。わざわざ他町を通って梃子棒を買いに行く必要も無かろう。」

 

年長者はじっくり間をおき慎重に言葉を選んでいるかに見えたが、本当のところはいきり立つ梃子棒を醒めさせるための時間稼ぎだった。

 

「梃子棒を専門に扱う所はない。まして梃子棒向きの太い細いがあるものなど不良品としてはねられるから、適当な物は自分で探さなければならない。」

 

「選んだら運ばせればいいだろうに、この頭数はどう言うわけだ。」

 

「一人2本なら持って帰れる。だから持ち帰って加工するためにこの人数で来た。」

 

押し問答もそろそろ種が尽きそうだという所に、ちょうど都合良くやって来たのは地元町内の若者。

 

「なにかありましたか?」

 

「なに、この夜更けに町内の通行をと申し込まれたので、用向きを承るには無理があると説得していたところだ。」

 

「祭典長も交渉長もとっくに会所から帰りました。」

 

「到底筋の通らぬこと故断固断わるのが本筋だが、一取り締まりの独断では気が済まぬだろう。多分家には帰っていないだろうが、居なかったら行きそうなところを覗いてみてくれ。」

 

走り出そうとする若者を呼び止め、懐から財布を出すと紙幣を1枚渡し耳打ちした。

 

「どうせ役員も捉まるまい。探すふりして帰ったらラーメンでも食って寝ちまいな。」

 

若者はふと気付いたように、袢纏を脱いで男に渡し走り去った。

 

「お!済まないな。」

 

走り去る若者に礼を言って袢纏を羽織り、こう言った。

 

「若いのが探しに行ったから、じきに来るとは思うがしばらくがまんしてくんな。」

 

物陰からは膠着状況にジリジリしながらマスター達二人が見守って居る。

 

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月齢は満月に近く、月明かりの下睨み合ったまま双方動かない。

このままどうなるのかと気をもんでいると、そこに現れたのはまさしく時の氏神だった。

 

「此処にいたのか」

 

どうやら青年たちの先輩格らしい。

 

「会所に差し入れを持って行ったら誰もいない。探したぞ。」

 

そう言うと、抱いてきた子供を梃子棒男に渡した。

 

「ホーラお兄ちゃんだ。」

 

眠い目をこすりながら抱きつこうとした子供が、若者の鬼のような形相に驚き、泣きながら父親の陰にかくれる。

 

「泣かすんじゃない!」

 

叱られた若者は狼狽し、いきり立っていたのもどこへやら。
言い出しっぺが腰砕けでは、一同これ以上突っ張る気分ではない。

 

「刺身が乾いちまう。行くぞ!」

 

促され、去る一団。

 

年長者がてっちゃんに歩み寄った。

 

「梃子棒は明日にします。申し入れは取り消させて下さい。」

 

「了解した。」

 

二人は顔を見合わせ笑みを交わした。

 

先輩格が言った。

 

「なにか不都合がありましたら私が承りますが。」

 

「いいや、何も起こらなかったのだから、何も無しだ。」

 

二人は一礼して去った。

 

橋の下流から現れた老人がてっちゃんに歩み寄る。

 

「有難うございました。おかげで無事に治まりました。」

 

「いや、手柄はあの小さな子どもです。
自分は通せんぼをしただけで、膠着状態にやっきりしていたところ。
あの子のお陰でいきり立っていた若者がいっぺんに醒めました。」

 

「あの子は私の孫で、父親が連れ出した時は、家人が青くなって心配しましたが、私は逆に何としても止めるんだというあいつの覚悟を確信しました。わざわざ修羅場を子どもに見せるほどのばかではない。」

 

「そうでしたか。」

 

「しかしそれにしても久しぶりです。いつこちらにおいでになりましたか?」

 

「おや、悪いことはできないものですな。素性がばれてましたか。」

 

「昔囃子をやっていた頃、おおどの玉を盗もうと苦労したものです。」

 

「昔ですなぁ。」

 

ふっと寂しげな表情を浮かべたのを、老人は見逃さなかった。

 

「さて、子供を寝かしに帰ります。本当にありがとうございました。」

 

老人は帰っていった。

静寂が戻り川の水音しか聞こえない。
てっちゃんが歩き出すと、どこからか声がかかった。

 

「よっ、日本一」

 

声に振り返ると、そこにはまーちゃんとなっちゃん、さっきの若者がいた。

 

「甥っ子だ。」

 

そうか、この子が師匠の孫だったのか。どこか面影が似ている。

 

「有り難うよ」

 

袢纏を返すと紙幣を返そうとする。

 

「それはお前さんにやった物だ。機転で助けられた。」

 

「でもこんなに高いラーメンはないから受け取れない。」

 

「おお、一桁間違えていたか。しかし、一度出した物は引っ込められんから、それならみんなで飲んじまおうか。」

 

「うちで良ければいっぱい飲めるぞ。」

 

マスターの店、猫目家目指して一行が去った。

 

満月に照らされた境内の、誰も居ないと思ったあちこちの露店の影から立ち去る人影が見えるのだが、その数の多い事。

 

一塊は昼間梃子棒男ともめた町内の青年達。
どうにも治まらない梃子棒男の剣幕に仲間の青年が、もめた町内の親しい青年に連絡していたのだった。
もめ事の元になった青年は町内の年寄りや仲間に叱られ、今年の祭りは以後謹慎となり早々に帰宅した。

 

連絡を貰って対策を話し合ったが、今日のところは急遽散会とし翌日以降頭の冷えた所で会合を持つ事にしたのだった。

 

しかしどうにも気に掛かる。
散り散りに帰ったはずが、浅間大社境内に自然に集まった。 喧嘩のためではないが相手の動きは気に掛かる物だ。

露店の影から遠巻きに御手洗橋を見守っていた。

無事に収まり、引き上げたのを見て一同ほっとしたのは言うまでもない。

 

他の見物人はもめた町内の青年がてんでに浅間大社に向かうのを見て、何かあると察し後をつけた物、そして袢纏を渡した若者が知らせた地元の青年たち。
それが仲間を呼び、かなりの数がこの場面を見ていたのだ。
やれやれ、物見高いは人の常とは言うものの、いったい何を期待していたんだろう。

 

猫目亭へ移動する時、荒くれ者が梃子棒を持ってすれ違い、御手洗橋の方に走ってゆくのが見えた。

 

「あの野郎!」

 

「知ってるのか?」

 

「多々問題有りの要注意人物さ。」

 

甥っ子に尋ねた。

 

「あいつに教えたんじゃないだろうな?」

 

「ややこしくなるから、あそこだけは避けた。」

 

どこで聞きつけたか御手洗橋に駆けつけた荒くれ者は、誰もいないのを見て拍子抜けしたがこのままおめおめと帰るわけにも行かない。誰か通りかかるのを待って悪たれようと遅くまで待ったが誰も通らず、とうとう風邪をひいてしまったという。

 

 

追えば逃げる 「遠音 ー 祭りが終わる時」より 2

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再開したスナック猫目屋には待ちかねた馴染みの客が押し寄せた。
とは言っても数は知れている。マスター一人で丁度良いくらいだ。


四方山話の中で、触れないつもりでもついつい亡くなったかみさんの話になる事がある。
客も気がつくと話題をそらせていたけれど、マスターが笑って話せるようになるにははまだしばらく時間が必要で、ようやく気兼ねなく話が出来るようになったのはもう一月ほど後のことだった。

遠慮がちなてっちゃんにマスターが言った。
「いちいち気にしなくてもいいさ、もう大丈夫だ。」
マスターとおかみさん、てっちゃんは幼なじみ。
思い出話にはいやでもおかみさんが顔を出してしまうから、これでは話の種が無い。
「そうか」
笑いながらてっちゃんが話し出した。
「おまえが血相変えて俺を追いかけたこと、憶えてるか?」
「おまえが法事で帰ったときだったな。」
「あの時のおまえはなんだか恐ろしかったぞ。」
「そうかもな」
「鬼みたいな顔をして追いかけてくるから、こっちも必死で逃げ回った。」
「なっちゃんに会ってくれーってね。」
「だから逃げ回りながら、なっちゃんちに行ったんだ。」
「すぐおまえが来たけど、隠れてた。」
「いないと思って、また飛び出したんだ。」
「その後なっちゃんと話したんだ。
おまえがなっちゃんと話せって追いかけ回してるって。」

母親の七回忌の法事で久しぶりに帰省してみると、笛の師匠だったまーちゃん(マスター)の親父さんも何年か前に亡くなっていた。墓に参った時まーちゃんのお袋さんに会い、笛を習いに訪れていた頃の話になった。
「あの人はね、あなたが良い笛吹きになるって楽しみにしていたんですよ。」
申し訳なさに墓前に深々と頭を下げた。
あんな大喧嘩にさえならなければ、憧れつづけた笛吹きになってふるさとを離れることもなかったろうに。
その後だ、お袋さんから話を聞いたまーちゃんが血相替えて追いかけてきたのは。
逃げ回ったあげくに飛び込んだなっちゃんの店は、お袋さんが続けてきた子供相手の駄菓子屋で、奥に置いた鉄板でお好み焼きや焼きそばを焼いて食べさせる店だった。お袋さんは買い出しで留守だったが、久しぶりに会ったなっちゃんはずいぶん綺麗になっていて、話を聞くと笑って言った。
「何勘違いしてるんだろうね。
てっちゃんは確かに小さい時からの憧れだけど、所帯を持ちたいと思ってるのはまーちゃんなのに。」
正直うらやましかった。
「あいつに伝えようか?」
「大丈夫、自分で言うわ。」
「次に来る時には子供が居るかな。」
「かもね。」

「そのまま電車に乗ったんだ。」
「その夜の事だ。のれんを仕舞ってからあいつは切り出したよ。」「てっちゃんに会ったよ。久しぶりに話したけど変わってなかった。
でも憧れは所詮憧れね。息が詰まるもの。
所帯を持つのなら、やっぱり空気みたいな人が良い。」

そう言うと、前に座り居住まいを正して話し出した。
「いつもいつも守ってくれてありがとう。
あたしを、」

「ま、待て!俺に言わせてくれ。」
かしこまって、声を絞り出した。
「嫁になってくれ。」

「何年待たせたことになる?」
てっちゃんが問うと、
「あの喧嘩騒ぎの後、おまえのお袋さんが亡くなっておまえが東京に出て行っただろう。
多分そこからだから、七回忌でまるまる6年か。
「6年もか、もったいない。」
6年早かったら子供だって授かったかも知れない。
結局子供をあきらめ、マスターの実家を次いだ弟の次男坊に後を託す事にした。
養子のような物だが同居でも別居でもなく、あるいはどちらでもあるようなゆるい関係。
家が二つあるような物で気ままに行き来をし、どちらにも要領よく甘えている。

「でも、追いかけっこも無駄じゃなかったんだ。」
横から香代が言った。
下部で知り合った娘、名は香代という。
あの後、浅間大社に参詣すると言って富士宮を歩き回り、気に入ったからとアルバイトを見つけてきた。
「で、住むとこないんだけど、居候させてくれない?」
「おいおい、仮にも男の一人暮らしに居候はないだろう。」
しかし、知り合いにアパートや下宿屋は居ない。
幸い店は二階で鍵もかかる。物置に使っていた店奥の三畳間をとりあえず空けた。
住まいは一階だからまあ間違いも起こるまい。
「給料貰ったらちゃんとした所探すんだぞ。」
それから共同生活が始まった。
居候だから家賃もない。
代わりに少しぐらいはと言う事で、仕事から帰ると洗い物と片づけを手伝うようになる。
するとなんだか若い客が増えてきた。
出しゃばるわけでは無く奥にいるのだが、
「いらっしゃいませ」
の声が小気味よい。
ある日の事、甥っ子のけん坊が血相変えてやって来た。
「おじさんどういうつもりなんだい!」
連れあいを亡くして一月半、まだ喪も明けないうちに若い娘を連れ込んだともっぱらの噂らしい。
人は口さがない者、言わせておけばいい。
しかし、そんなに伯父が信用できないか?
「馬鹿もん。俺がそんな事すると思うか。」
一喝した。
「一応紹介しておく。香代ちゃんだ。」
仕事から帰り、窓際で猫を撫でていた娘が立ち上がって会釈をした。
「今は居候ですが、アパートが見つかったら引っ越します。」けん坊は不意をつかれ、赤面しながら言った。
「いえいえ、焦らなくていいですよ。どうぞごゆっくり」
あたふたと逃げるように去った。
その晩からけん坊は店に皆勤賞。
なんだか昔見たような光景だ。

香代のおかげで新規の若い客が増え、一人ではどうにも手が回らなくなった。
聞けば香代は以前喫茶店で働いていたというので、正式に働いて貰う事になった。
「ホットケーキやピラフは得意なんですよ。」
店のメニューも増えた。
一方けん坊は酔客から香代をガードしているようにも見える。
なっちゃんに虫がつかぬよう、毎晩通っていた自分の姿が重なる。焦るなよ。焦って追いかけると逃げられるぞ。
内心そう思いながら、若い日の自分を見る想いでてっちゃんと二人で見守る事にした。
 

物語を一つ

人の一生はそれ自体一つの物語ではあるけれど、さまざまな成功や失敗多くの経験が語られぬまま消えてゆく事を思うと惜しくてなりません。
自分が生きた証を何かの形にに紡いで残せたらと思うに至りました。出来る事なら物語を一つ、そして歌を一つ。

以下は永年暖めてきた物語のひとかけらです。ご感想などいただければ嬉しく思います。
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奥さんが亡くなってからのマスターはなかなか立ち直れない。
店は一月閉めたままで、再開のめどは立たないで居る。
思い出の東京をさまよい歩いたものの、癒されるどころか寂しさが募るばかりだ。
なかば後悔しながら帰途についた。
身延線下り電車も富士では満席だったものが、富士宮を過ぎるとガラ空きとなった。
富士宮で降りずに乗り越したのは、もたれて眠る若い女性に亡き妻の面影を見たからだ。
声をかけて降りればいい。それだけのことだがそれでは惜しい気がした。
「そうだな。下部まで言ってみるか。」
所帯を持った時、二人で初めて旅行したのが下部だった。
日帰りで出かける事はあっても旅行の思い出は他にはなく、唯一の思い出の地だ。

「すみません。次で降りますので。」
声をかけるとようやく目を覚ましたが、寝ていた事に気付くと顔を赤らめた。
「あ、次は何処でしょうか?」
「下部です。」
「よかった。乗り過ごす所だったわ。」
駅に降り立ったのは数名、それぞれ宿の迎えに導かれて行った。
乗り越し料金を精算し、温泉街を川に沿って歩いてみる。
多少改築された宿も見えるが、ひなびた雰囲気は昔と変わらない。
足を止めたのは古びた旅館前。
名前までは憶えていなかったが、昔泊まったのはたしかにこの宿だ。
ここに泊まる。
夕食まで時間があったので浴衣掛けで付近を散策した。
宿に戻るとロビーのソファーに腰掛けぼんやりと暮れゆく外を眺めていた。
「電車では済みませんでした。」
振り返るとあの娘が立っている。
「あ、いやいや気にせずに。」
娘は軽く会釈して隣のソファーに腰を下ろした。
「友達と来るつもりだったんですけど、ドタキャンされちゃって。」
「彼氏ですかな?」
「友情より彼氏の方が大事だって。」
「若い方ならそれもしょうがないかな。
そうそう、あてて見せましょうか?」
「え、何を?」
「傷心旅行と見た。」
「なんで判るの?」
「若い時いろんな占いに凝ったものだが、極意は直感だと悟ったわけ。」
「直感なの?」
「易にも凝ったけれど、卦を立てているうちに出る卦が先に判ってしまうようになった。
で、この卦は誰が与えているのかって考えた時、自分自身の潜在意識だって思い至った。
それで考えたんだ。
精神的にも未熟で人生経験も乏しいまま占いを続ける事は、大きな間違いではないかってね。
それで占いは封印した。」
「それって若いときのことでしょ。
今だったら的確なアドバイスも与えられるんじゃない?」
「そうかも知れない。」
「私を占ってくれない?」
「占うまでもないよ。
あなたの持つ明るさは、もうそんなものは乗り越えている。
これからどの道を選ぶかはあなた次第だ。」
「ふうーん。」
「おじさんも傷心旅行ね」
「お、」
「図星ね。」
「あんたの直感も大したもんだ。」
「でも、もう大丈夫って顔に書いてあるわ。」
話している内にがたがたに緩んでいたネジが締まった。
どうやら店を再開できるかな。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
これは永い事暖めている「遠音 祭りが終わる時」という物語の一部です。
まだまだ荒削りな筋でしかありませんが、いつの日か一つの物語として完成させたいと思っています。

ここまで読まれた方、一言「読んだよ!」とコメントいただければ幸いです。

葬儀参列

本日は葬儀に参列。

姉の義妹のお舅さんが亡くなったのだが、倒れてから一月あまりが経ったとの事。看病されたご家族のご苦労に、ねぎらいの言葉を贈りたい。

惜しい事でしたが、お疲れ様でした。

聞けば、私が盲腸を切った頃同じ病院に入院されていたとの事だったが、病棟も違えば接点もないか。

 

ふと思い出すのは、C型肝炎から肝癌になり最後は肺に転移して亡くなった叔母の事だ。

容態の急変は平成13年の今時分だった。

末期癌はすでに肺へ転移していた。叔母の友人が家族に言うには、ご主人の癌は肺に転移した後一月ぐらいしかもたなかったのこと。だから覚悟はしていた。

放射線治療をするかどうかを聞かれていたが、叔母の意思でしない事をその日返事したばかりだった。

 

家に帰ったら、叔母の友人から病状を問う電話があり母が応対していた。心配してくれての事だからありがたい事ではあるが、電話があまりにも長い。実はこの時、叔母の病状は急変していた。あまりにも電話が通じないために病院から向かいの接骨院に電話がかかり、奥さんが走って取り次いでくれた。いくら心配だからと言っても、こんな状況では長電話は厳に控えるべきだな。

 

病院に駈けつけると医師に聞かれた。

「脳圧が上がり、危険な状態です。

このまま置けば、当人は苦痛を感じる事なく逝けるでしょうが、どうしますか?」

その時思ったのは、何もしないで逝かせたら悔いが残るということ。

出来る事は脳圧を下げる事だけだというので、その処置をお願いした。

 

それから後も意識は戻らないままだったが、息苦しさからか酸素マスクを何度も外そうとするなど、数日間苦しむ様を見せつけられた。

病床で誕生日を迎え、深夜日が変わって間もなく息を引き取った。

 

3月初旬の浅間大社の寒桜が咲く頃の事だ。

 

後で思う事だが、「悔いが残るから」と言う家族の勝手な都合や判断で、回復の望みのない患者の苦痛をただ長引かせただけでは無かったろうか。

 

今日の葬儀帰りに姉とそんな話をして、

「おばちゃん恨んでるかな?」

と言ったら。

「恨みはしないよ。感謝しているさ。」

と言ってもらえた。

 

実は、今回の盲腸手術も同じ病院だから、入院中夢に叔母が出てきて恨み事など言われるのではと、ひそかに心配していたものだ。父もこの病院で4年前の1月に亡くなっている。この時期の入院手術に少し迷ったのもこのためだ。

幸い夢も見ずに退院できたのは、どちらも無事に成仏できたからなのだろうか。

 

今日その話をしたら、母は笑ってこう言った。

「私の時は楽に死なせてね。」

私もそうなったらそう願いたいところだが、ひそかに叔母の苦痛を長引かせた報いが私にはあるんじゃないかと思っている。

 

でもその時はその時。

なるようになるさ。

 

 

学校で何を習ったの?

昨日は定例の囃子練習だった。

 

浅間大社の境内参拝者休憩所をお借りして毎月2日間お囃子の練習をしている。

浅間大社青年会囃子同好会のご協力を得て、合同練習と言う形を取り市内の祭典実施区より希望者が集う。

 

浅間大社楼門内はバリアフリー工事ということで、石畳や歩道を広げるための工事中だ。

3月末日までが予定されている。桜の開花前には完了して欲しいものだ。

 

これは拝殿西にある寒桜。早い年には節分過ぎくらいから咲き始め、2月下旬の囃子練習にはかなり咲いていたものだが、今年は開花が遅いようだ。それでもようやくつぼみが膨らんだので開花は秒読みかな。

 

囃子の練習が終わってから”やまさく”でいつもの歓談。

他愛もない話で楽しむのがいつもの事だが、その中で”非を認めない若者”の話が出た。

 

助言や注意に反発し逆ギレする。自分の非は絶対に認めない。そんな例には私も遭遇した事がある。自分は悪くないの一点張りで、聞く耳を持たぬ姿に世代間ギャップを通り越して唖然としたものだ。

 

どうしてこんなになったのだろう?

あやまればつけ込まれて不利になるという、どこかの国の考え方なのか?

やっぱり大きいのは、身近な家族などの影響つまりは家庭の問題なのだろう。

まさか学校で教えては居ないだろうと思いながら、昔聞いたフォークソングを思い出した。

”学校で何を習ったの”と言う歌だ。

 

高石ともやの歌があるのでご紹介する。

 

あの頃のフォークが聞きたいより歌詞を引用する。

 

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学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん

ワシントンは嘘はつかないと
兵隊はめったに死なないものと
誰も 彼もが自由だと 先生が僕に話してくれた

学枚で今日習ったよ そういうふうに習ったよ



学校で何を習ったの 司愛いいおチビちゃん
学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん

お巡りさんは僕の友達で 正義は決してほろびはしない
殺人した人 罪で死ぬ 時々まちがいはあるけれと

学校で今日習ったよ そういうふうに習ったよ



学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん

僕らの政府は強くって そしていつでも正しくて
議員は立派な人達だから 選挙のたびに同じ人選ぶ

学校で今日習ったよ そういうふうに習ったよ



学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん

戦争はそれほど悪くはないと フランスやドイツで戦って
アメリカ軍は負けたことがない そのうち僕らも戦えるんだ

学校で今日習ったよ そういうふうに習ったよ


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元はトム・パクストンの歌。

 

誰がしつけたものか知らないが、せめて”ワシントンは嘘をつかない”という”正直の美徳”は忘れずに教えて欲しい。

人として大事な事だから。

 

参考

あの頃のフォークが聞きたい

 

 

行く友に

1月8日は富士宮市の成人式だった。

隣の富士宮市民文化会館では二中学区の成人式が行われ、城山区の囃子方が富士宮囃子で新人を迎え入れていた。

 

談笑する新成人だち。

 

晴れ着の娘さんたちも久しぶりの再会に話を弾ませていた。

 

新成人の記念撮影などが朝から午後まで続き、ようやく終わったところに消防団時代の先輩から電話があった。

「聞いた?」という最初の言葉で合点した。かつての消防仲間が亡くなったのだ。

 

消防団入団は私と同期、年齢は彼が5歳若く消防団活動は23年に及ぶ。三分団詰め所の移転新築、ポンプ車の新調も彼が分団長の時だった。さぞかし大変だったと思う。卒業してからは、分団の新年会などで顔を合わせるのが楽しみだった。

彼の癌が発症したのは一昨年ぐらいだったろうか。かなり危ぶまれる状態だったようだが、さまざまな治療と療法で軽快し、昨年の三分団新年会では元気な顔を見せてくれたので、安堵したものだった。

 

それがリンパに転移して末期癌で入院したという彼の見舞いに、かつての消防団仲間で病院を訪れたのは一月ほど前のこと。少しやつれた顔だったが、処方された薬の効き目か辛そうな顔も見せず、消防団時代の昔話に相づちを打っていた。

 

医師には余命を年内と宣告されたと言うが、まだ頑張るんだと言っていたとおり、正月と出初め式を見届けて旅立った。

今夜の通夜と明日の告別式を、消防仲間で揃って見送る。

 

彼のご冥福を祈りつつ

合掌

 

 

太陽灯

なんだか寒い上に、鼻水が垂れてきたので、風邪かと思い早めに風邪薬を服用した。

 

寒風に吹かれての月食観測、

そして伸びすぎた髪を思い切ってカットしたので首筋が寒い。

おまけに連日の夜更かしと寝不足とくれば、無理もないか。

そういえば、去年は一月おきくらいに風邪を引いていたっけ。

 

何と虚弱なことかと思ったら、幼年期の記憶がよみがえってきた。半世紀も昔のことだ。

痩せてひ弱だった子供の頃、小学校で太陽灯というものにあたっていた。

休み時間だったか放課後だったか、装置のある部屋でパンツ1枚でゴーグルを着けてライトの照射を何人かで受けていたっけ。

太陽灯はコトバンクによれば、人工太陽灯のことで,医療に用いる水銀灯の通称で太陽光線と異なり熱線をほとんど含まないが,広い波長範囲の強い紫外線を出すのだそうだ。

ゴーグルは紫外線をさけるためだったのだろう。

 

それにしても最近の体質虚弱化は何とかしなければなるまい。

ウォーキングが滞りがちなのも、心肺機能の衰えにつながっているんだろうな。

 

夜、店を閉めてから、防寒に注意しながらウォーキングを心がけるとしよう。

 

 

 

さらば昴よ - 1

昔地元の青年長を引き受けた頃、現役青年団員は自分を入れてわずか3名。

それ以前からすでに組織としての体を為さなかったものだが、祭りになれば青年後見というOBが参加してくれて、町内で屋台の引き回しを行う事ぐらいは何とかなった。しかし事前の準備と片づけ、精算は現役青年の仕事だ。

現役で在宅で自由がきくのは私しか居らず、祭り衣裳の注文から広告などの寄付集めは私の仕事だった。おまけに子供への囃子指導まで背負い込めば、負担はかなりの物。

やらされているという意識にさいなまれる毎日だった。

 

祭りの当日の区民館前、遠くからお囃子が聞こえる。三々五々人が集まってくるが、区民館を見て皆怪訝な顔をする。そこはいつもの区民館で、祭りの準備が何も出来ていないのだ。

口々に騒ぎ始める。

「何で準備が出来ていないんだ!」

「青年団は何していたんだ!」

そして

「青年長は誰だ!!」

青ざめた。

頭を抱えてしゃがみ込み、どうしよう、どうしようと繰り返した。

 

はっと気付くと明けやらぬ朝の気配に、まだ薄暗い自分の部屋だ。

全身冷や汗にまみれながら、カレンダーでまだ祭りまで間がある事を確認し、胸をなで下ろした。そこまで追いつめられていた物だった。

 

自分は酒も飲めないのに、祭りに出た集団は祭りが終われば集まった祝儀を持って飲み屋に繰り込みどんちゃん騒ぎ。

やらされているという思いは常に抜けず、誰のためにやっているのかを常に考えた。

 

止めてやる。

青年長が終わったら、後の事は知らん。

つぶれる物ならつぶれてしまえ!

そう思っていた。

 

ある祭りでまだ小さな女の子が、祭り衣裳の着物を着せてもらって嬉しそうにしている。

「踊って見せて」とご婦人の声がかかると、おぼつかない振りで踊りを真似た。

その顔の嬉しそうな事と言ったら。

 

その時目から鱗が落ちた。

こんなにも祭りを楽しみにしている子供がいるのなら、この子らのために祭りをやろう。

それが転機だった。

 

放っておけば引きこもりになっていたかも知れないもやしっ子が、やっとその気になった。

そんな時に聞いたのが「昴」という歌だった。

「我は行く、青白き頬のままで」

そんな歌詞にとても共感を覚え、「昴」は愛唱歌となった。

 

ところがなかなか星を見る機会もなく、実際に「昴」という星座を見た事はなかった。

 

数年前の夏、流星群を写真に撮ろうと上井出まで出かけた。

最初頭上を覆っていた雲がいつか晴れ、富士山頂をわずかに覆うだけとなった時、その雲の中からキラキラとざわめくように星の群れが空に昇った。

 

それが昴だった。

 

 

 


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