へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

地震

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

市内が震源の地震がありました

10時2分頃地震を感じました。
ミシミシッと家が鳴りましたが、取りあえずそれぐらいで済んだようです。

気象庁の地震情報に依れば、
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平成27年08月27日23時07分 気象庁発表
27日23時02分頃地震がありました。
震源地は静岡県東部(北緯35.2度、東経138.6度)で、
震源の深さは約20km、地震の規模(マグニチュード)は3.3と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。

静岡県  震度3  富士宮市野中*
     震度2  富士宮市弓沢町 富士市大淵*
     震度1  伊豆市中伊豆グラウンド 三島市東本町
          富士宮市長貫* 富士市永田町* 富士市岩渕*
          富士市吉永* 静岡葵区梅ヶ島*
          静岡清水区蒲原新栄*

この地震による津波の心配はありません。
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とのこと。

震源地は富士宮市内で市街にも近い白尾山の南側らしく、震源が市内だったというと東日本大震災直後の平成23年3月15日に西臼塚近くが震源だった大きな地震を思い出します。それよりずいぶんと市街地に近いけれど、規模が小さいのでたぶん被害もほとんど無いでしょう。

前回の大きな地震でも溶岩流の上にある二の宮墓地は、思ったほどの被害はありませんでした。
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平成23年3月16日に写した写真です。
地震の翌日わが家の墓地に出かけ、墓石の無事を確認しました。
転倒も無く無事だと思ってその日は帰ったのですが、写真でも判るように墓石がみな時計回りに少し向きを変えていました。

この富士山直下が震源の地震では、火山学者は富士山の噴火が始まるのを恐れたと言います。
でもその時は、大事に至らずに済みました。

日本全体の火山活動が活発化し不穏な情勢ですので、この地震が始まりの予兆で無いことを祈ります。



鎮魂を祈り、平穏を祈願

今年も浅間大社境内ふれあい広場で、富士宮囃子保存会によって東日本大震災鎮魂太鼓が行われました。

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開会にあたり、まず震災の犠牲者に黙祷を捧げます。


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浅間大社に向け拝礼して、いよいよ鎮魂太鼓が始まります。


PNTX4502

我が町内の披露です。

この日は富士宮囃子保存会参加21団体全てが参加し、くじ引きで順にお囃子を披露しました。


DSCF1541

2011年3月は忘れられません。
3月11日は震源域から遠く離れたこの地でさえ、大きな揺れに恐れおののき、停電でニュースも見られずに不安な夜を過ごしました。

その4日後の夜、富士宮市を震源とする大きな地震が起こった時には、老朽化したわが家の倒壊も覚悟したものです。市役所近くではかなりの被害が出たと聞きますが、幸いなことにわが家では大きな被害は免れました。

大地震と火山噴火は密接に関係していると言われます。
大地震の後、3年以内に大きな火山噴火が起きていることが多いとのこと。
このところ火山活動の活発化が伝えられます。富士山とて例外ではありません。

今年も平穏に祭りを迎えられることを祈ります。




地震から3年

昨日のテレビで災害ヘリがとらえた東日本大震災の映像を流していました。その中の津波に押し流される家々が炎を上げながら燃えている画面を見て、あの日のことを思い出しました。
ぐらぐらと大きな揺れを感じ、慌てないように慎重に玄関の引き戸を開けに行きました。
停電になり家の中に居ても暗いし、なかなか揺れはおさまりません。家の前に出てみると、電線が大きくゆれていました。ニュースを見ようにも停電なので、スマホ用のワンセグチューナーを探し出し、表通りに出てスイッチを入れると、そこに映し出されたのが津波に流されながら燃えている家々でした。

DSCF1540

停電は夜になっても復旧しません。石油ストーブで暖をとりながらロウソクとキャンプ用ライトの明かりで夕食をとり、早めに就寝。車が通らなければ漆黒の闇、こんな経験もめったに無いことで復旧して明かりがついたときにはありがたさを実感しました。

それから間もなくのこと、3月15日にわが町が震源地の地震に遭遇するとは思いもしませんでした。
それも震度6強という大きなもの。揺れた時間が短く、停電区域も限定的で少し離れたところには明かりも見え、それほどの恐怖も感じずにすみました。
静岡県東部地震-Wikipedia
静岡県では住宅など327棟が一部損壊したけれど、全壊した家屋はゼロだったといいます。
震度が大きかった割に被害が少なかったのは、揺れている時間が短かったことが幸いしたのでしょうか。

地震の翌朝、墓石がどうなったか心配で二の宮墓地に出かけました。
DSCF1552

幸い墓石の転倒は無く一見何事も無かったように見えますが、東を向いていた石が東南東に向きを変えていました。よその墓地では墓石の転倒など被害が多かったとの話でしたが、この一帯から浅間大社にかけては縄状溶岩が露出しているところもあるように、地盤が堅固だったから被害が少なかったのかも知れません。
IMGP7827

二の宮墓地の南にある二の宮神社境内の縄状溶岩です。

近年の大地震と火山噴火の連動が言われ、富士山の噴火も警戒されています。
同様の例では、ほぼ3年以内に火山噴火が起こっているとのこと。富士山とて例外では無いでしょう。
噴火の場合には前触れなどから予知が可能だと言われますが、いざその時にはたして落ち着いて行動できるでしょうか。

心の準備はしておかなければなりませんね。

へんぽらい写真日記 : 地震体験



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地震と墓石

3月15日夜に富士宮市を震源とするちょっと大きな地震があった。


震源地は富士山中腹のグリーンキャンプ場北側。南北に走る断層がずれたという。


幸い家の被害はコップが一つ割れたぐらいで済んだが、墓石が心配で翌日墓地に出向いた。墓石の転倒などのシーンを、テレビのニュースで今まで何度も目にしているからだ。


 



その時の写真だ。幸い二の宮墓地を広く見渡しても、墓石が転倒しているような所は見あたらず安堵して引き上げた。よく見れば、墓石が向きを変えているのにこの時気付いただろう。でもとりあえず無事なのを見て安心してしまったのだろうか。


気付いたのは5日後のお彼岸の墓参りだった。


 


昔からお世話になっている石屋さんに直しをお願いしたところ、何百件もの依頼があり時間がかかるとの事。それでもお盆前には直していただけたので助かった。


 



昨日の墓参りの際の写真だ。晴れれば向こう側に富士山が見えるのだが、あいにく雲の中。


気温も低かったので富士山には雪が降っていたらしい。


 



修復なった墓石だ。向きが変わったぐらいで済んだのが幸いだった。


 


同じ富士宮市でも、地盤の悪い墓地では墓石の転倒なども多数あったと聞く。


このあたりの地盤は溶岩層の上にあると言う事もあり、地震には強いのかも知れない。


1200余年前に浅間大社がこの南に祀られたのも、鳴動する富士山を鎮めるためだったと言われる。そんな時にも比較的安定していたからではないだろうか。


 


この地震でも地域により被害の大きさが違う。


地盤の違いが大きく影響しているならば、この地を選んだご先祖様に感謝しなければなるまい。


 


 


地震に遭遇して防災訓練内容が変わった

東日本大震災から間もない3月15日、富士宮を震源地とする震度6という大きな地震が起こった。私は風呂から出ようと言うところで大きな揺れを感じ同時に灯りが消えたので、暗闇で着衣を探した。家族の無事を確かめ、しばらくは建物の外で余震の揺れを警戒しながら待機し、次に隣家の一人暮らしのご老人の無事を確認した。


町内の人たちも通りに出てあちこちに集まっているが、停電は局所的で、西隣、南隣の町内には灯りがついている。


車載テレビでニュースを見た人が情報を伝えた。


 


何度も行っていた防災訓練の救助、応急処置、消火といったことが、実際に地震が起きた際にはそこまでの必要もなく、むしろ隣近所の安否確認や揃っての避難、段階毎の避難場所など確認すべき事があらためて浮き彫りになった。


 


静岡県では9月の防災の日に加えて12月にも県独自の防災訓練を行っているので、年に2回の訓練がある。多すぎるのも慣れを生じて逆に害があるので、わが宮本区では防災の日の訓練は前の8月末の夜間に行う事にしている。


 



町内毎の避難場所へ先ず集まる。


 



班長は班内の各世帯の状況を調べて町内会長に報告する。


区内住民の調査をこのために行っている。


 



家が無事で避難の必要がない場合は、黄色いハンカチを家の前に掲げる。


 



各町内毎に集まったら、状況を見ながら区の集合場所に集合する。


 



長期化した場合は市指定の一時避難地(ここでは富士宮市民文化会館)まで移動する。


 


 



市民文化会館入り口(集合場所)を確認する。


 



宮本区の避難場所は文化会館内1F大ホールホワイエ1・2階(190名神立区と共同)、舞台裏の楽屋西側3室(35名)


 



避難所となる楽屋を見学


 



再びホワイエに戻り、ここで解散。


 


実際の災害時には、文化会館自体の安全が確認できるまで中に入る事が出来ないので、開けた場所(駐車場など)で待機する。


 


それほどの大災害が起きないのが最良だ。でも、富士山がある以上いつかは噴火だってあるだろう。


自身の安全、家族の安全、近所のお宅の安全。そう言った物が確保されてこそ、救助や消火にあたる事が出来る。


 


災害時に必要な事や物は、経験して初めてわかるもの。


これを活かしてゆきたい物だ。


 


 


今困っている人に届けたい

正月明けから始まった西門通りのバリアフリー工事が、やっと完了しました。どうやら年度内ぎりぎりで間に合ったようです。


 



暗渠となったコンクリート面に、ちょっとした勾配の不具合から水たまりが出来てしまったので、修整をお願いしてありました。というのは歩道の舗装が雨水浸透タイプで雨水は確かに浸透しているのに、側溝を暗渠にしたコンクリート面に水たまりが出来たのではせっかくの工事も台無しだからです。


 建設会社の方が左官屋さんに工事が完了してからで良いからと依頼したところ、4月1日から東北関東大震災の被災地に応援に行くので無理だという事で、急遽残業で作業にあたって頂きました。


 


聞けば奥さんの実家が被災地南三陸町で、港に近い住まいが被害にあったといいます。


町内の婦人服ショップで見かけたバーゲンの婦人服をまとめて購入して奥さんの実家の支援にもっていこうと思ったら、事情を聞いたショップのご主人が多くの商品を無料で提供してくれたといいます。しかし思わぬ残業で時間がかかりショップの閉店を気にしていたので、代わりにショップまで一走りしました。事情を話したところ閉店時間なのに閉められず困っていたとの事。左官屋さんの車に運ぶというのでいくつかを手伝いましたが、大きな紙袋満杯にいくつもありました。


 


こんな時だからこそ何かしたいと思っている方達が居ます。


 


東日本大震災で募金は募るが、全額が被災地に渡らない募金。


訳のわからないNPO法人に一部がかすめ取られる募金。


日本赤十字社の募金に至っては使途や分配を委員会で決めるために、お金や物が集まっても今困っている人のところにはすぐに届かないという不都合。復興には役立つかも知れないが、今生死に関わる状況の人にはきわめて冷たいものだといいます。


 


集積所には山積みの救援物資があり役所は物資はあるといっても、一方でそれが届かず困窮している人が居る。


こんなシステムではおかしい。


救援体勢の迅速化は、国や役所にはまかせておけないという思いがつのります。


 


 


鎮魂を胸に、復興のアクセルを開け!!


今日の地元新聞は静岡県知事の弁を伝えています。


「自粛ムードは今日を限りにして、応援ムードに変えたい。」


同感です。

 


いつまでも悲しみに沈んでいたのでは、生きているものの暮らしを取り戻す事も守る事も出来ません。経済の長年の停滞は就職難民を
生み、現在も質素倹約が強いられる暮らしが続いています。復興を後押しするには、なにより力が必要です。犠牲者に対する鎮魂の思いを持ちながら経済を今より一層活性化して行くしかありません。

今こそ眠っていた力を発揮する時。


復興への後押しには、自粛に名を借りた怠慢はうち捨てるべきです。


行事を行う事で動くもの得るもの、物や心を被災地や被災者に送る事も出来ます。

 


祭りに名を借りた馬鹿騒ぎは厳に慎むべきですが、鎮魂や復興の祈りを込めて行う祭りなら、「祭」という字の表す「祈り」に立ち返
る事が出来る絶好の好機です。

 




神事流鏑馬

 



同 じく今日の新聞で、浅間大社の流鏑馬も残念ながら中止と報じられました。練行と神事流鏑馬(小笠原流流鏑馬)、露店の出店は中止し、本来の神事のみ執り行うという事です。理解はしますが、個人的には露天商の出店だけはやって頂きたかった。子供にとっては、浅間大社春秋の祭りに浅間大社境 内に立ち並ぶ露店が祭りの思い出なのですから。

 


安倍川の花火も、鎮魂と復興への願いから始められたと聞きました。

その思いを被災地に届ける事は、きわめて意義深い事と思います。


例年以上の寄付を募り、被災地に花火を贈る。


あるいは想いを共有するために被災地と安倍川で同時に行う。


どのようにでも方法はあると思います。


安直な自粛はけっして賢明な選択とは思えません。

 


鎮魂を胸に、復興のアクセルを開こう!!


 


地震体験

11日の東北関東の大地震から地元富士宮の地震と続き、ブログの更新が止まっていました。一区切りつきましたので、とりあえずご報告いたします。


 


大地震が起きた時、当地富士宮市は震度4という事でしたが、揺れ初めてすぐ停電になりました。ものが落ちたり壊れたりする事もなかったのでしばらく様子を見ていましたが、揺れが止まず、外に出てみたら電柱と電線が大きく揺れていました。


停電なのでニュースも見られず、防災用に支給されたラジオもすぐには見つかりません。


最初の情報は携帯から繋いだtwitterから得られました。


とんでもなく大きな地震で東北地方に大きな被害が及んでいると。


何とか探し出したワンセグのチューナーを繋いだ時、大津波が川をさかのぼり、陸地の建物を押し流して行く映像が映し出されました。押し流されながら炎上している家屋も見えます。


呆然と見ていましたが、停電の復旧にも時間がかかりそうでしたのでバッテリーを温存するために、情報収集をやっと見つけたラジオに切り替えました。


 


ここでの揺れは大したことはありませんでしたが、事態が深刻である事に加え、日が暮れても電気が通じない状態は不安を増大させます。


 



通電復旧の目途が立たないという広報無線に覚悟を決め、幸いガスは通じていたのでレトルトのカレーとおにぎりでロウソクとライトの灯りの中で夕食をとりました。情報収集はこの小さなラジオ。


 



幸い旧型の石油ストーブがありましたので、これで暖をとりながら家族一同この部屋でしばらく過ごしました。ニュースもラジオだけで電池もどれだけもつか判りません。元々夜型の家族ですが、早々と就寝し朝を待つ事にしました。


 


ストーブ、ロウソク、ライトを消すと家の中は真っ暗。


いつもは街灯の明かりが窓から差し込むのですがそれもなく、時折通る車のライトがさしこまなければ漆黒の闇です。こんな闇もかつて無かったと思いながら、いつの間にか眠っていました。気がついたのは深夜3時過ぎ。停電で消し忘れた部屋の灯りがあちこちこうこうと照らしています。復旧した電気にあらためてありがたさを感じました。


今日の地震

昨夜の国民文化祭の会合の後、深夜まで話が弾んだ。

帰宅し待合室のソファーでうたた寝。

這いずって寝床にもぐり込んでもなかなか寝付かれずようやく眠りについたところだった。眠りも浅かったのだろう。





mdxfq872さんがアップしたもの。



地震に気付き飛び起きて最初にしたのは、枕元の箪笥を倒れぬように押さえたことだった。

最近にない大きな揺れだったが落下転倒した物はなく、実害がなかったのは幸いだった。

地震が収まってテレビをつけたら速報が放送された。

富士宮市の震度は5強だとのこと。





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5時7分の地震で起こされた物のもう一度寝る訳にも行かず、

今日は寝不足。



18時10分頃ドンと短い地震があった。

これは震度2だそうだ。





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東名高速が復旧しないとお盆の帰省にも影響が出るだろうな。






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