へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

山車

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
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23富士宮まつり-スライドショー

今年の富士宮まつり湧玉宮本の祭りを多くの写真におさめたので、スライドショーでご紹介する。

 

実質戸数110戸という弱小区ではあるが、私が入ってからは全体で中止を決めた年以外では祭りを休んだ事がない。それが自慢だ。

身の丈に合わせた祭りをすればいい。そんな年寄りの言葉が励みになっているのは確かだ。参加者が少なくて山車を曳けなくなったら、小さな屋台でも良い。それも無理なら置き屋台だって良い。祭りを楽しみに待つ子供が居る限り、囃子を教え、太鼓を叩く。

 

そんな覚悟がある限り、祭りは続いて行くものだろうさ。

 

富士宮まつり競り合い 湧玉宮本

11月4日湧玉宮本の競り合いは4回行いました。

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最初は宮本会所前で羽衣区と。







これがその動画です。携帯のカメラで撮ったものですが、youtubeに送る際にリサイズされました。本物はもっときれいです。







そして本宮(ほんみや)1回目の競り合いは磐穂悪王子と行いました。




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宮本祭典長挨拶



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両区一緒に踊りを踊りました。



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2回目の競り合いは湧玉神賀と行いました。競り合い前の申し合わせ事項確認。







立会人の位置から撮ったムービーだ。


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湧玉神賀祭典長あいさつ



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湧玉宮本祭典長あいさつ。



このあと会所前で福地区と競り合いを行いましたが、立会人が荷物をいっぱい持っているのはみっともないと家内に鞄とカメラを取り上げられ、撮影できず。

残念です!!

富士宮まつり競り合い

湧玉宮本は競り合いが少ない方ですが、11月3日には2回行いました。

 

 

福地区を訪問した際の競り合い。

 

 

宵宮での高嶺区との競り合い。

 

 

祭り囃子

宮本区では、お囃子練習も祭りが迫ると山車蔵の山車の上で行う。


山車の前には別の太鼓を置いて合わせてたたく。


 


 



セパレートの太鼓枠は、出し入れや運搬になかなか便利だ。


 



練習参加も日によって波がある。それぞれ都合もあるのだが、鍵を預かるものとしては人が来ても来なくても定時には鍵を開け、明かりを灯して準備をする。喜んだり悲観したりと一喜一憂するのも毎年の事だ。


 



昨日は笛がいなかったので久し振りに笛を吹いた。


笛箱にはたくさん笛があるが、使うものは限られる。元黒塗りの笛は塗りが剥げ下地が現れているが、無理もない。かれこれ25年ほど使っているものだ。経験年数は長くても日によって音の出は違う。調子の悪い時はこの笛を使えば何とかなる。一番相性の良い笛として長い事助けてもらった。囃子披露からの引退を宣言したので近年私の出番はないが、練習ぐらいはつきあえる。


年寄りとしては見守り支える事が仕事と考える。いつでも相談には乗るが口出しはすまい。自分自身それに煩わされたことを教訓にしなければなるまい。


 



山車蔵の隣に「宮バス」の停留所があるが、お知らせが貼ってあった。


祭り実施中は引き回し区域の交通が混雑し通行も規制されるので、迂回運転をして実施区域内にはバスを乗り入れないとの事。ご迷惑をおかけするが、なにとぞご容赦の程をお願いします。


 



9時に囃子を終え、今まで踊りの練習に来れなかった囃子方のために特訓が始まった。


最近は囃子方も踊るのだ。私の若い頃は気恥ずかしくて踊れなかったものだ。


 


もうすぐ祭りだ。


 


 


二度と出来ない事

区民館の壁に古い写真が飾ってある。昭和54年私がまだ28歳の頃の富士宮秋祭りの写真だ。当時引き回していたのは屋台で元々は山車として作られたものだったが、戦後屋台に改造し引き回していた。


 



本来なら多数の露店や見物客で賑わうはずの境内には、一軒の露店も出ていない。


暴力団による抗争で参拝客を巻き込む事を恐れ、露天商が出店を自粛したからだった。


この年の祭り記録が8ミリ映画に残っている。いつもならぎっしりと露店が立ち並ぶはずの参道を、宮参りの一行だけが進んで行く。露店のない境内は、寂しさを通り越して異様な光景に見えた。


 


屋台を馬場に曳き入れると聞いたのは、昼の休憩時だった。神社には許可を得たと言うが、西門の石段を下りて入るのだという。誰もが無茶だと思った。


曳き綱を屋台の後に回し、ブレーキをかけながら屋台を進める。1段ごとに梃子棒でショックを和らげながら下ろす。なかなか進まないと思ったら、後に回した曳き綱が必死で引っ張っていたからだった。この様に慎重に進めたために、屋台は事故もなく馬場に下り立った。


楼門前の馬場で、急遽撮影されたのがこの写真だ。


 


この後、正面参道を大鳥居まで進み中道まで戻って自町に帰ったのだが、この時に暴走事故が起こった。鏡池(通称ひょうたん池)の太鼓橋は一見危険には見えない。橋の半ばを過ぎ下り勾配になったところで、屋台車輪が転がりだした。小さな段を落ちたところで鉦を叩いていた私は身体を投げ出され、危うく屋台前に飛び出すところだったが、梁に頭をぶつけて止まり締太鼓を叩いていた仲間の背中に落ちた。


誰しも目に見える大きな危険には慎重になるが、そこここにある小さな危険には気付かぬもののようだ。頭にこぶを作ったぐらいで済んだのは幸いだった。


 


 


この3年後の57年に、屋台は現在の山車に復元された。


 


富士宮まつりのポスター完成

富士宮まつりのポスターが完成したのでご紹介する。


昨年まで”富士宮秋まつり”という名称だったが、富士宮を代表する祭りということからかこの名称に変更された。


 


 



3日は宮参り、引き回しと宵宮(よいみや)


4日は引き回しと共同催事(本宮=ほんみや)


5日は引き回し


 


宮参りは今まで2回に別れていたものを1回で行う。


新たな企画は初日の3日夜に行われる”宵宮”だ。


浅間大社周辺に10区が集結し、引き回しと競り合いなどを行う。


 



一昨年の共同催事の写真だ。


暮れかかる空のグラデーション。提灯の灯り。燈火に浮かぶ囃子方。


お気に入りの1枚だ。


 


中日の4日に行われる共同催事がこの祭りの主要な企画だったが、平日にあたるとなかなか大社周辺の見物客の人出も限られ、思うような賑わいにはならなかった。


新たに浅間大社周辺の賑わいが祝日の文化の日に作られた事で、祭り見物にも新しい目玉が出来たのではないだろうか。


 


 


富士宮秋まつりポスターが完成

本日所用で富士宮市観光協会を訪れたら、富士宮秋まつりのポスターが完成していた。


 



 


貰えるかたずねたら2枚貰うことが出来たので、店先と道路側の窓に貼った。


 


近年休日に祭礼実施の日程を変更する所が多いが、富士宮秋まつりは固定で11月3日から5日まで行われる。


 


高崎まつりの山車と神輿


第一番 並榎町 人形は鏡獅子


 


 


多くの神輿を見かけた。



 



 



 



 



 



 


神輿も多く練り歩いていた。


 


高崎まつりの山車-4

 



第十四番 連雀町 人形は桃太郎


 



第五番 成田町 人形は素戔嗚尊(スサノオノミコト)


 



第十三番 並榎坂下 人形は小鍛冶


 



第四番 請地町 人形は羽衣の天女


 



第十二番 歌川町 人形は藤原定家


 



第二番 住吉町 人形は蘭稜王


 



第十一番 常盤町 人形は牛若丸


 


 


 


高崎まつりの山車-3


第九番 本町三丁目 人形は石橋の舞


 



第十七番 寄合町 人形は弁慶勧進帳


 



第八番 本町二丁目 人形は弁財天


 



第七番 本町一丁目 人形は猩々


 



第十六番 新紺屋町 人形は三番叟


 



第十五番 柳川町 人形は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)


 



第六番 末広町 人形は静御前



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