私にとっての石川啄木が歌うありがたき故郷の山は、何と言っても富士山だ。
仰ぎ見る姿は美しく神々しい。
月の明るい夜に富士山を仰ぎ見るのは、麓に住むものの特権かも知れません。
眠りにつこうとする街を両手で抱え込むような、慈母の姿に見えます。
一方、登ることで郷土を一望出来るのが、この白尾山。
小学校の遠足で、ここから我が家を探した物です。
白尾山から見た、母校大宮小学校です。
富士山と街を同時に眺められ、遠足に我が家を探した幼い頃の思い出の風景となっています。
そうそう、次男が小学6年生の3月に、卒業記念の写真を撮ろうとクラスで白尾山のこの展望台に上ったそうです。
その時にこの坂道カーブの手前右辺りで火災が起こり、プロパンボンベが火で焙られて口金が吹き飛び一気に噴き出したガスが大きな火の玉となったのが展望台から見えたと話してくれました。
当時消防団員だった私は、税金の申告会場から現場に駆けつけ消火にあたりましたが、この坂のために放水圧力が上がらず、他の分団と中継して加圧し放水しました。
それにしても、変わりました。子供の頃は手前には家も少なく、身延線も高架じゃ無かったし高い建物だってほとんどなかった物です。
坂道登るのも休み休み、老いを実感させられました。