へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

故郷

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

白尾山 - 故郷の山

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私にとっての石川啄木が歌うありがたき故郷の山は、何と言っても富士山だ。
仰ぎ見る姿は美しく神々しい。



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月の明るい夜に富士山を仰ぎ見るのは、麓に住むものの特権かも知れません。
眠りにつこうとする街を両手で抱え込むような、慈母の姿に見えます。




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一方、登ることで郷土を一望出来るのが、この白尾山。




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小学校の遠足で、ここから我が家を探した物です。




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白尾山から見た、母校大宮小学校です。




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富士山と街を同時に眺められ、遠足に我が家を探した幼い頃の思い出の風景となっています。



そうそう、次男が小学6年生の3月に、卒業記念の写真を撮ろうとクラスで白尾山のこの展望台に上ったそうです。
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その時にこの坂道カーブの手前右辺りで火災が起こり、プロパンボンベが火で焙られて口金が吹き飛び一気に噴き出したガスが大きな火の玉となったのが展望台から見えたと話してくれました。
当時消防団員だった私は、税金の申告会場から現場に駆けつけ消火にあたりましたが、この坂のために放水圧力が上がらず、他の分団と中継して加圧し放水しました。




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それにしても、変わりました。子供の頃は手前には家も少なく、身延線も高架じゃ無かったし高い建物だってほとんどなかった物です。

坂道登るのも休み休み、老いを実感させられました。



あの夏の日は

ブログネタ
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子供の頃、毎年お盆近くには母親の実家に帰省していました。
隣町まで行かなければ海のない所に育ったこともあり、半島部の環境は何かと目新しい物ばかり。
海水浴での磯遊びは全てが驚きでした。泳ぐのはそっちのけで磯ばかり覗いていたので、背中が重い日焼けで、一面水疱が出来るという軽度のやけど状態。痛みで眠れぬ夜を過ごしました。

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そんな思い出深い海水浴場も埋め立てられ、今では工業地帯。
思い出をたどろうにも、昔の磯はもうありません。
風力発電の風車が回る海沿いを、湾の向こうから遠望しながらそんなことを思い出していました。

海水浴で最終バスに乗り遅れ歩いて帰った道の横に、どこまでも続く色づいた田んぼがありました。
アカテガニが見え隠れするどぶ川沿い、たまり醤油の匂いがする小道を抜け左に曲がって少し進めば、目に飛び込んでくるのは、すでに頭を垂れた一面の稲。そこの小川でメダカを追った物でした。

実家の法事で訪れた時そちらに回ってみましたが、田んぼは住宅地に姿を変えていました。実家も再開発の網にかかり、移転しました。現在目にすれば何もかも変わってしまった母の故郷ですが、あの日の思い出は脳裏に深く焼き付いています。

いつだって思い出すのは、あの角を曲がって見た一面の黄金の海。
懐かしい夏の思い出です。


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