富士宮まつりで露店が出なかった祭りは、平成54年だけです。
この年の祭りは「無形民俗文化財 富士宮囃子」という、富士宮市教育委員会制作の8弍撚茲砲盒然記録されていました。浅間大社への宮参り部分だけ抜粋して紹介します。


宮参りの行列が入って行く浅間大社大鳥居前にも、いつもなら露店が両側に並ぶ正面参道にも一切露店が見られません。
こんな祭りは後にも先にもこの年だけでした。


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平成24年11月3日宮参りの境内です。
このように通常の祭りには、沢山の露店が所狭しと境内を埋めています。


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この昭和54年の我が町内の曳き回しでは、露店が無くては境内も寂しかろうと浅間大社の了解を得た上で楼門前まで屋台を引き入れました。

この時のことは、37年経った今でも鮮明に覚えています。
西門の鳥居をくぐり石段を下りたのですが、引き綱を後ろに回して梃子棒で慎重に下ろしました。この時私はおおどを叩いていたのですが、なかなか屋台が前に進まないのにじりじりしていました。おまけに子供が屋台の横から「しっかり叩け」と生意気な口をききます。屋台が進まないのは、暴走を恐れて綱を持つ人たちが必死で後ろに引っ張っていたからでした。

ようやく馬場に下り楼門前に進むと、記念写真を撮るというので父親を呼びに家に走りました。
すっかり出来上がっていた父親を連れ、カメラと三脚をセットし撮るばかりにして屋台に飛び乗ったのがこの写真です。

この後正面参道を退出する際、石段を下るときの緊張が解けて気が緩んだ物か、太鼓橋の傾斜には誰も気付きませんでした。鏡池の太鼓橋のピークを過ぎると屋台は走り出し、石段を2段落ちて止まりました。この時私は鉦を叩いていたのですが、油断して帯を竹に結ぶのを忘れていて石段を落ちたショックで前に飛ばされました。
へたをすれば屋台から飛び出して、骨の1本や2本は折っていたかもしてません。
でも運が良いのか悪いのか、梁に頭をぶつけきんど二人の背中に落ちました。
骨は折らずに済みましたが、大きなたんこぶが出来ました。
ちょっとだけ暴走はしたものの、私のこぶを除いては他にけが人も無く屋台は参道を進みます。
大鳥居をくぐり商店街の手前まで進んでUターン。許可無く他所の区内に引き入れるわけには行きませんから、参道を戻りもう一度大鳥居をくぐり中道を西に抜けました。

大難をやり過ごしたところに、思わぬ落とし穴がある。
それをこの時、身をもって覚えました。

それから37年、当時のご老人はこの夜を去りましたが、当時青年だった方達の中には現在市の要職に就いている方も居られます。子供達も当時の自分より大きな子供を持つお父さんやお母さんになり、当時独身だった私にも1歳の孫が出来ました。

最近のことはよく忘れますが、若い頃のことは記憶にしっかりと焼き付いています。
振り返れば時の流れの速いこと、まさに「少年老いやすく」を今実感しています。



屋台、浅間大社に入る : へんぽらいの祭り談義