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浅間大社奥宮(富士山本宮浅間大社サイト)より引用
奥宮

例祭:8月15日
表口(富士宮口)から上りつめたところの山頂に鎮座します。御祭神は浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を主祭神とし、相殿神として父神大山祇神、背の君瓊々杵尊をお祀りします。 7・8月の開山期には、神職が奉仕し、国家安泰、氏子・崇敬者・登拝者の安全を祈念するほか、家内安全等の諸祈願、結婚式の奉仕、お札・お守りの授与、金剛杖・行衣等の御朱印の授与も行っています。





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奥宮を東側より見たところです。
向こうに剣が峰が見えます。



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奥宮西側の剣が峰より奥宮を望む。



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奥宮正面入口上部です。



平成23年3月11日の東日本大震災と4日後に起こった富士山南中腹を震源とする大きな地震で、奥宮は大きく損傷しました。
石積みの歪み、柱の傾き、接合部の離脱などが著しく、使用もままならぬ状態になったので、本殿以下全ての社殿を解体し御造営することとなったそうです。
平成24年8月20日に奥宮造営工事奉告祭を行い、翌25年8月16日に社務所上棟祭、9月20日社務所竣功と仮殿遷座祭。
平成26年7月15日幣殿・拝殿・休憩所解体清祓い式、8月17日拝殿・休憩所上棟祭、9月20日拝殿・休憩所竣功。
平成27年7月4日本殿解体清祓い式、8月5日本殿・幣殿上棟祭、9月15日本殿・幣殿竣功、本殿遷座祭。
そして今年平成28年7月27日に本殿竣功奉告祭が行われます。


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入口を入ると正面に見えるのがこの光景です。



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奥宮の扁額



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両扉は周囲を新たに縁取られました。
こちらは「國鎮」。


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こちらは「無上嶽」。



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梁も燈籠もきれいになりました。



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朱印集めを始めるなら富士山頂からと決めていましたので、奥宮で朱印帳をいただきました。



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奥宮と久須志神社の御朱印は開山期限定ですので貴重です。
そして両社の申年御縁年の朱印も12年に一度だけですので、これもまた貴重。
下山して浅間大社でも御朱印をいただきました。
山頂の朱印の色が通常の朱色と違うのは、山頂の御朱印が朱肉に富士山の霊石を砕いて混ぜて作られているからと言われます。

とても良い記念になりました。



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「頂上浅間大社奥宮」の標柱が7月19日に建て替えられ、国旗掲揚ポールが7月20日に替えられました。



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東より少し離れて奥宮を望んだもの。
奥宮右手の高まりは浅間岳3722
向こう側左の高まりは三島岳3734
向こう側右の高まりは剣が峰3776
画面では切れていますが、奥宮左の小さな高まりは駒ヶ岳3718

火口周囲の8つの高まりを廻るのがお鉢巡りです。



◎もう一つの奥宮

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立派な石柱に「富士山頂上浅間大社奥宮」の文字、でも様子がなんだか違います。
実はこちらは吉田口、須走口の頂上にある久須志神社です。


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入口上部にも「富士山頂上奥宮」と書かれており、久須志神社の表記は見つかりません。


どちらも「奥宮」と書かれている事で、山頂の待ち合わせには注意が必要です。
静岡県側富士宮口・御殿場口頂上か、山梨県側吉田口・須走口頂上かをはっきりとしておかないと、いつまで待っても会えない事も。8年前の登山では、そんな光景を目にしました。



====参考までにWikipedia(富士山本宮浅間大社)より「奥宮」部分を引用します。=====

奥宮
富士山頂上奥宮は富士山村山口登山道頂上に鎮座する。奥宮境内地の全てが富士箱根伊豆国立公園の富士山地域の「特別保護地区」に指定されている。元は富士山興法寺を形成する大日堂であったが、神仏分離令により仏像が取り除かれ、跡地は浅間大社奥宮として管理されることとなった。大日堂は「表大日」と称され、薬師堂は「裏薬師」と称されるのが慣例であった。
奥宮境内には「冨士山頂上淺間大社奥宮」と書かれた石碑が建てられており※、山頂のシンボルとなっている。山頂の薬師堂は山役銭の徴収場の役割を担っていたが、廃仏毀釈により浅間大社の末社となり、久須志神社(東北奥宮)として管理されることとなった。
浅間大社奥宮の御扉には大きく金色で「國鎭無上嶽」と書かれ、建物内には「高齢者記帳所」が設けられている。7月11日に開山祭を行い、8月末まで神職が常駐して祭事やお守り等の授与を行う。奥宮の例大祭は8月15日に行われる。9月の閉山祭以後は、翌年の開山まで無人となる。

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※奥宮と書かれた石碑は久須志神社(東北奥宮山梨側)で、木の標柱が奥宮(静岡側)です。


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文中にある神仏分離令により取り除かれた仏像でしょうか。三島岳の麓に集められていました。


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