へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
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クリスマスの約束

25日午後11時59分から毎年恒例の「クリスマスの約束」が放送された。


時間が中途半端なのは、クリスマスにぎりぎり滑り込ませたという事だろうか。


 


例年小田和正の歌主体に組まれていたこの番組は、きれいな声と確かな歌唱でいつも癒されていたものだが、今年はなんだか様相が違う。


 


この日のために多くのアーチストが何度も集まり、意見を戦わせ練習を重ねた。


そのぶつかり合いも番組は流し、前途の多難さを思わせたものだ。


 


そして当日。


 


大観衆の前で、多くのアーチストがそれぞれ持ち歌の1コーラスを歌う。


バックでは他のメンバー全員がバックコーラスをつける。


バックコーラスのクオリティー、ボリューム、アレンジの素晴らしさ。


臆することなく歌い上げる歌い手たち。


その高揚感がひしひしと伝わる。


 


この時が終わってしまうのが惜しい。


 


一期一会か・・・。


 


豪華な出演者は次の通り。


 


小田和正



ゲスト:

AI

Aqua Timez

いきものがかり

キマグレン

Crystal Kay

財津和夫

佐藤竹善

清水翔太

JUJU

スキマスイッチ

鈴木雅之

STARDUST REVUE

中村 中

夏川りみ

一青 窈

平原綾香

広瀬香美

藤井フミヤ

松たか子

山本潤子


  


この時その会場に居合わせた観客の幸せを、羨ましさを通り越して妬ましくさえ思う。


と同時に、この放送を見る事が出来なかった人たちには、その素晴らしさを語り大いに自慢できる。


見られなかった人は残念でした。


 でも再放送って無いのかな?


 


 


 終わった後、感想を聞かれた小田さんは語らなかった。


感動があまりに大きすぎて、表す言葉がない。


 


まさに「言葉に出来ない」のではなかったか。


 






国民文化祭フィナーレと富士山


10月24日に「お囃子の祭典」と「マウントフジグランドフードフェスタ」で開幕した国民文化祭も今日は最終日。富士宮市民文化会館で行われた「富士の恵みの音楽祭」に続き閉会式が行われたので出席した。



予約の七五三撮影を終えてから出かけたが、閉会式の前の「富士の恵みの音楽祭」第3部の新井満氏の富士山トーク&ソングを見ることが出来たのは幸いだった。



新井満氏は芥川賞受賞作家でもあるが、「千の風になって」の作者としても知られ、この曲により2007年に日本レコード大賞作曲賞を受賞している。

新井氏の作った曲に「富士山」があり、今回新たな編曲の「富士山2009」を披露していただいた。


 


同郷の三波春男の依頼で作ったこの歌で苦労したことは、富士山を讃えれば讃えるほど遠ざかってしまうこと。


富士山を誉め讃えることをあきらめて、富士山からほめて貰うことに思い至った時歌が出来たのだそうだ。


 


いつもそこで見ていてくれる富士山が、「よくやったね」と微笑んでくれる。


はっと思い至ったのは秋祭りに見た富士山の素晴らしさだ。


 



秋祭り初日の朝見た雪の富士山だ。


 



曳き廻しの背景には富士山が雲を纏いながらも姿を見せてくれたものだ。


 



共同催事の神田川勢揃いでは背景にくっきりとその姿を見せた。


 


漠然と国民文化祭に祭典実施全区が参加して盛り上げた事への、富士山からのご褒美ではと思ったものだが、まさに「よくやったね」と微笑んでくれたのだろう。


 


国文祭「お囃子の祭典」では雲隠れしていた富士山だが、しっかり見ていてくれたものだろう。


 


「お天道様はお見通し」と言うが、この地では「富士山はお見通し」なのだな。


 


 


PP&M

今日のニュースで「マリー・トラバースさんが16日、入院中のコネティカット州の病院で死去した。」と報じられた。72歳でここ数年は白血病と闘っていたという。


 


まだ中学生の頃、生まれて初めて自分で買ったレコードが「虹と共に消えた恋」で、ギターを習い始め買った楽譜集がやはりPP&Mだった。


 


PP&Mはピーター、ポール、マリー3人のフォークグループで、「虹と共に消えた恋」「パフ」「500マイル」「風に吹かれて」「花はどこに行った」などアメリカン・フォークの名曲をPP&Mの歌で聴いた方も多いことだろう。


 


あらためて曲を聴いてみると、あの頃が懐かしく思い出される。


 


惜しい人を亡くした。


ソンコ・マージュコンサート

27日は2月12日の日記で書いたソンコ・マージュのコンサートだった。






前から2列目の中央近く、良い席かと思ったらそうでもない。

演奏が始まるとホールの照明は落とされ、スポットライトが舞台のソンコ・マージュを照らす。するとスポットライトの反射が目を直撃し、眩しくて開いていられないのだ。

ことさら目にダメージが強いのは持病の花粉症の影響もある。

花粉症歴は長い。何しろ花粉症という言葉がない頃から春先には目がかゆくて眼科医院に通っていたほどだから。



やむなく顔を伏せ、目を閉じてギター演奏と歌を聴いていた。



昔叔母の家でギターと歌を披露してくれた時に、弦を緩めサウンドホールに手を突っ込んで割り箸を貼ったり削ったりしていたのを思い出した。

響かせたい音と共鳴するものがあればその音が強く響くのだと言っていたが、あのギターにも内側に割り箸などが貼ってあるのだろうか。

ガットギターの高音部の響きが特に素晴らしかったのは、もしかすると強い反射で目をくらませたギターのボディー裏側に貼られた割り箸の効果なのかもしれない。

ソンコ・マージュのチャリティーコンサート

弟の娘が今年成人式を迎えたところだから、かれこれ二昔ほど前の事だ。

結婚する弟に叔母がたずねた。

「結婚祝いは現金が良い?それともソンコ・マージュに歌って貰う?」

ソンコ・マージュはフォルクローレの大御所アタワルパ・ユパンキにその名を貰ったという、日本のフォルクローレ会の第一人者だ。

祝儀には代え難い叔母の申し出に、弟は迷わず歌って貰う事を選んだ。



結婚披露宴は改装なる前の山峯(さんぽう)。

ちょっと場違いな感もする広間の舞台で、ギターの弾き語りで歌い上げる声量豊かな歌に大いに酔い、しびれた物だ。

叔母とソンコ・マージュは古くからの知り合いという事だったから、そんなお願いも出来たのだろう。

叔母が亡くなったのが平成13年だった。

最初のコンサートでソンコ・マージュが来宮した時叔母のお墓に参って頂き、コンサートでは叔母のために「枯れ木の歌」を捧げて頂いた。



ポニークラブ「エヘガザル」のチャリティーコンサートもかれこれ3回目になるだろうか。そんな縁から毎回コンサートを見に行くのはもちろんだが、券の販売なども微力ながらご協力させて頂いている。



今年もまたチャリティーコンサートが行われるので、多くの方にご来場頂ければとお知らせする次第だ。





富士市のロゼシアターで、2月27日19:00開演。







入場券を当店でも販売しておりますので、ご希望があればお越し下さい。

富士山 新井満





新井満さんが作り歌われたこの歌に感銘を受け、へんぽらいが撮りためた富士山の写真をスライドショ ーにしました。



iTunes Storeで新井満さんのアルバムを購入できます。



芥川賞作家で、「千の風になって」の日本語訳及び作曲の新井満自身のアルバム。

「千の風になって」によって2007年の日本レコード大賞作曲賞を受賞。



千の風になって~再生~ 新井 満 2,000円



収録曲は

1.千の風になって(アルバム・バージョン)

2.お母さん、おぼえていますか

3.故郷 

4.黄昏のビギン 

5.川の流れのように 

6.富士山 

7.雪の降る街を 

8.青いソフトに 

9.最期に贈る言葉 

10.千の風になって (シングル・リミックス・バージョン) 

11.千の風になって(オーケストラ・バージョン)

以上全11曲。



1曲だけでも購入できます。

・富士山              200円



CDは2004年にポニーキャニオンより2,625円で発売されています。

いつか聴いた歌

富士高同窓会の富友会総会に出席し、同じ22回卒の長谷川寛氏の歌を聴いた。



その中で印象に残った歌がある。

「千の風になって」を作った新井満さんの作った歌だ。



以下、歌詞を歌詞紹介サイトから引用し、紹介する。



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富士山



作詩:新井満 作曲:新井満





桜の花が 咲いている

旅立ちのとき 胸あつく

遥かな空に 虹かける

仰げばそこに 富士の山





逆巻く波が 打ち寄せる

真っ直ぐな道 曲り道

傷つくたびに 泣くたびに

「元気出せよ」と 富士の山





夕焼け雲が 燃えている

ふるさとの山 光る河

父、母、幼友達の

歌が聞こえる 富士の山





白雪しんと 降りしきる

さまざまなこと 思いだす

「よくやったね」と微笑んで

春を夢見る 富士の山



「よくやったね」と微笑んで

春を夢見る 富士の山



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なにやら懐かしい気持ちがすると思ったが、どうも聴いた事がありそうだ。作者のCDにもあるが、三波春夫さんも歌っていたらしい。



富士山を敬愛する私には、歌詞がすんなりと入ってくる。気に入ったので、これを富士山の写真でスライドショーにしてYoutubeで紹介できないかと思った。

とりあえず、CDを入手してスライドショーを作成する事だ。

見つけた!

よしだたくろうの歌はリアルタイムで聴いてよく歌った物だが、「祭りのあと」は特に好きな曲だ。



たまたま覗いたYouTubeの中に、見慣れた光景が写り込んでいた。



uchitamaさんの投稿をご紹介する。







2:06あたりから数秒間、浅間大社境内の川中厳島神社脇の藤が写っている。





昨年4月29日に写した同じ藤だ。

祭りのあと

吉田拓郎の歌は青春時代にリアルタイムで聴いていました。

中でも「祭りのあと」は好きな歌です。







そこに歌われる祭りが終わった後の寂しさや切なさが、1か月丸々準備にかかり切っていた頃でしたから切々と胸にしみました。



2003年に肺がんの手術を無事成功させたとはいえ、テレビで見たたくろうはコンサートでは相変わらず熱唱していて、無理がなければいいがと内心心配していました。

今回もぜんそく性気管支炎で8公演を延期したとのことですので、ツアーが再開されたとは言え、気に掛かります。



今でこそ私も少し離れて祭りに参加できますが、昔その準備の多くを担っていた頃、疲れからよく風邪を引き、その後は体調が元に戻るまで咳が3か月も抜けない事がざらにありました。

気管支の弱い体質で笛吹きを志すのは無理な話でしょうか。



でも憧れは捨てきれず、咳をしながら練習しました。

手ほどきを受けていた先輩は居なくなってしまい、恐る恐る門を叩いた笛の名手が練習に呼んでくれた時には中学生の囃子方の世話などで断念。

録音テープと8ミリ映画から落としたVHSビデオで独習せざるを得ませんでした。

あちこち回り道をしたために、笛がなんとか物になったのは5-6年ほど後の事。



また間に合わなかったとため息をつきながら、この歌「祭りのあと」を聴いていました。



拓郎頑張れ!

でも無理するな。まだまだ歌い続けて欲しいから。

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