へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

消防団

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

平成23年富士宮市消防出初め式

平成23年富士宮市消防出初め式が1月8日に行われた。


1年おきに消防団の記念撮影を行うので、消防団OBとしてその撮影を承っている。


今年は撮影がない年なので、出初め式を取材する事が出来た。


 


放水は先日ご紹介したが、出初め式の様子をかいつまんでご紹介しよう。


 



富士宮市長による祝辞。


天候はこれ以上無い快晴で、富士山の雪もくっきりと見える。


 



ラッパ隊にはかつて私も在籍した。


お囃子の笛とは勝手が違い、ずいぶんと苦労した物だ。


当時の仲間が今の隊長だ。


 



会場西側のポンプ車の整列。


本署車両に続いて分団車両が並ぶ。


昨年三月に芝川町が合併したので、6分団が増え全部で28分団となった。


 



訓練礼式の披露だ。


指揮者の号令にあわせ、行進し、隊列を変える。


 



小型ポンプ、ポンプ車による放水。


筒先から水がほとばしり、標的を狙う。


二昔も前に小型ポンプ繰法のこの1番員をやったことがあるが、当時は形だけで実際に放水する事はなかった。


 



続いて行われるのが梯子隊による梯子演技。


最後の火の用心三唱だ。


内容はあらためて紹介する。


 



消防署レスキュー隊によるはしご車からの降下演技。


はしご車はまだ伸びるが、画面をはみ出してしまうのでまだ途中だ。


 



伸びた梯子から2名の隊員が降下する。


 


 






 


itadasi131さんがYoutubeにアップした物をご紹介しよう。


他にも梯子演技などがあっぷしてあるので、興味があったらたどって下さい。


 


演技や表彰など式典が終わると、隊列を組んで市内を行進する。


そして神田川にポンプを着けて一斉に放水し、解散となる。


 


 


梅雨末期の豪雨

春先の多雨、連休あたりからの好天、そして梅雨末期の豪雨と極端に振れる天気にはため息が出るばかりだ。


 



わが家の前に工事告知の看板が設置された。


正面の鳥居は浅間大社西鳥居で、右に曲がった道の舗装工事だそうだ。


 


鳥居の向こうは浅間大社境内で、石段を下って境内に入る。


富士宮市は言ってみれば富士山の麓斜面の街だ。北から南に傾斜があり、自然流下で水はけは速い。


わが家のあたりで水位が上がっても浅間大社境内に流れ落ちるので、かなりの大雨が降っても幸いなことに下駄がやっと浮くぐらいで済んでいる。


神田川沿いはそれでも雨水が集中する所で、昔は神田橋周辺や神田川町が水浸しになったのを記憶しているが、近年は改良工事なども進んだので大規模な浸水の話は聞かない。


 


各地での豪雨被害を見るにつけ消防団在籍当時の水防訓練を思い出すが、幸いなことに警戒や巡回程度で済んでいた物だった。


富士宮市は浸水に関しては、かなり恵まれているのかも知れないな。


 


これ以上の降雨は勘弁願って、全国で梅雨が静かに明けるようお祈りする。


 


ブログを書いているうちに工事は終わった模様で、工事業者が看板を撤去して去っていった。


富士宮の火事

月曜夜の火事の事は全国ニュースで流れたらしい。たしかに滅多にない大きな火災だった。


 


消防団を退団して8年になるが、隣接地域で火災発生との広報を聴いては、そのあたりには知り合いも多いのでじっとしては居られない。


現場を確かめるべく駆けつけた。


カメラをと思い玄関まで持って出たが、思い直して持たずに出かけた。


報道でもないのに被災者が居る現場で、たとえ神経を使いながらとは言えシャッターを切る事に抵抗があったからだ。


 


隣接家屋を巻き込んで鎮火は深夜。管轄分団は朝4時まで現場に張り付いていたそうだ。絡まりながら延長されたホースの数も多く、こっちなら写真を撮っても気が咎めることはなかったろうな。


 



月曜の昼間、国文祭の展示用資料をチェックしていて、昭和9年大火の復興祭の記念写真を見ていた。


 


昭和7年の大宮大火で神田川以東の広範な地域が焼き尽くされ、その惨状を私の祖父が撮影したものが絵はがきになって残っている。


 



木造家屋はあらかた焼け落ちている。


 


惨状とはいえ、誰かが後世に伝えなければならない。


写真に携わる物の使命としてこれを撮った物なのだろう。


やはり貴重な記録だ。


 


撮る撮らないはともかく、カメラはやはり持ち歩くべきかな。


 


 


 


花の下にて春死なん

ニュースではどこかの桜の開花を伝えていた。

観測史上最も早いのだとか。

浅間大社の桜の開花は例年20日過ぎだが盛りは3月末から4月初めくらいだ。





写真は一昨年の浅間大社境内の写真だ。

朝は大雨だったのが美事に晴れ上がり気温が上昇した。桜は一斉に開き、神田川では水遊びをする気の早い子供たちが居た。

2007年3月30日(金曜日)の旧ブログに多くの写真で紹介しているので、ご覧下さい。



浅間大社青年会と流鏑馬保存会でご一緒させて頂いた先輩が先日他界された。

享年72歳。まだまだ逝くには早すぎる。



「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」

西行法師が歌に詠んだように、私も出来る事なら桜を見ずには死にたくないと思う。



叔母が亡くなったのが8年前の3月8日だった。

桜が咲くにはまだまだ早かったが、三十五日の膳上げ法要を行った4月7日には、それまでの寒気で足止めを食っていた桜は一斉に開き、一気に満開になった。

引き出物の菓子を受け取りに向かう際、浅間大社境内の桜があまりに美事で、思わず車を止めて眺めたのを憶えている。

お寺での法要を終え墓参りに移動する際、火災に遭遇した。当時消防団分団長を務めていたので、車を墓地に置いて現場に駆けつけ、消火に当たった。



あいにく消防水利が改修中だったため前の用水には水が少なく、消火にはずいぶん手間取ってしまった。

鎮火した後室内に入ったが、まだ一部の壁は熱を持ち、ことごとく炭と化した部屋で一同呆然と立ちつくした。

ふと目を転じると、ぽっかり口を開けた窓の外には、燦々たる陽光を浴びた満開の桜が咲き誇っていた。

咲き誇る桜と、それを縁取る焼け焦げた窓。

歓喜と悲劇のこのコントラストの強さは、滅多にない。

世の中は思うようには行かぬ物らしい。



でも叔母にしてみれば、桜が咲くまで命をつなぐ事は出来なかったが、あの世に旅立つ膳上げの日に満開の桜に見送られたという事は大いに幸いであったろうな。







目眩

10年ほど前まだ消防団員だった頃、急な目眩に襲われた事がある。



振り向いたり、首をかしげたりするとぐるぐると目が回り、あっけなく床に転がってしまうという重症だ。



消防団の旅行が翌日だった。

分団の会計を担当していたので、旅行社以外の旅先での支払いは現金を持ち歩くしかない。会計を経験した副分団長や分団長に訳を話して会計をお願いすればそれで良かったのかもしれない。でも、それでは無責任過ぎはしないか。

とりあえずお医者さんにかかり、薬を貰った。

薬が劇的に効くという事もなかったが、家で何度も目眩で転がりながら目眩が起きる時と起きない時を考えてみた。

振り向く時。首を右に傾けた時。横になっていても右を下にするとぐるぐる目が回った。

それでも振り向くような急激な動作をとらず、右耳を下に向けなければ目眩も起こらずなんとか無事でいられる。



旅行には参加することにした。

ただし、慎重を期して急な動作を避ける事だけを考えた。首と体は何かで固めたように一体化させ、向きを変える時は体ごとそろりそろりとゆっくり向きを変える。さぞかし奇異な姿だったろうな。



幸い目眩を起こして転倒するような事もなく、何とか無事に旅行から帰ってくる事が出来た。

目眩ばかりを心配したからなのだろう、旅行で何処に寄って何を見てきたのかは、記憶にまったく残っていない。



インターネットで調べたら良性発作性頭位目眩症と言うものが見つかった。どうやらこれのようだ。



内耳の体の平衡を保つセンサーが不調を来す事で起きるらしい。

直す方法は、あえて目眩を起こしこれを繰り返すことだとか。繰り返すうちに症状は軽減するとのこと。

横になっても寝返りを打って右耳を下にすると、ぐるぐると目が回ったが、これを我慢して繰り返せば早期に回復できたということだ。

今度この症状が起きたら対処法を試してみようと思うが、若年性に多いと言う事なので年をとると起きにくくなるのだろうか。



起きないに越した事はないのだが・・・。



文化財防火訓練 浅間大社

1月23日午後、浅間大社で恒例の文化財防火訓練が行われた。




西門通りにははしご車を初め、消防署の車両が配置されていた。




私がかつて在籍した第三分団は詰め所前に待機。

予定の配置場所を聞き、先回りして消火活動を記録する事にする。




出火想定場所は車庫ということで、車庫前で発煙筒が焚かれる。




大声で火災を知らせる声が聞こえ、署へ通報し、自営消防施設を使っての放水が始まる。

しばらくして駆けつけた第3分団。




社務所と湧玉池の間を通り、水利に向かう。




湧玉池下池禊ぎ所にポンプ車を配置。




吸管を投入し、沈める。




筒先に水を送る。




出火想定場所に放水する。




筒先の放水







筒先が4つに別れたノズルだ。それぞれ独立して向きや噴霧直射が変えられるのが特徴。

昔私が入団した頃にはすでにあったから、かれこれ30年ぐらいは使用しているものだ。




楼門内は本署が放水。




本署放水は分岐して2方向に。


分団員の予想通り新聞報道は楼門内の放水ばかりだった。

新聞には載らなくても、きっちりまじめにやっている事は浅間大社の神様はお見通しだよ。

ご苦労様でした。

富士宮市消防出初め式

1月12日に富士宮市消防出初め式が行われた。





城山グラウンドに整列する団員たち。





表彰を演奏するラッパ隊。

私が在籍したのは10年以上前になるだろうか。

今では見知った顔は、隊長と出身分団から出向いている団員だけだ。

当時のラッパ隊長は今では団長となっている。





消防団OBの会である纏会が甘酒を振る舞っていた。





訓練礼式の披露が始まった。





そして小型ポンプ繰法。





ホースを広め、繋ぎ、駆け出す。





放水でみごとに火点を捉えた。





そしてその次はポンプ車繰法が始まった。





放水が火点を捉えた。





「放水止め」を伝達する。





梯子乗りが始まった。





梯子乗り全景。





邯鄲夢の枕。





一本遠見。





二本鯱。





親子亀。





親子で火の用心をうったえる。





梯子の締めくくりは火の用心三唱。





消防署による崖下の怪我人救助だ。





梯子車にけが人を吊り上げ救助する。





救助訓練の全景だ。





川沿いにポンプが整列し、放水の準備だ。

背景には富士山があるのだが、あいにく雲隠れ。





放水が始まると虹が出現する。

一昨年はもっとふれあい広場西側まで虹が見えた物だが、今年は遠慮がちだったのかな。



放水をビデオに撮ろうと早くから待機していたが、写真も無ければつまらない。

だからビデオは始まりと終わり部分だけで実際より短くなっている。






本日防災訓練

本日12月7日日曜日は我が宮本区の防災訓練だった。

開始時間は午前9時だが準備のために役員は事前に集合するとの事。午前8時に出かけたがまだ誰も来ないので、久しぶりに近所を見て回った。




中央図書館駐車場から見た富士山だ。快晴の空に雪化粧した富士山がくっきりと見える。

これだけ晴れると放射冷却でかなり寒い。




市民文化会館駐輪場の銀杏は、黄葉がそろそろ散り終わる頃だ。





文化会館植え込みのドウダンツツジの紅葉は、なかなかきれいだった。




集合時間は8時半だったらしい。ようやく準備が始まり、防災倉庫から訓練機材を運び出した。





区民館前に集まり開始を待つ。





非常食の試食など行った。



私は別の場所で小型ポンプの操作を説明していたが、残念ながら写真はない。

撮影の予約があったので時間が気がかりだったが受け持ちは順調に終了し、撮影にも充分間に合った。

災害は何も起こらないのが一番だが、こればっかりは都合良く行かないものだ。

故郷の無事を祈る。



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師走の消防団



 = 消防出初め式の放水 =



先日レポートした秩父祭りでは消防団員が警備で活躍していたが、わが富士宮市でも祭りと消防団の結びつきは強い。

富士山まつりの手筒花火と御神火まつりには管轄する方面隊が警備にあたる。





 = 7月1日開山祭の夜行われる手筒花火 =



 = 8月第一土曜日に行われる富士山御神火まつり =



秋まつりにおいて消防団としての警備などはないが、引き回しをする町内青年の多くが消防団員を兼ねているケースが多い。







今、師走の慌ただしい中で、正月の出初め式での披露に向けポンプ繰法や訓練礼式の練習が行われている。



 = 出初め式で披露された小型ポンプ繰法 =





 = 出初め式で披露された訓練例式 =



空気が乾燥するこれから、予防広報、歳末警戒、出初め式練習と多忙な季節となる。



消防団を卒業して6年経ったが、21年間の経験は得難く有意義だった。今では懐かしくそれを感じる。

慌ただしい歳末の街で広報巡回するポンプ車を見かけたら手を振って下さい。経験から言えば、そんな些細な事が嬉しいものですから。




秩父夜祭-消防団と祭り

 前回見に来たのは何年前だったろう。消防団在職時代だからかれこれ10年ほど経つのだろうか。


3日に都合がつかず、2日に訪れたもののあいにくの雨。残念ながら引き回しは中止となり、街を歩き回った。ふと立ち寄った書店には作美陽一さんの「大江戸の天下祭り」が山積みされていたのを思い出す。作美さんが秩父の方だったからという事だろうか。この名著も今では入手が困難で、古書でもプレミアがつく状態だという。

 

ある屋台蔵に立ち寄った時に、警備の消防団員の方とお話をさせていただいき、自分たちも地元で消防団員をやっている事を話し消防団の防寒着を見せると、親しみを感じていただいたものか蔵の中まで案内していただき、詳しく説明を聞く事が出来た。

残念ながら引き回しは見られなかったが、それが思わぬ収穫だった。

 

今はどちらも消防団を卒業したが、その時一緒だった消防団先輩の石川さんに声をかけていただき、12月3日に秩父の夜祭りを再訪した。

 

最初に見かけたのは秩父駅前の交差点で、本町屋台が方向転換をしているところだった。

 


写真左側に見える方たちは警備の消防団員だろうか。

 


手前のアポロキャップの方。


屋台の後方の方。

 

それぞれ消防団関係者のように見える。

 

わが富士宮市でも祭りと消防団の結びつきは強い。

ある祭りの夜放火事件があり担当の町中の消防ポンプが駆けつけると、何台ものポンプ車から下りてきたのはそれぞれの町内の祭袢纏を着た若者たちだった。秋まつりに関わる区域での消防活動で顔を合わす人間は、それぞれの町内で祭りに関わっているものが殆どだとも言える。

 

住民の生命財産を守る消防団員は、地域の伝統文化も併せて守っている。

 

消防団、がんばれ!




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