へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

湧玉宮本

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

卒業 - 踊る子供に思う

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踊る子供を見て思い出したことがあります。


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昭和48年の初参加から平成28年まで続けてこられたのは、祭りを喜び楽しむ子供たちが居たからでした。
言い換えれば、この踊る子供の笑顔に引き留められて、抜ける時期を逸したのでした。



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私が青年長を承った頃は、青年がわずかに3名というどん底の時代でした。
祭り当日に準備が出来ていないという悪夢にうなされ、それから仕事はそっちのけで祭り準備に注力しました。でも充実感より虚しさばかりがつのります。


そんな時、踊りを真似る幼子の幸せそうな笑顔を見ました。
この子等のためなら続けるのも悪くないか。

そう思えたのが目から鱗が落ちた時でした。


貴重なメンバーが欠ける事もあり、その度に大きな穴があいたように思います。

不思議なことに、修復不能に思えたその大きな欠損もなんとか埋め合わせられるようで、祭りは自分で修復する力を持って居るかのようにさえ思えます。
実際は祭り仲間が力を合わせてその穴を埋めているのですが、祭り自体がまるで自己修復能力を持った大きな生き物のようにも感じられるのです。

だから祭りは続くのでしょう。

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思い上がりか知れないけれど、自分が抜ければ祭り実施にどれだけのダメージがあるのだろうと思うことがあります。
でも抜けた後で何事も無かったように穴が簡単に埋められていたら、それまで関わってきた自分の存在が否定されるような気がして、この祭りから抜けることもなかなか出来ませんでした。

でも、それでは後進が育たない。


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決して多くは無いけれど、青年がわずか3名というどん底の時代と比べれば祭りの仲間はそれなりに居ます。仕事や役割だって、皆で分担すればそんなに負担にもならないでしょう。


子供達の夢中で踊る姿が、きっと力を与えてくれる。
それがやたらと目についた今年が、次の世代に託す好機なのでしょう。
案ずるより産むが易し、大丈夫、何とかなるものだと言われた気がします。


今は思い残すこともありません。
後進に後を託し、今年の祭りをもって現場から卒業します。

頑張れ!!みんな。


蛙の子踊る!! : へんぽらいの祭り談義

少年老いやすく

富士宮まつりで露店が出なかった祭りは、平成54年だけです。
この年の祭りは「無形民俗文化財 富士宮囃子」という、富士宮市教育委員会制作の8弍撚茲砲盒然記録されていました。浅間大社への宮参り部分だけ抜粋して紹介します。


宮参りの行列が入って行く浅間大社大鳥居前にも、いつもなら露店が両側に並ぶ正面参道にも一切露店が見られません。
こんな祭りは後にも先にもこの年だけでした。


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平成24年11月3日宮参りの境内です。
このように通常の祭りには、沢山の露店が所狭しと境内を埋めています。


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この昭和54年の我が町内の曳き回しでは、露店が無くては境内も寂しかろうと浅間大社の了解を得た上で楼門前まで屋台を引き入れました。

この時のことは、37年経った今でも鮮明に覚えています。
西門の鳥居をくぐり石段を下りたのですが、引き綱を後ろに回して梃子棒で慎重に下ろしました。この時私はおおどを叩いていたのですが、なかなか屋台が前に進まないのにじりじりしていました。おまけに子供が屋台の横から「しっかり叩け」と生意気な口をききます。屋台が進まないのは、暴走を恐れて綱を持つ人たちが必死で後ろに引っ張っていたからでした。

ようやく馬場に下り楼門前に進むと、記念写真を撮るというので父親を呼びに家に走りました。
すっかり出来上がっていた父親を連れ、カメラと三脚をセットし撮るばかりにして屋台に飛び乗ったのがこの写真です。

この後正面参道を退出する際、石段を下るときの緊張が解けて気が緩んだ物か、太鼓橋の傾斜には誰も気付きませんでした。鏡池の太鼓橋のピークを過ぎると屋台は走り出し、石段を2段落ちて止まりました。この時私は鉦を叩いていたのですが、油断して帯を竹に結ぶのを忘れていて石段を落ちたショックで前に飛ばされました。
へたをすれば屋台から飛び出して、骨の1本や2本は折っていたかもしてません。
でも運が良いのか悪いのか、梁に頭をぶつけきんど二人の背中に落ちました。
骨は折らずに済みましたが、大きなたんこぶが出来ました。
ちょっとだけ暴走はしたものの、私のこぶを除いては他にけが人も無く屋台は参道を進みます。
大鳥居をくぐり商店街の手前まで進んでUターン。許可無く他所の区内に引き入れるわけには行きませんから、参道を戻りもう一度大鳥居をくぐり中道を西に抜けました。

大難をやり過ごしたところに、思わぬ落とし穴がある。
それをこの時、身をもって覚えました。

それから37年、当時のご老人はこの夜を去りましたが、当時青年だった方達の中には現在市の要職に就いている方も居られます。子供達も当時の自分より大きな子供を持つお父さんやお母さんになり、当時独身だった私にも1歳の孫が出来ました。

最近のことはよく忘れますが、若い頃のことは記憶にしっかりと焼き付いています。
振り返れば時の流れの速いこと、まさに「少年老いやすく」を今実感しています。



屋台、浅間大社に入る : へんぽらいの祭り談義

屋台、浅間大社に入る

今年富士山頂滞在で、山頂の警備をされていた方と話す機会があり、昔話を伺いました。
昔富士宮市の高校で何年か教師をされていたそうで、その当時の教え子達と今でも親交があるのだそうです。
その時代というのが暴力団とテキ屋の抗争で祭りに露店が出なかった頃との事。
そんな年があったのを思い出しました。

まさにその年の写真がこれです。
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昭和54年11月3日、湧玉宮本は露店の出ていない浅間大社楼門前馬場に、屋台を曳き入れて記念撮影をしました。いつもの祭りならこんな事は出来ません。境内には露店がひしめき、屋台が通れるような通路はありませんから。

おまけに境内馬場に入るには、西門鳥居の内側に石段があります。まずここを屋台で下りようとは、誰も思わないでしょうね。
でも、我が町内はこの屋台で石段を下りたのです。引き綱を後ろに回し、暴走しないように慎重に梃子棒で1段ずつ下ろしたのですが、後ろで必死に綱を引いたのでなかなか進みませんでした。
ようやく階段を下り、楼門前の馬場で記念撮影したものです。


この西門の石段は大正年間の浅間大社(当時は浅間神社)大改修で作られた物です。
西鳥居西側に土を盛り境内と区切ったと聞いています。西鳥居北側にあった第三分団詰め所前を下水道工事で掘った時、道路2メートルほど下に石畳が埋まっていたと工事業者から聞きました。
新たに出来た西鳥居から南の現在の宮町商店街まで続く坂道を「新坂」と呼ぶのは、このことに起因している物でしょう。

宮本大正4年大社馬場

大正4年に我が町内は「湧玉御幸」という新たな祭り組を作り、山車を新造しました。その時の記念撮影です。この写真も浅間大社馬場まで山車を引き入れていますが、それが出来たのは大改修前で西鳥居の石段はまだありませんでしたから。



100年後(平成27年)の記念撮影です。
集合

祭り組の変遷から名前「湧玉御幸」は「湧玉宮本」に変わりました。
でも大正4年に作られた山車の土台の足回りは現在まで引き継がれていますので、この山車にとっては100年目の祭りになります。
祈祷殿前まで引き入れ、踊りを奉納して記念撮影を行いました。
馬場に引き入れるには坂道を下りなければなりませんし、露店が出店していればとても通行出来ません。でも祈祷殿前なら、楽に入れます。



祭りの曳き回しをしていたのに露店が出なかったのは、私が祭りに参加し始めた昭和48年以降この54年だけです。当時私は28歳でしたから、この方とは歳が近いのかもしれません。
かなり先輩かと思ってましたが、失礼しました。


今年もいよいよ祭りの準備が始まりました。
10月になればお囃子の練習が始まり、祭り気分は徐々に盛り上がります。

祭りが終わるまで年寄りとしては常に目を配り気を配らねばなりませんが、それを楽しまなくては。


今年も好天に恵まれ、無事に終えられますように。



平成27年富士宮まつり中日曳き回し湧玉宮本-2 : へんぽらいの祭り談義

祭りの終わり 湧玉宮本

中日の本宮共同催事を終え、会所に帰ります。
昔なら終わる祭りに寂しさを感じる頃合いなのですが、近年はちょっと様子が違います。
会所に帰ってから、まだ最後のお楽しみがあるのです。

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本宮2回目の競り合いを終え、退出の準備をして待機中。
ここからUターンをして貴船区の後に続き、十字街から退出します。


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十字街交差点を旧国道139に曲がります。


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旧国道139号線より西門通りに曲がります。


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湧玉宮本囃子方

会所に帰着し通過する他区を見送ると、いよいよフィナーレを迎えます。

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チーム1


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チーム2


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チーム3

私の合図で一斉に囃子が始まりました。

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今年の最後だから、思い残すことの無いように誰かがギブアップするまでということで続けましたが、20分もたずに終了。ちょっとがっかりでした。


そして踊り収め。

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会所に向け踊りを披露


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ちょっと前の踊りを披露


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今年特訓した新曲を会所に向け披露


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会所で食事の準備と給仕をして下さったご婦人方も招き、最後は一緒に踊ります。


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くたくたになるまで踊り、これで思い残すことなく今年の祭りを終わることが出来ました。
来年も楽しい祭りが出来ますように!


へんぽらいの祭り談義 : 平成27年富士宮まつり共同催事

平成27年富士宮まつり中日曳き回し湧玉宮本-2

湧玉宮本の午後の曳き回しです。
先ずは浅間大社祈祷殿までお囃子と踊りを奉納に出かけます。
隣接区ゆえ、浅間大社の了解さえ取れば、気兼ねなく運行出来ます。

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浅間大社境内に山車を曳き入れます。


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祈祷殿前に進みます。


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祈祷殿前に出しをつけ、お囃子を奉納します。
この後踊りを披露しました。


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浅間大社と富士山を背景に記念撮影。


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本宮共同催事に向け、湧玉福地が来訪。

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湧玉福地の囃子奉納


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湧玉琴平来訪し囃子奉納

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琴平区の囃子奉納


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宮本会所前で、湧玉琴平と湧玉宮本の競り合い。


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湧玉神立による奉納囃子


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湧玉神立の踊り披露


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湧玉琴平が本宮共同催事に向け出発する。
この後、湧玉神立が出発し湧玉宮本が後に続きました。


へんぽらいの祭り談義 : 平成27年富士宮まつり 中日曳き回し(湧玉宮本)-1

平成27年富士宮まつり 中日曳き回し(湧玉宮本)-1

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これ以上無い好天に恵まれました。


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相生町


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福住町を南進


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高嶺区を進みます。


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高嶺区で踊る。


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高嶺区で神田区とすれ違う。


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高嶺会所に囃子を奉納。
この後踊りを披露して、休憩させていただく。


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祭典本部から見た浅間大社境内。


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遠望する商店街と山車。



第二鳥居前まで山車を曳き入れお囃子を奉納しました。


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第二鳥居前で踊る。


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踊る背景に富士山


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登山道を進む。


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東鳥居前の城山会所前に到着


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囃子を奉納します。


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富士山のビューポイント御手洗橋で


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浅間大社中道で踊りを披露。






へんぽらいの祭り談義 : 平成27年富士宮まつり 初日曳き回し(湧玉宮本)

平成27年富士宮まつり 初日曳き回し(湧玉宮本)

宮参りから帰り、ちょっと休憩した後に町内曳き回しを始めます。

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曳き回しの前に、会所前で1曲踊ります。


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曳き回しが始まりました。


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浅間大社に隣接する区ですから、後背林もすぐそこ。
駐車場で踊ります。


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踊り披露
今年の新曲初披露です。


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山車の入れない細道を進む時、太鼓をかついで進みます。


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午後の曳き回しで神立区を訪れました。


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坂道を登る時は気合いを入れて曳きます。


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神立会所に向けて囃子奉納


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神賀会所に向けて踊り披露


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福地会所に向けて囃子奉納


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新築された貴船会所を訪問し、囃子奉納。


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貴船会所で踊り披露


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そして町内に帰り、曳き回しと踊りを繰り返します。


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会所に帰り、夕食。
夕食後子供は解散となり、夜の曳き回しは大人のみで行いますが、親が一緒なら子供もついて行けます。


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富士宮市民文化会館東の坂道を上り、目指すは湧玉神立が待つ”さの萬”。


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1回目は女子による競り合い。


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2回目は男子による競り合い。


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湧玉神立の踊り披露と見学する湧玉宮本


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湧玉宮本の踊り披露と見学する湧玉神立


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踊り方のご婦人達記念撮影


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囃子方記念撮影


無事に初日を終了することが出来ました。



へんぽらいの祭り談義 : 27富士宮まつりと富士山

100年目の祭り

本日11月9日午後7時より、静岡県ローカル局SBSの静岡発そこ知り「石ちゃん!しずおか おじゃましま〜す!」で富士宮市の大社通り宮町商店街が紹介されます。御覧下さい。
SBSからの依頼で100年前の我が町内湧玉宮本(当時は「湧玉御幸」を名乗る)の記念写真を提供しましたので、没にならなければ映るでしょう。(笑)

大正4年御幸祭り

それがこの写真です。
大正4年の御大典に湧玉御幸という祭り組が誕生し、この山車が作られました。
浅間大社馬場に曳き入れての記念撮影に疑問を感じませんか?
実はこの当時まだ西鳥居の段差が無く、大正後期の浅間大社大改修で現在の石段の形になったものです。

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100年目を記念して、今年は山車に「祝御幸百年」の札を掲げました。



へんぽらいの祭り談義 : 今年で100歳

今年で100歳

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人手の必要な設営は会所の門と献灯の提灯枠をセットしたので、一安心。
あとは小人数でもぼちぼちと進めていけば、充分間に合います。

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山車の飾り付けは囃子方の担当で、放送設備も山車に着いたので各種の幕をつければオッケー。


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祭りが近づくと、囃子の練習も仕上げ段階。室内から山車蔵に移ります。

今日は最終の実行委員会。
会合を終え、祭りの放送担当と話していて今年が宮本区の祭りにとってどんな年なのかを探ってました。年表を見ながら話題性のある事柄を探していたら、今年が山車を建造してちょうど100年だと言うことに気付きました。

我が町内の祭り組織「湧玉宮本」の前身は、社人町(現西門通り)・福住町(現大月線の一部)という地域で構成された「湧玉御幸」でした。この「湧玉御幸」の記念写真が残っています。
大正4年御幸祭り

大正4年(1915)の御大典にこの山車が建造されました。今からちょうど100年前です。
山車の飾り物は諫鼓鶏(かんこどり)。
中国の伝説に由来するもので、天下泰平の象徴とされます。
江戸時代に天下祭りと呼ばれた神田祭において、氏子町内が山車を江戸城内にまで曳き入れ将軍の上覧を賜りました。その1番町大伝馬町がこの諫鼓鶏を山車に乗せたのにちなみ、浅間大社と結びつきの強いお膝元町内「社人町」としてこの諫鼓鶏を選んだものと思われます。

その後の祭りは残念ながら写真が見つからず確かな曳き回しの記録は乏しいのですが、
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昭和19年の山車・小屋の保険証券から、この頃はまだ山車だったことがうかがえます。


昭和27年

昭和27年撮影と言われる記念写真です。山車は戦後、屋台に姿を変えていました。
山車を分解し、足回りの上に新たに柱を組み上げ屋台に改造したものです。

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昭和54年に山車を浅間大社馬場に曳き入れた際の記念写真です。

昭和57年の市制施行40周年大祭りに山車を復元するまで、この屋台が曳き回しに使用されていました。


宮本山車

一時屋台に姿を変えたとは言え土台となる足回りは継続使用されていましたので、この山車が100年の宮本の祭り歴史を見てきた生き証人だと言えましょう。

大事に使い、後世まで残してゆきたいものです。

そろそろお祭り準備

ひろみさんから電話。
手児舞の着付けと髪結いを昨年までお願いしていた先生が、ご高齢のためやめられるので、他の美容院を探さなければならないとのこと。
見つかると良いのですが。

そう言えば、秋まつりの計画書提出は9月11日までだったな。
青年よ、資料ぐらいはまだ作れるが、還暦過ぎの爺さんをいつまでも頼ってくれるな。
でも旧市街の中心を外れた我が町内は、少子高齢化と過疎化で人は減る一方だがよく頑張っていると思う。

やっぱり孫が青年になるまでは、この祭りを絶やすわけには行かないからな。

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平成26年11月4日の富士宮まつり共同祭事勢揃い

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