へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

湧玉御幸

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

100年目の祭り

本日11月9日午後7時より、静岡県ローカル局SBSの静岡発そこ知り「石ちゃん!しずおか おじゃましま〜す!」で富士宮市の大社通り宮町商店街が紹介されます。御覧下さい。
SBSからの依頼で100年前の我が町内湧玉宮本(当時は「湧玉御幸」を名乗る)の記念写真を提供しましたので、没にならなければ映るでしょう。(笑)

大正4年御幸祭り

それがこの写真です。
大正4年の御大典に湧玉御幸という祭り組が誕生し、この山車が作られました。
浅間大社馬場に曳き入れての記念撮影に疑問を感じませんか?
実はこの当時まだ西鳥居の段差が無く、大正後期の浅間大社大改修で現在の石段の形になったものです。

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100年目を記念して、今年は山車に「祝御幸百年」の札を掲げました。



へんぽらいの祭り談義 : 今年で100歳

今年で100歳

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人手の必要な設営は会所の門と献灯の提灯枠をセットしたので、一安心。
あとは小人数でもぼちぼちと進めていけば、充分間に合います。

PNTX1220

山車の飾り付けは囃子方の担当で、放送設備も山車に着いたので各種の幕をつければオッケー。


PNTX1223

祭りが近づくと、囃子の練習も仕上げ段階。室内から山車蔵に移ります。

今日は最終の実行委員会。
会合を終え、祭りの放送担当と話していて今年が宮本区の祭りにとってどんな年なのかを探ってました。年表を見ながら話題性のある事柄を探していたら、今年が山車を建造してちょうど100年だと言うことに気付きました。

我が町内の祭り組織「湧玉宮本」の前身は、社人町(現西門通り)・福住町(現大月線の一部)という地域で構成された「湧玉御幸」でした。この「湧玉御幸」の記念写真が残っています。
大正4年御幸祭り

大正4年(1915)の御大典にこの山車が建造されました。今からちょうど100年前です。
山車の飾り物は諫鼓鶏(かんこどり)。
中国の伝説に由来するもので、天下泰平の象徴とされます。
江戸時代に天下祭りと呼ばれた神田祭において、氏子町内が山車を江戸城内にまで曳き入れ将軍の上覧を賜りました。その1番町大伝馬町がこの諫鼓鶏を山車に乗せたのにちなみ、浅間大社と結びつきの強いお膝元町内「社人町」としてこの諫鼓鶏を選んだものと思われます。

その後の祭りは残念ながら写真が見つからず確かな曳き回しの記録は乏しいのですが、
保険契約書w640

昭和19年の山車・小屋の保険証券から、この頃はまだ山車だったことがうかがえます。


昭和27年

昭和27年撮影と言われる記念写真です。山車は戦後、屋台に姿を変えていました。
山車を分解し、足回りの上に新たに柱を組み上げ屋台に改造したものです。

S54miyamoto

昭和54年に山車を浅間大社馬場に曳き入れた際の記念写真です。

昭和57年の市制施行40周年大祭りに山車を復元するまで、この屋台が曳き回しに使用されていました。


宮本山車

一時屋台に姿を変えたとは言え土台となる足回りは継続使用されていましたので、この山車が100年の宮本の祭り歴史を見てきた生き証人だと言えましょう。

大事に使い、後世まで残してゆきたいものです。

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