へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

災害

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

鎮魂を祈り、平穏を祈願

今年も浅間大社境内ふれあい広場で、富士宮囃子保存会によって東日本大震災鎮魂太鼓が行われました。

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開会にあたり、まず震災の犠牲者に黙祷を捧げます。


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浅間大社に向け拝礼して、いよいよ鎮魂太鼓が始まります。


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我が町内の披露です。

この日は富士宮囃子保存会参加21団体全てが参加し、くじ引きで順にお囃子を披露しました。


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2011年3月は忘れられません。
3月11日は震源域から遠く離れたこの地でさえ、大きな揺れに恐れおののき、停電でニュースも見られずに不安な夜を過ごしました。

その4日後の夜、富士宮市を震源とする大きな地震が起こった時には、老朽化したわが家の倒壊も覚悟したものです。市役所近くではかなりの被害が出たと聞きますが、幸いなことにわが家では大きな被害は免れました。

大地震と火山噴火は密接に関係していると言われます。
大地震の後、3年以内に大きな火山噴火が起きていることが多いとのこと。
このところ火山活動の活発化が伝えられます。富士山とて例外ではありません。

今年も平穏に祭りを迎えられることを祈ります。




大雪の思い出

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へんぽらい写真日記 : 日本晴れと富士山雪化粧

昨年の今日は大雪が明けた翌日で、ブログにもこの写真を使用していました。
気候温暖な静岡県でも過ごしやすい富士宮市の市街地は雪が積もることは稀なことで、これほど積もったのは20年ぶりかな。


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この10年ほど前にも大雪が降ったことがあります。その日はちょうど浅間大社の仮遷座祭でした。

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朝から降り続く雪に青年会の活躍で通路に急遽テントが準備され、遷座が滞りなく行われたのでした。

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境内の明かりが全て消され、松明の灯りを先導に幕で覆われた中を御神体が進みます。

仮遷座祭の10年前ぐらいが富士宮では経験したことも無い大雪でした。
わが家の2階屋根から雪が滑り落ち、明かり取りの波板が割れたのを憶えています。
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そして昨年の大雪でも、やっぱり雪が一気に滑り落ちました。
幸いこちらは割れずに済んだのですが、台所の明かり取りが割れました。
こんな大雪は滅多に無いこととは言え、昨今の異常な気象を目の当たりにしているとやっぱり心配です。

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こんな雪景色は滅多に無い方が良いな。

地震から3年

昨日のテレビで災害ヘリがとらえた東日本大震災の映像を流していました。その中の津波に押し流される家々が炎を上げながら燃えている画面を見て、あの日のことを思い出しました。
ぐらぐらと大きな揺れを感じ、慌てないように慎重に玄関の引き戸を開けに行きました。
停電になり家の中に居ても暗いし、なかなか揺れはおさまりません。家の前に出てみると、電線が大きくゆれていました。ニュースを見ようにも停電なので、スマホ用のワンセグチューナーを探し出し、表通りに出てスイッチを入れると、そこに映し出されたのが津波に流されながら燃えている家々でした。

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停電は夜になっても復旧しません。石油ストーブで暖をとりながらロウソクとキャンプ用ライトの明かりで夕食をとり、早めに就寝。車が通らなければ漆黒の闇、こんな経験もめったに無いことで復旧して明かりがついたときにはありがたさを実感しました。

それから間もなくのこと、3月15日にわが町が震源地の地震に遭遇するとは思いもしませんでした。
それも震度6強という大きなもの。揺れた時間が短く、停電区域も限定的で少し離れたところには明かりも見え、それほどの恐怖も感じずにすみました。
静岡県東部地震-Wikipedia
静岡県では住宅など327棟が一部損壊したけれど、全壊した家屋はゼロだったといいます。
震度が大きかった割に被害が少なかったのは、揺れている時間が短かったことが幸いしたのでしょうか。

地震の翌朝、墓石がどうなったか心配で二の宮墓地に出かけました。
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幸い墓石の転倒は無く一見何事も無かったように見えますが、東を向いていた石が東南東に向きを変えていました。よその墓地では墓石の転倒など被害が多かったとの話でしたが、この一帯から浅間大社にかけては縄状溶岩が露出しているところもあるように、地盤が堅固だったから被害が少なかったのかも知れません。
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二の宮墓地の南にある二の宮神社境内の縄状溶岩です。

近年の大地震と火山噴火の連動が言われ、富士山の噴火も警戒されています。
同様の例では、ほぼ3年以内に火山噴火が起こっているとのこと。富士山とて例外では無いでしょう。
噴火の場合には前触れなどから予知が可能だと言われますが、いざその時にはたして落ち着いて行動できるでしょうか。

心の準備はしておかなければなりませんね。

へんぽらい写真日記 : 地震体験



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もし富士山が崩壊すれば

「よほどの事がない限り起きないだろうが」と、前置きをしてから本題に入ろう。

 

先日発売の雑誌に「富士山噴火と崩壊の恐怖」と題する記事が掲載された。

それを見てある火山学者が、「定石は富士宮に崩して駿河湾にまっさかさまだ。」とTwitterでつぶやき、それを見た富士市在住の先輩が質問をしたところ丁寧にご説明をいただけたそうだ。

 

すごいものだね。居ながらにしてリアルタイムに専門家から説明していただけたってのは、インターネットやTwitterあればこそ。情報の飛び交う速度には驚きを禁じ得ない。

 

グーグルマップ富士山より

 

富士山の形はきれいに整っているようだが、等高線で見れば実はきれいな円形ではなく、楕円か小判型に北西から南東方向に長い。 その方向には傾斜もなだらかで、山体も厚みがある。反対に北東から南西方向は短く、傾斜も急で山体も薄い。噴火や崩壊の危険は薄い方角にある。薄い方向は2方向あるが、富士山に吹く西風の影響で、噴出物の堆積は東側に厚い。最も薄い富士宮側の危険性が一番高いとのこと。

 

 

セントヘレンズ山の山体崩壊

 

よほどの事がない限り起きないだろうが、もし富士宮側で崩壊が起これば崩れ落ちた山体は雪崩を打って駿河湾まで駆け下るだろうとのこと。岩石雪崩の通り道にあった街は跡形もなくなり、海になだれ落ちた膨大な岩石で大津波が起こるという。

 

押し寄せる岩石津波で、この羽鮒山まで飲み込まれてしまうのだろうか。

もしも愛する富士山の美しい姿とふるさと富士宮市が消えるなら、ここからそれを見届けたいと思う。

 

浅間大社が現在地に祀られて1200余年が経った。祀られた当時は富士山の活動がまだ活発で、富士山の鳴動を鎮めるために勅命によりこの地に遷されたという。

東海地震の危険が言われて永い。先日の直下型地震で噴火が起きてもおかしくなかったとも言われる。

 

やはり守られているのかも知れないな。

富士山の崩壊や街の消失、そんな事の無いように祈りたい。

 

 

今困っている人に届けたい

正月明けから始まった西門通りのバリアフリー工事が、やっと完了しました。どうやら年度内ぎりぎりで間に合ったようです。


 



暗渠となったコンクリート面に、ちょっとした勾配の不具合から水たまりが出来てしまったので、修整をお願いしてありました。というのは歩道の舗装が雨水浸透タイプで雨水は確かに浸透しているのに、側溝を暗渠にしたコンクリート面に水たまりが出来たのではせっかくの工事も台無しだからです。


 建設会社の方が左官屋さんに工事が完了してからで良いからと依頼したところ、4月1日から東北関東大震災の被災地に応援に行くので無理だという事で、急遽残業で作業にあたって頂きました。


 


聞けば奥さんの実家が被災地南三陸町で、港に近い住まいが被害にあったといいます。


町内の婦人服ショップで見かけたバーゲンの婦人服をまとめて購入して奥さんの実家の支援にもっていこうと思ったら、事情を聞いたショップのご主人が多くの商品を無料で提供してくれたといいます。しかし思わぬ残業で時間がかかりショップの閉店を気にしていたので、代わりにショップまで一走りしました。事情を話したところ閉店時間なのに閉められず困っていたとの事。左官屋さんの車に運ぶというのでいくつかを手伝いましたが、大きな紙袋満杯にいくつもありました。


 


こんな時だからこそ何かしたいと思っている方達が居ます。


 


東日本大震災で募金は募るが、全額が被災地に渡らない募金。


訳のわからないNPO法人に一部がかすめ取られる募金。


日本赤十字社の募金に至っては使途や分配を委員会で決めるために、お金や物が集まっても今困っている人のところにはすぐに届かないという不都合。復興には役立つかも知れないが、今生死に関わる状況の人にはきわめて冷たいものだといいます。


 


集積所には山積みの救援物資があり役所は物資はあるといっても、一方でそれが届かず困窮している人が居る。


こんなシステムではおかしい。


救援体勢の迅速化は、国や役所にはまかせておけないという思いがつのります。


 


 


鎮魂を胸に、復興のアクセルを開け!!


今日の地元新聞は静岡県知事の弁を伝えています。


「自粛ムードは今日を限りにして、応援ムードに変えたい。」


同感です。

 


いつまでも悲しみに沈んでいたのでは、生きているものの暮らしを取り戻す事も守る事も出来ません。経済の長年の停滞は就職難民を
生み、現在も質素倹約が強いられる暮らしが続いています。復興を後押しするには、なにより力が必要です。犠牲者に対する鎮魂の思いを持ちながら経済を今より一層活性化して行くしかありません。

今こそ眠っていた力を発揮する時。


復興への後押しには、自粛に名を借りた怠慢はうち捨てるべきです。


行事を行う事で動くもの得るもの、物や心を被災地や被災者に送る事も出来ます。

 


祭りに名を借りた馬鹿騒ぎは厳に慎むべきですが、鎮魂や復興の祈りを込めて行う祭りなら、「祭」という字の表す「祈り」に立ち返
る事が出来る絶好の好機です。

 




神事流鏑馬

 



同 じく今日の新聞で、浅間大社の流鏑馬も残念ながら中止と報じられました。練行と神事流鏑馬(小笠原流流鏑馬)、露店の出店は中止し、本来の神事のみ執り行うという事です。理解はしますが、個人的には露天商の出店だけはやって頂きたかった。子供にとっては、浅間大社春秋の祭りに浅間大社境 内に立ち並ぶ露店が祭りの思い出なのですから。

 


安倍川の花火も、鎮魂と復興への願いから始められたと聞きました。

その思いを被災地に届ける事は、きわめて意義深い事と思います。


例年以上の寄付を募り、被災地に花火を贈る。


あるいは想いを共有するために被災地と安倍川で同時に行う。


どのようにでも方法はあると思います。


安直な自粛はけっして賢明な選択とは思えません。

 


鎮魂を胸に、復興のアクセルを開こう!!


 


地震体験

11日の東北関東の大地震から地元富士宮の地震と続き、ブログの更新が止まっていました。一区切りつきましたので、とりあえずご報告いたします。


 


大地震が起きた時、当地富士宮市は震度4という事でしたが、揺れ初めてすぐ停電になりました。ものが落ちたり壊れたりする事もなかったのでしばらく様子を見ていましたが、揺れが止まず、外に出てみたら電柱と電線が大きく揺れていました。


停電なのでニュースも見られず、防災用に支給されたラジオもすぐには見つかりません。


最初の情報は携帯から繋いだtwitterから得られました。


とんでもなく大きな地震で東北地方に大きな被害が及んでいると。


何とか探し出したワンセグのチューナーを繋いだ時、大津波が川をさかのぼり、陸地の建物を押し流して行く映像が映し出されました。押し流されながら炎上している家屋も見えます。


呆然と見ていましたが、停電の復旧にも時間がかかりそうでしたのでバッテリーを温存するために、情報収集をやっと見つけたラジオに切り替えました。


 


ここでの揺れは大したことはありませんでしたが、事態が深刻である事に加え、日が暮れても電気が通じない状態は不安を増大させます。


 



通電復旧の目途が立たないという広報無線に覚悟を決め、幸いガスは通じていたのでレトルトのカレーとおにぎりでロウソクとライトの灯りの中で夕食をとりました。情報収集はこの小さなラジオ。


 



幸い旧型の石油ストーブがありましたので、これで暖をとりながら家族一同この部屋でしばらく過ごしました。ニュースもラジオだけで電池もどれだけもつか判りません。元々夜型の家族ですが、早々と就寝し朝を待つ事にしました。


 


ストーブ、ロウソク、ライトを消すと家の中は真っ暗。


いつもは街灯の明かりが窓から差し込むのですがそれもなく、時折通る車のライトがさしこまなければ漆黒の闇です。こんな闇もかつて無かったと思いながら、いつの間にか眠っていました。気がついたのは深夜3時過ぎ。停電で消し忘れた部屋の灯りがあちこちこうこうと照らしています。復旧した電気にあらためてありがたさを感じました。


人ごとではない火山噴火

富士山南面に位置する富士宮市だから、噴火に対する不安や心配は昔からあった。


だから火山噴火の報道は、人ごとではないと思っている。


 


物の本によれば、溶岩の質の違いからハワイのキラウエア火山のように溶岩が川のように流れる事はないということで、溶岩からの避難は何とかなりそうだと思っていた。


ところが一瞬にして流れ下る雲仙普賢岳の火砕流被害を見て、新たな脅威を感じた物だ。


 


先日噴火をはじめた新燃岳のニュースでは、火山灰と噴石被害を報じている。


一刻も早く噴火が収束するようにお祈り申し上げる。


 



富士宮囃子保存会が毎年行っている新年囃子打ち初めも、前身は阪神淡路大震災鎮魂太鼓だったものを、新年にふるさと富士宮の平穏を祈るという事で始めた催しだ。


富士山に向かって囃子を奏するのも、そんな祈りがこもっている。


 


富士山に関する被害想定マップが富士宮市のページで見つかった。


富士山火山ハザードマップ


 


富士宮市域のハザードマップ(pdf)


こちらは富士宮市を範囲とするハザードマップ。


 


富士山全体のハザードマップ(pdf)


富士山周囲広範なハザードマップ。


 


浅間大社周辺は火砕流や噴石、溶岩などの危険域にはなっていないが、溶岩が流れ続けたり火山灰が積もっていた場合には避難が必要にならないとも限らない。


 


融雪型火山泥流が予想される区域はほとんど市内全域が含まれる。


積雪の多い時期に噴火が起これば、こういった危険もあると言う事らしい。


 


東海地震も気になるが、富士山も平穏であって欲しいものだ。


 


10月の嵐

週末には台風14号が来るらしい。東海から関東に上陸の恐れもあるとか。


日曜には最後の祭りの飾り付けが予定されているので、上陸せずに早めに通り過ぎてくれる事を祈っている。


 



平成19年の10月にも台風が通過した。


夕刻には風雨も強まり大荒れ。被害が心配されたが、台風は南海上を足早に通り過ぎた。


夜が更けて会所から引き上げる時には風雨は収まり、真ん丸な月が照らし富士山が見えた。


 


急ぎ白尾山に駆けつけて、雨上がり満月の夜景を撮影したもの。


山頂にかかる雲はめくられるように消えてゆき、雲の下からは新雪が覗く。


 


今度の台風も、実害無く通り過ぎて欲しいものだ。


 


 


逃亡者

先日捕まった噛みつきザルに、濡れ衣説が出ているそうだ。


三島市や周辺市域で多くの被害者を出したのは、1匹の仕業ではなく複数犯の可能性が高いのだとか。


まさか冤(猿)罪というだじゃれを言いたいためだけの話じゃないだろうが。


 


多くの噛みつき騒ぎを起こして、賞金つきのお尋ね者になったのが9月だったろうか。


危険な猿で注目を浴びた事で、目撃情報は格段に増え、足取りの追跡が出来るようになった。


 


沼津市から富士市に入る頃から先輩のみすたけ氏(@misutake)がGooglemapにそれぞれの市発表の出現情報をマークして公開されていた。


 


みすたけ氏による猿出現マップ-1 9月18日から29日の足跡


 


みすたけ氏による猿出現マップ-2 9月30日以降分


 


この猿の移動に関しては実に良く把握されている。


噛みつき騒ぎ以後、各市で捕獲体勢を取り追跡して居たからに他ならない。


 


実は以前5月から6月にかけて富士宮市内で、猿の出没情報が広報無線で流された。


猿出没マップ


 


同一かどうかは不明だが、当時は噛みつき被害はまだなかったので情報自体が少ない。


最初の猿目撃広報はわが町内だったそうで、家屋二階に入り込んだ猿が柿種を盗み、逃げた屋根の上でそれを平らげ、市街に消えたとの事。


6月で猿の広報も途絶えた。


 


9月末、猿が富士宮を駆け回り、富士宮市内房から富士市松野あたりで見かけられた頃、囃子仲間が聞いてきたという話しはこうだった。


松野に出没して悪さをしていた猿を捕まえ、愛鷹山の深い山中に放したという。


それが裾野市や三島市、沼津市あたりで悪さをし、追いかけ回されて戻ってきたのではないかとのこと。


 


そういえば内房から松野に移動した後、あっという間に羽鮒、稲子に移動している。


同じ猿ならば以前捕まった所はやっぱり嫌うのだろうか。


 


富士宮市の広報以前にも、捕らえた猿を市北部の山に放したという新聞記事を読んだような記憶もある。今回捕らえられた猿はどうやら人に飼われていた猿のようだというから、何度も何度も人里に舞い戻ったものかも知れない。


捕らえられる事でより慎重になり、長期の逃亡劇を演じたのでは。


 


それぞれが別の話か同じ話か、それは判らない。


 


でも一匹の猿がそれだけ逃げ回っていたとすれば、もちろん危害はもっての他だが苦難の連続は同情に値する。


 


終の棲家も楽寿園に定まったようだし、言葉が通じるものならその逃亡の物語を聞いてみたいと思う。



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