第九番 本町三丁目 人形は石橋の舞
第十七番 寄合町 人形は弁慶勧進帳
第八番 本町二丁目 人形は弁財天
第七番 本町一丁目 人形は猩々
第十六番 新紺屋町 人形は三番叟
第十五番 柳川町 人形は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
第六番 末広町 人形は静御前
富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。
第九番 本町三丁目 人形は石橋の舞
第十七番 寄合町 人形は弁慶勧進帳
第八番 本町二丁目 人形は弁財天
第七番 本町一丁目 人形は猩々
第十六番 新紺屋町 人形は三番叟
第十五番 柳川町 人形は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
第六番 末広町 人形は静御前
第十九番 高砂町 人形は神武天皇
第二十番 旭町 人形は鍾馗
第二十二番 九蔵町 人形は静の舞
第二十三番 山田町 人形は木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)
第二十四番 北通町 人形は新田義貞
第二十五番 羅漢町 人形は大黒天
第十八番 田町一・二・三丁目 人形は神功皇后
8月8日に高崎まつりを見学。
西口駅前通りに整列していた山車。
第三十八番 通町 人形は乙姫
第三十七番 和田町 人形は菅原道真
第三十六番 下和田町四丁目 人形は牛若丸
第三十五番 八島町 人形は神宮皇后
第三十四番 下横町 人形は天照大神
この後、持参した富士宮秋まつりパンフレットを置いて頂くために、まつり本部を探して移動。
5-6年前の富士宮秋まつりに、高崎から山車まつり実行委員会役員の皆様にご訪問頂いた。その時に説明とご案内をしたのが当時富士宮囃子保存会会長だった篠原君で、そんな縁から今年が市制110周年という記念の大きなまつりに、地元の祭り仲間で見学に出かけることとなった。
行政を通しての正式な訪問ではないのでどこで会えるか勝手がわからず、まつり本部に立ち寄り聞いてみると山車を引き回す田町通りにいるとのこと。
そちらには山車を見るのにまた戻る予定だが、一服しようとすずらんと書かれたビル3階の喫茶店に立ち寄った。
もてなし広場が見える窓際から下を見ると、駅前通で見てきた山車が次々と通りを進んでゆく。そのうちに阿波おどりまでが通っていった。
田町通りから大手前通りでは、神輿もたくさん見かけた。
連雀交差点の舞台では津軽三味線も見たし、創作太鼓もなりひびいていた。
富士宮で言ったら、秋まつりに御神火まつりと宮おどりその他諸々のまつりを一まとめにしたような感じだろうか。
山車が居並ぶ田町通りに移動する。
田町通りの勢揃い会場を歩いていたら山車まつり祭典事務所が見つかった。
入り口のモニターには山車の位置が表示されていた。
こちらが山車まつり実行委員会の控えになっているらしく、以前ご訪問頂いた皆さんはこちらに詰めていらっしゃった。
ひとしきり昔話に花を咲かせていたが、山車が退場してゆく5時が近づいてしまった。
山車も見なければ来た意味がないので、慌ててこの場を辞した。
通りに並ぶ山車の数々だ。こちらの山車はまだ見ていなかった。
慌ただしく駆け足で山車を見て歩いた。
やはり以前ご訪問頂いた方を山車まわりで見つけた。
現役を貫いている姿には本当に感服する。
雀百まで踊り忘れずというが、囃子にたずさわった身としては生涯一囃子方でありたいと思っていた。
しかし過疎の進む町内の現実はなかなかそれを許してはくれない。
山車を下りて諸役をこなさなければならない歳になってしまった。
でも町内の役職を終えたら、いつかまた山車まわりに戻ろう。
いつかきっと。
8月8日に高崎まつり見学に行ってきました。
順にレポートしますが、今日は笛。
下和田町四丁目の山車。人形は牛若丸。
おや?山車前の女性が手にするものはなんだろう。
この葉のついた青々とした竹は、実は笛だったのです。
町内の笛の先生が作ってくれたと言ってました。
笛の女の子の持つ笛は、竹に節があり、笛尻がかなり長い。
地元の囃子の笛とはずいぶん形が違い、新鮮な驚きでした。
ツアーは旅じゃないと言う人もいるが、別に旅である必要もない。
日常から解き放たれ、見知らぬ土地を見て歩く。それはやはり大きな感動だ。
富士山静岡空港も開港1周年を先日迎えたばかり。
家内は見学に訪れたことがあるが、私は初めてだった。
鹿児島まではFDAで飛ぶので、FDA受付カウンター前がツアーの集合場所だった。
出発時は雨降りだったがしばらく飛ぶと陸地と海面が見えてきた。
意外と近く大きく見えたので浜名湖あたりかとも思ったが、手前の陸地が渥美半島で、右上から中央に突き出たのが知多半島だった。
鳥羽市の海岸が見えている。
ヤクスギランドで見た倒木に着床した実生の木々。
狭い空間を争っての競争で、どれが生き残ってゆくものだろうか。
屋久島見学は好天に恵まれていたが、指宿港に帰るとこんな雲だ。
同じ鹿児島県内でも大雨に見舞われていた所もあると聞く。
運が良かったな。
最終日機外の雲は鳥が遊ぶようだ。実に爽快。
雲の中に見えた富士山。
残雪で8合目までしか行けないというが、もう少しの辛抱だ。
できれば山頂に長期滞在し写真を撮りたいと思っているのだが、ここ数年実現できずにいる。
静岡空港到着時の天気は晴。
今日のニュースでは九州南部の豪雨被害を告げている。
梅雨明け前の天候の安定しない時期だが、天気に関しては本当に恵まれていた。
とはいえ、最終日から扁桃腺が腫れて唾を飲むにも難儀している。
結婚30周年記念の旅行だったから、好天の代償ならそれも仕方ないか。
紀元杉から少し戻り、ヤクスギランドを見学。
正直言って、場末の遊園地じゃあるまいにこのヤクスギランドという名前は何かそぐわない。
名前を聞くだけで、あまり期待はできないんじゃないかと思った。
しかし歩道や手すり、説明を聞くところにはぬかるみ対策だろうか石版が埋め込まれ整備されている。こう言ったものを見るとむやみに人が自然に立ち入らぬような気遣いも感じられ、名前から受けるがっかり感を少し見直した。
入り口にいたヤクシカだ。ここまで上ってくる途中でも何匹か遭遇していたが、人慣れしているのか落ち着いた物だ。ガイドさんが言うには人の数ほどヤクシカもいるのだそうだ。
昔の屋久杉伐採跡
当時は大きな材木として伐られたようで、用材に適する根本を除いた少し高い部分で伐られている。伐った屋久杉は屋根材用に板に挽き、人が背負っておろしたという。
巨木の大きさを活かすのではなく、小材をたくさん得るために伐られたと言うのは少し悲しいが、運び出すことも難しい険しい山奥だ。無理もないか。
300年ほどの時を経て、切り株には新たな種が根付き成長している。
花崗岩に覆われた山肌では養分に乏しく、倒木や切り株は豊富な養分を持つ格好の培養地だ。倒木から新たな木が育つことを倒木更新、切り株から育つことを切株更新と呼んでいる。
双子杉
切株の上に2本の杉が切株更新で育った物。異なる樹種も絡みつくように共生しており、数百年も経てば狭い切株の上で融合するのではないだろうか。
くぐり杉
元々2本の木だったが、右側の木が倒れかかり左側の木と上部で合体している。
木漏れ日の中を進む。
雨なら雨具をまとっての見学らしいが、蒸しもせず風が心地よく天気には本当に恵まれていた。
倒木や切株といった朽ち木を豊かな土壌としての輪廻転生、そして融合。
悠久の時と自然に対する畏怖の念が屋久杉を守ってきたのだろう。
1993(平成5)年に世界自然遺産に登録された。
見学コースを抜けた道路際の朽ち木の中に芽生えを見つけた。
どこに生じたにしても、育つ枯れるは運の善し悪し。
人の手によって寿命が縮められぬよう祈りたい。
有るがままであれ。
下山するバスの窓からヤクザルの親子を見た。
案外人慣れしているのか道路際にいたが、際を乗用車が通り抜けるとさすがに危険を感じたかその後山側に後ずさった。
宮之浦港から船で指宿に戻る。
山頂部の雲はまた増えたようで、好天の元で見学できたのは本当に幸いだった。
来るときには高速船で1時間15分だったのが、帰りは2時間10分かかる。
理由は直行ではないからで、指宿から来た船は種子島に立ち寄った後に指宿に戻るからだった。
今度機会があればじっくりと時間をかけて歩いてみたい。
ウィルソン株や縄文杉など、まだまだ見たい物があるからだ。
自然を壊すのも人なら、守るのも人。
次の訪問は20年後の結婚50周年かな。
どうぞそのまま変わらずにいてください。
参考
屋久島ツアーの2日目は日帰りで屋久島を周遊する。
ウイルソン株や縄文杉と言った屋久杉を見るには、山道を何時間も歩かなければならず、日帰りは難しい。
日帰りの制約の中でバスで移動して名勝や屋久杉を見るには、行動範囲が限られてしまう。
正直言って、それほどの期待はしていなかった。
指宿港だ。対岸左の建物が宿舎の指宿シーサイドホテル。
宮之浦港に着いた。船は乗ってきたtoppy号。
山に雲はかかるが、日射しはまぶしい。
千尋(せんぴろ)の滝。大いなる岩盤を穿ち流れる川と滝も見事だが、迫る一枚岩の山肌が実に雄大だ。岩肌に昨日の雨の名残がしたたり流れている。
大きな岩も、少しずつ剥がれるのだろうか。
別の展望台に移ったとき、にわか雨に襲われた。
岩肌が雨に濡れ、光る。
屋久杉を見に行く前に昼食休憩。
日射しはまばゆく輝く夏の空だ。
紀元杉まではバスで行ける。
道の脇の上部が枯れた大木が紀元杉だ。
根元を一回りする歩道がつけられている。
枯れた杉に着生した他の植物も見える。
枯れて倒れた木や切り株、その上に芽生えた様々な樹種が屋久杉の謎を解く鍵になるとか。
いわゆる浅間大社のお祭りとしては7月7日に行われる「御田植祭」がある。
小学6年生の早乙女と5年生の歌姫によって奉仕される。
一方、富士山開山期の催しとして新たに始められた観光まつりは、「富士山まつり」と呼ばれ、さまざまなものがある。
6月最終土曜日に行われる「表富士燈回廊」。今年は6月26日の予定だ。
7月1日、富士山の山開きが行われる。
それに先駆け6月30日の深夜湧玉池で禊ぎが行われていたが、湧玉池が世界文化遺産の構成資産候補に選ばれていることから、見直すことが17日に決定した。
新たに8月7日当日に新しい神事を行うという。
昨年のみそぎの写真が見納めになるのかも。
7月1日は富士山の山開きだ。
1番バスの発着をきっかけに様々なセレモニーや余興が披露される。
1日夜には浅間大社境内の神田川ふれあい広場で手筒花火が披露される。
火の粉を浴びて乱舞する姿は見ものだ。
8月第一土曜日(今年は8月7日)には「富士山御神火まつり」が行われる。
御神火台に御神火をいただき、市内を練り歩いた後神田川に入り遡る。
翌日8月8日には「宮おどり」が行われる。
富士の巻狩りまつりでの白糸滝の燈回廊。
いよいよ暑い夏が始まる。
隣接する富士市吉原の祇園祭が6月12・13日の日程で始まり、初日を見学に出かけた。
富士市吉原地域のツイッターメンバーのつぶやきに、よく見られるプレアーテ前を本町区の屋台が通過する。
この後一服するためにプレアーテに入ってみると、富士宮の祭り仲間数名とばったり遭遇。
富士宮市の観光課を通して祭り関係者にお話を聞きたいと申し込んでいたと言うことだが、1時間ほどお話を聞くことが出来たとのこと。
プレアーテではフリーのWifi電波が使用できたので、よく見ているのを真似てつぶやいてみた。
「カフェプレアーテなう。」
そしてご案内いただいたという@sanoso1さんに宛てて、御礼のツイートを送った。
商店街を行ったり来たりぐるぐる引き回しているが、ときおり横の路地に入れて休んでいるように見える。狭い路地に舵を切り直しながら入れる。
路地で休んでいる山車の前を山車が進んでゆく。
やはり夏の祭りだな。山車上の囃子方女性の涼しげなこと。
家人との待ち合わせ場所に向かう途中で、誰かに肩を叩かれた。
振り向くと高校同級生のS君だ。昨日送った写真は無事に着いたという。
明後日の打ち上げでまた会おうと、約束して分かれた。
そうそう、22年前の花火屋の火事以来、祭りの露店では花火販売が禁止になったとか聞いた。
たしかに花火屋さんは見なかったな。