会所にプロジェクターを持ち込んで壁面に映写し、昔のビデオを見る。
鑑賞会

へんぽらいの祭り談義 : 干支一回り昔のビデオ
で書いた通り、昨年も同じ事をしていました。

S54miyamoto

昨日も昭和54年の露店の出なかった祭りや、平成8・9年の祭りを記録した昔のビデオを見ていましたが、36年前と18-19年前の撮影ですから、祭りを行っている顔ぶれも今ではずいぶんと変わりました。
先日も、54年当時子供で映っていた人が、同じくらいの子供を連れて歩いていましたし、私も当時は結婚1年前でしたが、今では孫も出来ました。
記憶の糸は古い写真や映像を見ることで、よみがえり繋がります。

我が区には、数年前から作り始めた祭り年表があります。
それぞれの記憶をたよりに、思い出深い出来事が何時だったのかと辿ったもの。
カレンダーの裏面に書き始め、スペースが足りなくなれば貼り足して、見た目はなんだか汚らしい紙の固まりとなりました。
それをしまい忘れたために会所の掃除でゴミと一緒に捨てられましたが、集積所でゴミ袋を開いて血眼で探しやっと見つけることが出来ました。それほどに貴重な祭りの思い出が詰まった宝箱なのです。

この事件の後、仮に原本を失っても内容を失わぬようにとデータ化しました。

昨夜も昔の写真とノートパソコンのこのデータをプロジェクターで投影しながら編集会議を開きました。独りではたどれぬ記憶を補完し合って、少しずつ年表が埋まってゆきます。
内輪の話で若気の至りなど個人の名誉のために公開出来ないものも多く、内容は祭り仲間で共有する秘密となっております。数多の思い出深い記憶を共有することで祭り仲間の絆や結束が深まることを思うと、これはまさにかけがえのない宝です。

極端な言い方をすると、祭りは口伝・伝承の文化です。
伝える人が居なくなれば、儚く消えてしまう実にもろく危ういもの。
この年表に新たなエピソードが書き加えられ、フィクションでは無い終わりなき一つの物語りが伝えられて行く事も、言い換えるなら祭り文化と伝統の継承です。

この年表は大いなる物語のあらすじで、登場人物それぞれが主人公のストーリーの複合体でもあります。若い頃から祭りに関わってきましたが、我がストーリーの締めくくりとしてどんな足跡を残せるか、世代交代を間近に控えた今老醜をさらさぬように心しなければなりませんね。