祭りの資料というものは案外残っていないもので、調査にはいつも苦労させられるものだ。

しかし昭和9年に大宮青年団(当時は大宮町だった)主体で行われた大火の復興祭の取り決めと全区の役員名簿が残っている。

今祭り実施に関わっている青年たちの祖父か曾祖父と言った方たちの名前が見られ、祭りの歴史と伝統をあらためて感じさせられる。

「蛙の子は蛙」というが、親の姿を見て子は育つもの。

親の姿に憧れて祭りを受け継いでいるのなら大変好ましく思う。



祭りの火を守り伝えるために、祭りには花を咲かせなければならない。





= 嬉々として囃す =



= 嬉々として躍る =



楽しければ自ずとそれが現れるもの。

嬉々として楽しさをみなぎらせる様は人の心を魅了する。

要職につき、凛として役を務める姿の格好良さ。

それらを花と呼ぶならば、祭りにこそ憧れとなりうる花が必要だ。

花になろう、花を育てようという努力が、祭りを守り伝える原動力になる。





一方、表現の上で楽しいことを楽しく見せることは案外難しいものだ。



トム・ソーヤの冒険に、壁塗りを命じられた主人公が通りかかった友人の前で、それがとても楽しいことであるかのように演技して、まんまと壁塗りを交代させる下りがあるが、それこそ最高の名演技であろう。



写真は平成18年の浅間大社御鎮座1200年祭で初めて拝見した田楽座の公演だ。

嬉々として演じるその笑顔に魅了され、平成19年に狩宿で行われた「春の菜の花さくらまつり」も取材することとなった。





やはり笑顔が良い。







競演した田楽の会も笑顔が素晴らしかった。





この田楽座の富士宮公演が1月26日に行われる。

あの笑顔との再会が楽しみだ。



お問い合わせ

・富士宮市観光協会:0544-27-5240

・田楽座:0265-78-3423