自分の著作が自分自身を表す名刺のようなもの。


 



そんな言葉を聞いて考えたのは、ブログやウェブサイトも作者自身を語る名刺のようなものなのだろうと言うこと。Twitterのつぶやきでは断片的すぎる。でも、ブログやウェブサイトなら作者の人柄や思考など窺うことが出来る。しかし、サイトを見て貰うためにパソコンを持ち歩くというのは、たとえ軽量のノートパソコンであっても実際的ではない。


 


3月に携帯電話の機種変更でiPhoneに変えた。


そして思ったのは、撮り貯めたお気に入りの写真、ムービーやスライドショー、そして自分のウェブサイトを見て貰うには、これはとても便利なツールということだ。


 


コミュニケーションツールとしてもその便利さに驚いた。


携帯電話にカメラが付くのは昨今当たり前だが、撮ったものを画像アップロードサイトに投稿するアプリがあり、投稿内容がが自動でTweetされる。


ムービーもしかり。撮った動画をYoutubeにアップロードするのも容易で、Youtubeに設定してあれば、これもTweetされる。


"Broadcast Yourself."というのが、動画共有サイトYoutubeのコンセプトであるらしい。


「あなたが発信しなさい。」と言うことだろうか。


 


USTのサービスを使えば、個人でも動画での中継などまで出来るらしい。


 


「インターネットは貧者の放送局」という言葉にいたく感銘を受け、今日までサイト運営を続けてきたけれど、今や誰でもがリアルタイムでニュースを発信することが出来る時代となった。貧者の放送局にふさわしいサービスがいろいろと出揃ってきている。


 


iPhoneは便利な反面、ただ一つ残念なのは画面の小ささだ。


「葦の髄から天井覗く」ような感じで、必要な部分の拡大縮小が簡単にできても視野の狭さは否めない。Twitter程度の短文を見るには問題なくても、ある程度の文章を読むには画面の広さと文字の読みやすい大きさが欲しい。


 


そこにこの春のiPadの登場だ。


携帯性と見やすさ、読みやすさを重視したコンピュータで、インターネットやデジタルデータの情報を閲覧するのに特化したマシンだ。


電子書籍の表示器具というとらえ方もあるが、機能の一部を表しているに過ぎない。


 


撮り貯めた写真、郷土の情報を積み重ねたサイト、ハイパーリンクをたどってのネットサーフィン。これを来店したお客様に見て貰うために予約した。


 


写真撮影の見本カタログとしてだけでも、台紙を広げるスペースが節約され画期的だ。


待合室にデスクトップパソコンはあるが、撮影データの確認や画像処理作業、サイト作成、web閲覧などにあてているので、これは触って欲しくない。


キーボードのないタッチパネルは直感的な操作で扱え自由に操作して貰えるし、注目がそちらに向かえば、みすぼらしい応接室もボロが目立たないという効能もある。


 


届くのが待ち遠しい。


 


ようやく予約受付が始まったと思ったら、3日で受付が終了してしまったそうだ。


生産が間に合わないほどの売れ行きだという。appleファンとしては嬉しい限りだ。