5-6年前の富士宮秋まつりに、高崎から山車まつり実行委員会役員の皆様にご訪問頂いた。その時に説明とご案内をしたのが当時富士宮囃子保存会会長だった篠原君で、そんな縁から今年が市制110周年という記念の大きなまつりに、地元の祭り仲間で見学に出かけることとなった。
行政を通しての正式な訪問ではないのでどこで会えるか勝手がわからず、まつり本部に立ち寄り聞いてみると山車を引き回す田町通りにいるとのこと。
そちらには山車を見るのにまた戻る予定だが、一服しようとすずらんと書かれたビル3階の喫茶店に立ち寄った。
もてなし広場が見える窓際から下を見ると、駅前通で見てきた山車が次々と通りを進んでゆく。そのうちに阿波おどりまでが通っていった。
田町通りから大手前通りでは、神輿もたくさん見かけた。
連雀交差点の舞台では津軽三味線も見たし、創作太鼓もなりひびいていた。
富士宮で言ったら、秋まつりに御神火まつりと宮おどりその他諸々のまつりを一まとめにしたような感じだろうか。
山車が居並ぶ田町通りに移動する。
田町通りの勢揃い会場を歩いていたら山車まつり祭典事務所が見つかった。
入り口のモニターには山車の位置が表示されていた。
こちらが山車まつり実行委員会の控えになっているらしく、以前ご訪問頂いた皆さんはこちらに詰めていらっしゃった。
ひとしきり昔話に花を咲かせていたが、山車が退場してゆく5時が近づいてしまった。
山車も見なければ来た意味がないので、慌ててこの場を辞した。
通りに並ぶ山車の数々だ。こちらの山車はまだ見ていなかった。
慌ただしく駆け足で山車を見て歩いた。
やはり以前ご訪問頂いた方を山車まわりで見つけた。
現役を貫いている姿には本当に感服する。
雀百まで踊り忘れずというが、囃子にたずさわった身としては生涯一囃子方でありたいと思っていた。
しかし過疎の進む町内の現実はなかなかそれを許してはくれない。
山車を下りて諸役をこなさなければならない歳になってしまった。
でも町内の役職を終えたら、いつかまた山車まわりに戻ろう。
いつかきっと。