東日本大震災から間もない3月15日、富士宮を震源地とする震度6という大きな地震が起こった。私は風呂から出ようと言うところで大きな揺れを感じ同時に灯りが消えたので、暗闇で着衣を探した。家族の無事を確かめ、しばらくは建物の外で余震の揺れを警戒しながら待機し、次に隣家の一人暮らしのご老人の無事を確認した。


町内の人たちも通りに出てあちこちに集まっているが、停電は局所的で、西隣、南隣の町内には灯りがついている。


車載テレビでニュースを見た人が情報を伝えた。


 


何度も行っていた防災訓練の救助、応急処置、消火といったことが、実際に地震が起きた際にはそこまでの必要もなく、むしろ隣近所の安否確認や揃っての避難、段階毎の避難場所など確認すべき事があらためて浮き彫りになった。


 


静岡県では9月の防災の日に加えて12月にも県独自の防災訓練を行っているので、年に2回の訓練がある。多すぎるのも慣れを生じて逆に害があるので、わが宮本区では防災の日の訓練は前の8月末の夜間に行う事にしている。


 



町内毎の避難場所へ先ず集まる。


 



班長は班内の各世帯の状況を調べて町内会長に報告する。


区内住民の調査をこのために行っている。


 



家が無事で避難の必要がない場合は、黄色いハンカチを家の前に掲げる。


 



各町内毎に集まったら、状況を見ながら区の集合場所に集合する。


 



長期化した場合は市指定の一時避難地(ここでは富士宮市民文化会館)まで移動する。


 


 



市民文化会館入り口(集合場所)を確認する。


 



宮本区の避難場所は文化会館内1F大ホールホワイエ1・2階(190名神立区と共同)、舞台裏の楽屋西側3室(35名)


 



避難所となる楽屋を見学


 



再びホワイエに戻り、ここで解散。


 


実際の災害時には、文化会館自体の安全が確認できるまで中に入る事が出来ないので、開けた場所(駐車場など)で待機する。


 


それほどの大災害が起きないのが最良だ。でも、富士山がある以上いつかは噴火だってあるだろう。


自身の安全、家族の安全、近所のお宅の安全。そう言った物が確保されてこそ、救助や消火にあたる事が出来る。


 


災害時に必要な事や物は、経験して初めてわかるもの。


これを活かしてゆきたい物だ。