どうやらいきり立っているのは梃子棒男一人らしい。

とすれば、ここは時間をかけて醒めさせるに限るな。

 

「物騒な出で立ちでうちの町内に何のご用かうかがいたい。」

 

「天下の大道を通るのに遮られるいわれはないはず。」

 

「祭りの三日間、祭りをやっている町内に祭り組が入るには、事前の連絡と許可が要るのを、まさか知らんわけではあるまい。」

 

「だからこそ袢纏を脱いできた。祭りの一行ではないからその必要はない。」

 

「ちょっとした用足しなら、袢纏を着てても咎め立てなど野暮はしないが、袢纏が無くてもダボに腹掛け股引とあきらかな祭り衣裳で、それに喧嘩支度で町名隠しとくれば、それこそ見過ごすわけにはいかない。」

 

「ならば、正式に許可を得たいので役員をここに呼んでいただきたい。」

 

いきり立つ梃子棒男にしては、今まで説得されていたのだからちょっと意外な展開だ。

 

「この夜更けに突然の申し入れとは、非常識にもほどがあろう。準備期間中に書面を添えて申し入れするのが筋合いだ。」

 

「緊急の用向きならば仕方なかろう。」

 

「ならば緊急の御用向き承りたい。」

 

「山車運行に使用する梃子棒があらかた破損した。材料を調達し明日までに準備せねばならん。見本を持っての買い出しだ。」

 

「この夜更けに押しかけられても店が困るだけだろう。急用ならなぜ車で行かぬ。」

 

「一日の祭りのあとだ。飲酒するなという方が無理。いくら祭りだと言っても、酔っぱらい運転では行けない。梃子棒も握りを加工しないことには使い物にならない。夜更けでも今行かなきゃ間に合わないのだ。」

 

「それにしては持参の梃子棒は別に痛んだ様子もないが、いったい何本の梃子棒を壊したものか。」

 

「うちは年に数十本の梃子棒を使う。」

 

「数十本を一日の運行で使い果たしたのか?」

 

「あるにはあるが、残っているだけでは心許ない。」

 

「ならば材料屋に届けさせれば良いだけの話。わざわざ他町を通って梃子棒を買いに行く必要も無かろう。」

 

年長者はじっくり間をおき慎重に言葉を選んでいるかに見えたが、本当のところはいきり立つ梃子棒を醒めさせるための時間稼ぎだった。

 

「梃子棒を専門に扱う所はない。まして梃子棒向きの太い細いがあるものなど不良品としてはねられるから、適当な物は自分で探さなければならない。」

 

「選んだら運ばせればいいだろうに、この頭数はどう言うわけだ。」

 

「一人2本なら持って帰れる。だから持ち帰って加工するためにこの人数で来た。」

 

押し問答もそろそろ種が尽きそうだという所に、ちょうど都合良くやって来たのは地元町内の若者。

 

「なにかありましたか?」

 

「なに、この夜更けに町内の通行をと申し込まれたので、用向きを承るには無理があると説得していたところだ。」

 

「祭典長も交渉長もとっくに会所から帰りました。」

 

「到底筋の通らぬこと故断固断わるのが本筋だが、一取り締まりの独断では気が済まぬだろう。多分家には帰っていないだろうが、居なかったら行きそうなところを覗いてみてくれ。」

 

走り出そうとする若者を呼び止め、懐から財布を出すと紙幣を1枚渡し耳打ちした。

 

「どうせ役員も捉まるまい。探すふりして帰ったらラーメンでも食って寝ちまいな。」

 

若者はふと気付いたように、袢纏を脱いで男に渡し走り去った。

 

「お!済まないな。」

 

走り去る若者に礼を言って袢纏を羽織り、こう言った。

 

「若いのが探しに行ったから、じきに来るとは思うがしばらくがまんしてくんな。」

 

物陰からは膠着状況にジリジリしながらマスター達二人が見守って居る。

 

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月齢は満月に近く、月明かりの下睨み合ったまま双方動かない。

このままどうなるのかと気をもんでいると、そこに現れたのはまさしく時の氏神だった。

 

「此処にいたのか」

 

どうやら青年たちの先輩格らしい。

 

「会所に差し入れを持って行ったら誰もいない。探したぞ。」

 

そう言うと、抱いてきた子供を梃子棒男に渡した。

 

「ホーラお兄ちゃんだ。」

 

眠い目をこすりながら抱きつこうとした子供が、若者の鬼のような形相に驚き、泣きながら父親の陰にかくれる。

 

「泣かすんじゃない!」

 

叱られた若者は狼狽し、いきり立っていたのもどこへやら。
言い出しっぺが腰砕けでは、一同これ以上突っ張る気分ではない。

 

「刺身が乾いちまう。行くぞ!」

 

促され、去る一団。

 

年長者がてっちゃんに歩み寄った。

 

「梃子棒は明日にします。申し入れは取り消させて下さい。」

 

「了解した。」

 

二人は顔を見合わせ笑みを交わした。

 

先輩格が言った。

 

「なにか不都合がありましたら私が承りますが。」

 

「いいや、何も起こらなかったのだから、何も無しだ。」

 

二人は一礼して去った。

 

橋の下流から現れた老人がてっちゃんに歩み寄る。

 

「有難うございました。おかげで無事に治まりました。」

 

「いや、手柄はあの小さな子どもです。
自分は通せんぼをしただけで、膠着状態にやっきりしていたところ。
あの子のお陰でいきり立っていた若者がいっぺんに醒めました。」

 

「あの子は私の孫で、父親が連れ出した時は、家人が青くなって心配しましたが、私は逆に何としても止めるんだというあいつの覚悟を確信しました。わざわざ修羅場を子どもに見せるほどのばかではない。」

 

「そうでしたか。」

 

「しかしそれにしても久しぶりです。いつこちらにおいでになりましたか?」

 

「おや、悪いことはできないものですな。素性がばれてましたか。」

 

「昔囃子をやっていた頃、おおどの玉を盗もうと苦労したものです。」

 

「昔ですなぁ。」

 

ふっと寂しげな表情を浮かべたのを、老人は見逃さなかった。

 

「さて、子供を寝かしに帰ります。本当にありがとうございました。」

 

老人は帰っていった。

静寂が戻り川の水音しか聞こえない。
てっちゃんが歩き出すと、どこからか声がかかった。

 

「よっ、日本一」

 

声に振り返ると、そこにはまーちゃんとなっちゃん、さっきの若者がいた。

 

「甥っ子だ。」

 

そうか、この子が師匠の孫だったのか。どこか面影が似ている。

 

「有り難うよ」

 

袢纏を返すと紙幣を返そうとする。

 

「それはお前さんにやった物だ。機転で助けられた。」

 

「でもこんなに高いラーメンはないから受け取れない。」

 

「おお、一桁間違えていたか。しかし、一度出した物は引っ込められんから、それならみんなで飲んじまおうか。」

 

「うちで良ければいっぱい飲めるぞ。」

 

マスターの店、猫目家目指して一行が去った。

 

満月に照らされた境内の、誰も居ないと思ったあちこちの露店の影から立ち去る人影が見えるのだが、その数の多い事。

 

一塊は昼間梃子棒男ともめた町内の青年達。
どうにも治まらない梃子棒男の剣幕に仲間の青年が、もめた町内の親しい青年に連絡していたのだった。
もめ事の元になった青年は町内の年寄りや仲間に叱られ、今年の祭りは以後謹慎となり早々に帰宅した。

 

連絡を貰って対策を話し合ったが、今日のところは急遽散会とし翌日以降頭の冷えた所で会合を持つ事にしたのだった。

 

しかしどうにも気に掛かる。
散り散りに帰ったはずが、浅間大社境内に自然に集まった。 喧嘩のためではないが相手の動きは気に掛かる物だ。

露店の影から遠巻きに御手洗橋を見守っていた。

無事に収まり、引き上げたのを見て一同ほっとしたのは言うまでもない。

 

他の見物人はもめた町内の青年がてんでに浅間大社に向かうのを見て、何かあると察し後をつけた物、そして袢纏を渡した若者が知らせた地元の青年たち。
それが仲間を呼び、かなりの数がこの場面を見ていたのだ。
やれやれ、物見高いは人の常とは言うものの、いったい何を期待していたんだろう。

 

猫目亭へ移動する時、荒くれ者が梃子棒を持ってすれ違い、御手洗橋の方に走ってゆくのが見えた。

 

「あの野郎!」

 

「知ってるのか?」

 

「多々問題有りの要注意人物さ。」

 

甥っ子に尋ねた。

 

「あいつに教えたんじゃないだろうな?」

 

「ややこしくなるから、あそこだけは避けた。」

 

どこで聞きつけたか御手洗橋に駆けつけた荒くれ者は、誰もいないのを見て拍子抜けしたがこのままおめおめと帰るわけにも行かない。誰か通りかかるのを待って悪たれようと遅くまで待ったが誰も通らず、とうとう風邪をひいてしまったという。