ニュースではどこかの桜の開花を伝えていた。
観測史上最も早いのだとか。
浅間大社の桜の開花は例年20日過ぎだが盛りは3月末から4月初めくらいだ。
観測史上最も早いのだとか。
浅間大社の桜の開花は例年20日過ぎだが盛りは3月末から4月初めくらいだ。
写真は一昨年の浅間大社境内の写真だ。
朝は大雨だったのが美事に晴れ上がり気温が上昇した。桜は一斉に開き、神田川では水遊びをする気の早い子供たちが居た。
2007年3月30日(金曜日)の旧ブログに多くの写真で紹介しているので、ご覧下さい。
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」
西行法師が歌に詠んだように、私も出来る事なら桜を見ずには死にたくないと思う。
浅間大社青年会と流鏑馬保存会でご一緒させて頂いた先輩が先日他界された。
享年72歳。まだまだ逝くには早すぎる。
西行法師が歌に詠んだように、私も出来る事なら桜を見ずには死にたくないと思う。
浅間大社青年会と流鏑馬保存会でご一緒させて頂いた先輩が先日他界された。
享年72歳。まだまだ逝くには早すぎる。
叔母が亡くなったのが8年前の3月8日だった。
桜が咲くにはまだまだ早かったが、三十五日の膳上げ法要を行った4月7日には、それまでの寒気で足止めを食っていた桜は一斉に開き、一気に満開になった。
引き出物の菓子を受け取りに向かう際、浅間大社境内の桜があまりに美事で、思わず車を止めて眺めたのを憶えている。
お寺での法要を終え墓参りに移動する際、火災に遭遇した。当時消防団分団長を務めていたので、車を墓地に置いて現場に駆けつけ、消火に当たった。
あいにく消防水利が改修中だったため前の用水には水が少なく、消火にはずいぶん手間取ってしまった。
鎮火した後室内に入ったが、まだ一部の壁は熱を持ち、ことごとく炭と化した部屋で一同呆然と立ちつくした。
ふと目を転じると、ぽっかり口を開けた窓の外には、燦々たる陽光を浴びた満開の桜が咲き誇っていた。
咲き誇る桜と、それを縁取る焼け焦げた窓。歓喜と悲劇のこのコントラストの強さが、目に焼き付いた。
世の中は思うようには行かぬ物らしい。
叔母にしてみれば桜が咲くまで命をつなぐ事は出来なかったが、あの世に旅立つ膳上げの日満開の桜に見送られたという事は大いに幸いであったろうな。