へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

指定なし

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

市役所にて



 = 新調された太鼓のお披露目 9月14日 =



宝くじ助成金の報告書提出について、担当課に詳細を聞きに行ってきた。

主に提出する写真の撮り方についての質問、そして太鼓の新調と披露の報告を市の広報紙に載せるための写真と紹介文の提出だ。



先ず、報告書では宝くじからの助成金がその道具に使われている事を明示する必要があるということ。だから太鼓や道具に貼られた、宝くじ助成金のシールがはっきり見える事が撮影のポイントらしい。

なかなか当たらない宝くじだが、それがいろんな所に貢献しているのだという事を、感謝を込めて表示する事が趣旨なのだろう。



そうこうしているうちに、某小学校の先生と生徒が同じ窓口にやってきた。どうやら下校時刻に流れる市の広報無線用の録音で来たものらしい。

毎日小学校の下校時間に市内に流れる広報無線は、学童の下校を見守るよう市民にお願いするものだ。持ち回りで毎日違う小学校からのお願いが流れている。

明日あたり、この小学校の子供たちの録音が流れるのだろうか。

燈回廊と雨、子猫は?

天気予報が天候の悪化を予報する中、霧雨の中で燈回廊は行われた。





境内に並ぶ燈火





正面参道の燈回廊





正面参道石鳥居付近



前日子猫のいた植え込みの前で心配げな人が立っている。

聞けば捨て猫に気づいた物の拾って連れ帰る訳にも行かず、誰かが拾ってくれないかと悩んでいる所だった。

けっこう人慣れしているというので、茂みのはずれで呼んだら寄ってきてのどを撫でるとゴロゴロ言っている。これは野良ではない。

前々日からここに居てろくにえさも食べていないはずだし、天候の悪化で雨に打たれたらどうなるかと確かに気がかりだ。



いったん家に帰り燈回廊の片づけも終わった頃、猫の運搬ケースを持って出かけた。

キャットフードを藪の中に置き三匹の子猫をおびき出して、じっくり時間をかけて保護した。



さすがに三匹増えるのは年寄り猫との関係もあるので難しい。

なんとかもらい手を探さなければならないが、どうなることやら・・・。

ホタル来い!

ホタルを見たいと言う知人のコメントに星山の浄化センター西側を紹介したところ、某SNSで6月3日現在まだ見られない旨のコメントが寄せられた。

例年5月下旬には飛翔が見られる所なので、確認のために出かけてみた。





写真は同水系上流で昨年写したものだが、個体数が少ないので少しさびしい。



6月4日夜午後8時現在で6-7頭がまばらに光り、たまに1頭か頭が飛翔するぐらい。気温が高ければもっと賑やかに飛び交わすのだろうが、昨年の写真にも及ばない感じだ。

紹介した浄化センター前に行ってみると、10頭ほどが暗がりの葉陰で光るもののなかなか飛び回らない。月のない夜だというのになんだか薄明るいのは曇り空にどこかのナイター照明が反射しているのもあるようだ。

しばらく待っていると数頭が舞い始めた。



ほんの10頭ぐらいでも盛んに飛び交うようだとなかなか見栄えがするものだ。

知人に電話を入れると急いで出向くとのこと。何とか到着した頃にもホタルは数頭が舞っていて、知人の息子さんにも見てもらうことが出来た。

見物に来ていた先客が捕らえた蛍をその子に渡してくれたのだが、すぐに蛍は飛び立ち、子供の顔に止まった。あわてて捕らえ直し手に乗せてしばらくその光を見ていた。おとなしく止まったまま光っているので少し傷んで飛べないのかと心配したが、知人が携帯で写真を撮ろうとしたらその瞬間に飛び立った。

得てしてそんなものだ。



その子にしても初めて見たホタルは印象に深く刻まれたろうが、父親の方がなんだか興奮していたようだ。

十数年ぶりに見たのだとか。



私が初めてホタルを見たのは、やはり父親に連れて行ってもらった時だ。

父は今年1月に亡くなったが、思い出として一番印象に残っているのはその初めて見たホタルだった。



この顔に止まり、手の乗せてじっくりと見たホタルはやっぱり良い思い出として残るのだろうか。

相棒

練行で雨に降られたり、経験のない馬が新たに加わるなどいつもと違うことが多かった。そのためかどうかは判らないが、今年の流鏑馬祭はなんだかいつもより中(あた)りが少なかったようだ。



昨年との一番の違いは昭和29年より小笠原流斉藤一門を率いて長年ご奉仕頂いた斉藤道場主がご逝去されたこと。その後を追うようにセイセイギンガという白馬が死んだことだ。

道場主はご長男が引き継ぎ、弓司(ゆみつかさ)も若手に交代した。

今が世代の切り替わりなのかも知れない。







セイセイギンガという白馬は足の速い大柄な馬で、たてがみをなびかせて疾駆する姿は実に美しかった。







この写真は一昨年の秋、浅間大社御鎮座1200年祭に行われた流鏑馬でのものだ。



この足の速い白馬に手を焼く射手も多いのだが、ベテランの鈴木氏は好んで乗っていたように思う。実際この時も2回走って、すべての的を射抜いている。

どちらも経験が長く、癖も気心も知り合った仲なのだろう。





走り終えて馬場元に戻る時、セイセイギンガはよくカメラを見てくれた。

走りも姿も美しいこの馬は大好きだったのだが、もう見られないのはとても残念だ。

鈴木氏も良き相棒を失ったためか、今年は何か精彩を欠いていたように思う。



寿命なら仕方ないのかも知れないが、変わるものはなかなか出てこないだろうな。



冥福を祈る。

花の下にて

知人のご家族の葬儀参列のため出かける際、浅間大社馬場を見ると桜の開花がまた進んでいた。







「ねがはくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの望月の頃」

と言う 西行法師が歌った和歌がある。

西行法師ならずとも、出来ることなら爛漫の桜の下で一生を終えられたらどんなに良いかと思う。桜の魅力はそんなにも強い。



満開まであと少し。待ちかねて境内を散策する人たちが多かった。





西鳥居下の馬場。桜は咲き始めた。





神田川岸の桜並木。こちらは馬場より少し遅れている。

雲がなければ桜の向こうに富士山が見えるのだが、ここ数日は見ていない。





拝殿としだれ桜の間に舞台が作られていた。

4月5日夕刻より行われる舞楽に使用する物だ。

燈回廊と併せて是非見ておきたい。





あずまやとしだれ桜と楼門。

この近くには遊具があり、親子連れで賑わっていた。





水遊びに興じる子供たち。

背景のしだれ桜は満開だ。





お花見を兼ねてか、今日は親子連れが多かった。

この春の催し

いよいよ3月、水ぬるみ花開く季節とはいえ、まだまだ春は名のみでしょうか。

富士宮市のこの春の催しをご紹介しておきましょう。

=鱒釣り大会(3月2日)=(既報)



富士宮市で毎年3月第1日曜日に行われる鱒釣り大会が、3月2日に神田川で行われました。

竿を出す場所もないほどの混雑は昔語りになってしまいましたが、

春の到来を感じる催しには変わりありません。



=浅間大社桜花見(3月末から4月上旬)=



やはり桜が咲かないと春の実感は湧いてきませんね。

例年3月末から4月初めにかけてが浅間大社周辺での桜の見頃となります。

神田川沿いの桜並木もきれいなものですよ。



=表富士燈回廊(4月5日・6日)=



昨年は休止された桜の燈回廊ですが今年は復活し、4月5日と6日の夜浅間大社境内で行われます。

並べられたろうそくの灯りに、うっすらと浮かび上がる桜がきれいです。

いわゆるライトアップとは違った幻想的な光景をお楽しみ下さい。

写真は一昨年の燈回廊です。



=春の菜の花さくらまつり(4月12日・13日)=



「春の菜の花さくらまつり」が4月12日と13日に狩宿の駒止の桜にて行われます。

写真は昨年の田楽です。嬉々として舞い踊る姿に感動を覚えました。



=浅間大社流鏑馬祭(5月4日〜6日)流鏑馬は5日実施=



5月4日から6日まで浅間大社の流鏑馬祭が行われ、中日の5日には古式流鏑馬と小笠原流流鏑馬(写真)が披露されます。





古式流鏑馬は富士宮市の無形民俗文化財に指定されています。

消防出初め式とテーマソング

1月6日に富士宮市消防出初め式が行われた。

好天に恵まれ、さぞかしきれいだったろうと思う。

というのも、今年は仕事のために取材に行けなかったからだ。



参考までに昨年の出初め式と放水の写真をご紹介しよう。





ラッパ隊のファンファーレで出初め式が始まる。

正面には真っ白な富士山が顔を見せている。





訓練例式の披露。





過半ポンプ繰法の披露。





梯操隊によるはしご乗り披露。





市中行進の後、神田川沿いにポンプ車を並べて一斉放水が行われ、

富士山の前にきれいな虹を出現させた。



たぶん今年もこのような光景が見られたのだろう。

私はこの間、浅間大社楼門前で集合写真を写すべく準備をして待っていた。





平成20年富士宮市消防出初め式の記念撮影。

市長、消防長と富士宮市消防団役員と婦人消防団員です。

2年に一度出初め式の後に撮影します。

21年間消防団に在籍したと言うこともあり、私が撮影を承っております。





こちらは私の出身分団第一方面隊第三分団の仲間で、和気藹々と消防活動にいそしんでいる。

うん、いい笑顔だ。



夕刻からこの第三分団の新年会が行われ、消防委員として区長と同行し出席した。

この分団の自慢は「富士宮第三分団消防隊」というオリジナルのテーマソングを持つことだ。30数年前に小塚敏治氏によって作られ、大事に歌い継がれてきたものだが、小塚氏がこの度管轄区の区長として出席するにあたり、アコーデオンを持参し直々に歌唱指導と伴奏を行った。

これは記録しなければと言うことで、携帯のカメラでムービーとして録画した。

















富士宮第三分団消防隊

小塚敏治 作詞・作曲



男の魂 この火の中へ

うずめてここに幾十年

伝統守りて生きて行く

世の人のため立ち向かう

我らは富士宮第三分団消防隊



筒先持つ手に 祈りをこめりゃ

舞い散る火の粉なんのその

延焼なんか させやせぬ

世の人のため立ち向かう

我らは富士宮第三分団消防隊



水にぬれてる制服よりも

萌える男の火事一途(ひとすじ)を 

命をかけて守りぬく

世の人のため立ち向かう

我らは富士宮第三分団消防隊

祭りを終えて

祭りを終えて膨大な写真を整理しながら、スクリーンセーバーのスライドショーでランダムに表示されるようにしておいた。



画面いっぱいに表示される祭りのシーンに思わぬ発見があったりする。





共同催事のこんな人混みの中で、久しく会わなかった知人の顔を見つけた。

元気そうで何よりだ。





みんなが祝詞に神妙に聞き入っている時なのに、カメラを見ている知り合いが居た。おやおや、見られていたのか。



うちの会所を訪問して囃子を奉納してくれた囃子方が、お子さんの七五三で撮影に来店された。それを聞いて写真を探してみたら、なるほど写っている。

これも焼いて差し上げることにする。



さまざまな思い出と世代交代という大きな課題を残しながら、今年も祭りが終わった。

先輩が公務に専念するために地元の祭りから卒業する。

この大きな穴を埋めるのはなかなか大変だ。

一方、息子が来年は青年長を務めなければならない。

大きな実施体制の見直しが待たれる。

露店のない祭り

秋まつり実施区以外の富士宮市民の方にとっては秋まつりと言えば境内に 所狭しと立ち並ぶ露店見物なのかもしれません。毎年春と秋に行われる「流鏑馬祭」と「秋季例大祭」は子供達にとってもお祭りのお小遣いを貰い、境内の露店 をあちこちひやかしながら歩き回るのが何よりの楽しみだと言えましょう。









ところがこの露店が一切出なかった事があります。

昭和54年の秋祭りがそれで、殺人事件に端を発し報復等で市民が巻き込まれることがないようにと警察の勧告で全ての露天商が出店を自粛したのです。

山車 の引き回しはそれぞれ行いましたが、境内に露店のない祭りは何ともさびしい物で浅間大社を訪れた人は皆一様にがっかりしておりました。

この年に撮影された教育委員会製作の「富士宮ばやし」という8ミリ映画に、露天商のいない境内に宮参りするそれぞれの町内が写っています。





宮本区ではこのさびしい境内を賑わそうと屋台(57年に山車に改修)を西門石段より曳き入れ、楼門前で参拝しました。



参考リンク

湧玉宮本の祭り



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