明治維新まで代々浅間大社宮司職を世襲してきた富士大宮司家の墓前祭は、毎年9月26日に行われます。今年はなかなか良い天気でした。

会場に行くには、浅間大社の森の中の旧登山道を登ります。
昭和30年代に相次ぐ台風でこの森の多くの木が倒れました。
その後植林され育成のために立ち入りが禁止されましたが、子供らはその中に潜り込んでは遊んでいました。
年を経て苗木も育ち、昼なお暗い鬱蒼とした森になったので間伐が施されました。
森の中にもようやく陽が射すようになり、風通しも良くなりました。
そろそろ10年ぐらいになります。

森の際に彼岸花が咲いていました。
長雨で出そびれていましたが、季節になれば花は咲いている物ですね。このぐらいの背景だと花の色が引き立ちます。

森の中の旧登山道を抜け二の宮神社を過ぎると二の宮墓地で、ここからは富士山が正面に大きく見えます。南向きの一方通行なので運転しながらだとこの光景は見えませんが、雄大な富士山の眺めはさすがに旧登山道です。
11時から墓前祭が始まりました。

墓前祭会場は富士宮市二の宮共同墓地で二の宮区区民館の隣になります。

修祓

斎主祭詞奏上

会場全景

会長祭文を副会長が代わって奏上

和漢会吟詠奉納

大宮司家遺族代表玉串奉奠

赤心隊遺族代表玉串奉奠

会場を浅間大社参集所に移し、富士大宮司家墓所護持会総会を行いました。

参集所二階から見た湧玉池です。
満々と湧水を湛える池の姿に癒されました。
◎参考リンク
富士大宮司家
悲運の人富士亦八郎重本 : へんぽらいの祭り談義

会場に行くには、浅間大社の森の中の旧登山道を登ります。
昭和30年代に相次ぐ台風でこの森の多くの木が倒れました。
その後植林され育成のために立ち入りが禁止されましたが、子供らはその中に潜り込んでは遊んでいました。
年を経て苗木も育ち、昼なお暗い鬱蒼とした森になったので間伐が施されました。
森の中にもようやく陽が射すようになり、風通しも良くなりました。
そろそろ10年ぐらいになります。

森の際に彼岸花が咲いていました。
長雨で出そびれていましたが、季節になれば花は咲いている物ですね。このぐらいの背景だと花の色が引き立ちます。

森の中の旧登山道を抜け二の宮神社を過ぎると二の宮墓地で、ここからは富士山が正面に大きく見えます。南向きの一方通行なので運転しながらだとこの光景は見えませんが、雄大な富士山の眺めはさすがに旧登山道です。
11時から墓前祭が始まりました。

墓前祭会場は富士宮市二の宮共同墓地で二の宮区区民館の隣になります。

修祓

斎主祭詞奏上

会場全景

会長祭文を副会長が代わって奏上

和漢会吟詠奉納

大宮司家遺族代表玉串奉奠

赤心隊遺族代表玉串奉奠

会場を浅間大社参集所に移し、富士大宮司家墓所護持会総会を行いました。

参集所二階から見た湧玉池です。
満々と湧水を湛える池の姿に癒されました。
◎参考リンク
富士大宮司家
悲運の人富士亦八郎重本 : へんぽらいの祭り談義