へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

ノンジャンル

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

趣味や興味をご紹介します

へんぽらいネットというサイトを新たに作りました。

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半ば衝動買いみたいなもので、急に思い立ちドメインを取得。
その日の内に、契約しているサーバー上に設置。

他の管理サイトと同じようにxoopsを使用しているが、モジュールの数は必要最小限に留め、シンプルを心がけた。
個人的な趣味や興味の紹介が主体になる。

例えばこんな事。
写真撮影、サイト運営、自然観察、蝶、メダカ、鉱物、パワーストーン、ブレスレット、アクセサリー等々。

遊びに来て下さい。

テレビ出演その後

昨日近くの郵便局に出かけたら、父親の葬儀でお世話になった葬儀社の職員の方に会った。

「テレビ朝日の古館さんの番組に出てましたね。」
おお、見てくれたのか。照れながらハイとうなずいた。

12月10日の”報道ステーション”内の”職業別意見帳・写真館"で紹介されたが反響はほとんど無かった。放送されるのが判っていた家族でさえ、待ちくたびれて寝てしまったぐらい微妙な時間帯だ。無理もない。こんなものかと少しがっかりしていた。


11月22日に電話で問い合わせがあり、24日に集録。
次週放送予定だが放送日が決まったら連絡をしてくれるとのことだった。
一部の知人や仲間にはその旨を話し、自分でも見落とすまいと毎日”報道ステーション”をチェックしていた。ところが連絡もないまま翌週が過ぎ、どうやらボツになったかものかと諦めていた。

12月10日の夕刻、取材に来られた方から電話があった。今晩の放送予定だという。
知人に連絡しようにも時間がないので、SNSがらみの友人にはブログなどでお知らせを書いたが、ごく僅かの知人にしか知らせる事が出来なかった。
どうやら前の週は、国会の会期延長があったので予定が変更されたのだろう。
もともと隙間を埋めるような企画だったからそれも仕方ない事だし、大きなニュースが有れば持ち越されたりボツになったりする事もあるのだろうか。連絡がぎりぎりになったのも仕方ない事だろう。

全国版のテレビに映るなんて多分二度と無いだろうと、地デジを録画できる機械を買っていたので、今まで撮っては消しを繰り返していた。おかげで操作には慣れ、無事に録画できたので良い記念にもなった。

証拠の画面写真を紹介しておこう。

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動画は”報道ステーション”サイト内で見る事が出来る。

テレビに出ます!

それは一昨日のこと、予約の七五三撮影を終えてうとうとしていたところ電話があった。
「写真館の方に政治について伺いたい。」
なんだか判らないままに了承し、今日の取材となった。
何を聞かれるんだろうと2晩寝ながら考えた結果は、寝不足になっただけ。

「何でうちなんですか?」と訊いたら、「98年の歴史ある写真館で、インターネットにもいろいろとサイトを持っているから」とのこと。

どうやらインターネットで調べてのことらしい。
目に見えるほどの効果は無いものと思いながら、どうやらあきらめずに続けてきた甲斐があったようだ。
8月に「henporai」というキーワード検索での訪問が「祭にっぽん」「あいらぶ富士宮」で共に異常に多かったことがある。
一般的でない言葉が検索されているのをおかしいとは思っていたが、今回の取材に関係していたのかも知れないな。

店のあまりのみすぼらしさにはさぞかし驚いたろうとは思うが、とりとめのない話をしっかりと聞いていただいた。

民主党政権に対しての感想や「鳩山首相をどう思うか」などといくつか聞かれ、最後に聞かれたのが「政治に望むこと」だった。

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地方に生まれ育った若者が、生まれ故郷に帰ってこられないという現実がある。
里心をあおるべく「あいらぶ富士宮」というサイトを作り、祭りや催しのこと、富士山の写真、花の写真と詰め込んでは見るのだが、家族を養うための仕事が不足していてはそれもむなしい話だ。
高齢化や過疎化は進行中で、櫛の歯が欠けるように世帯数は減少している。もっと地方に目を向けて然るべき施策を執らなければ、地方は遠からず崩壊する。
なによりそう言った意識が、今の政治には欠落している。

そんなことを言ったと思う。

山ほど話した気がするが、放送に使われるのはほんの3分だとか。

TV asahi来週の報道ステーションで放送。
日程が決まれば知らせてくれるとのことだ。

ボツにならないことを祈る。

すこし大人びて七五三

浅間大社の祢鼎気鵑吠垢い燭箸海蹇∈Gは例年に比べて七五三の参拝客の出足が遅く、例年なら10月に入るとちらほら有った参拝が減少し、11月の祭り明けに期待しているとのことだった。

祭り明けの土日、予約の時間に遅れた知人が言うには、浅間大社が参拝客でひどい混雑で思わぬ時間を食ったとのこと。14・15日もお客様が言うには混雑していたとのこと。出遅れを解消できればいいのだが。

さて、仕上がった写真をお客様が受け取りに見えた時、お子さんがあまりに幼いのに驚くことがある。晴着を着て写った写真はずいぶんしっかりと大人びているのに、素顔ではまだまだ幼い子供だと気付かされる瞬間だ。

「人は外見ではない」と言うが、着るもので意識が変わることもある。
しゃんとして、汚い老人と嫌われないように気をつけねば。

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この広告は組合で地方紙に載せたもので、私が製作したもの。
当店(佐野写真館)のお客様の写真を使用し、コピーは私が作ったもの。

カスピ海ヨーグルト

以前、家内が知り合いから分けて頂いたカスピ海ヨーグルトを毎日食べていた。ヨーグルトを新しい牛乳に混ぜるだけで、継続してヨーグルトができる。かなり長い事作り継いで、毎日ヨーグルトを食べるのが習慣になっていたが、その内雑菌が混じった物か種が弱まった物か思うように固まらなくなってしまい、ヨーグルト作りはそこで終わってしまった。

たまに市販のヨーグルトも食べる事もあるが、頻度はごく稀になる。
昨年末から今年始にかけて重症の便秘で苦しみ、ヨーグルトの効果として言われている便秘の改善を思い出した。そういえば、ヨーグルトを食べていた頃は便通で悩んだ事がなかったな。

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種菌の入手方法を調べたら、ヤフオクでフリーズドライの種菌が手ごろな価格で入手できる。迷わず落札した。

カスピ海ヨーグルト菌の増殖には25-30℃くらいが適当な温度らしく、専用の温度管理器具なども市販されているが、簡単に作り継げるという長所を買ってあえて専用器具は使わない事にする。
冬場の低温は菌の増殖を抑え、ヨーグルトの完成には時間がかかる。以前も冬場は炊飯保温ジャーの隣に置き、そのかすかな熱を利用していた物だ。

ヨーグルトに牛乳を足して作る場合より、フリーズドライの種菌から作るのには時間がかかるとの事なので、冬場の事で気温も低いし何か加温の方法がないかと考えた。熱帯魚飼育用の水槽は温度管理が25℃くらいだ。容器ごとそこに入れておくのが手っ取り早いが、ちょっとした事故が起こればどちらもダメになりかねない。

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結局、ライターオイルを使用したポケットカイロをガラス容器に密着させ、タオルで巻いて放置することにした。ほぼ24時間経って確認した所、牛乳は美事にヨーグルトになっていた。

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出来たヨーグルトをシール容器に取り、牛乳を足して次のヨーグルトを作る。

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牛乳パックにヨーグルトを入れるのが、最も簡単な方法だ。
以前我が家でもこの方法でカスピ海ヨーグルトを作っていたが、雑菌の混入に気をつければ繰り返し長期にわたってヨーグルトを作り続ける事が出来る。

良いお年をお迎え下さい

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今年もいろいろとお世話になりました。
コメントを頂いたり訪問させて頂いたり、ご交流いただいたことを感謝申し上げます。

喪中につき、新年の賀詞の交換はひかえさせて頂きますが、
皆様が良い年を迎えますようお祈り申し上げます。

喪中

父親が亡くなってもう11ヶ月、1月には一周忌となる。
年賀欠礼のハガキも早めに送ったが、でも喪中とはいえ11月の祭りには参加した。

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昭和初期の祭りの写真だ。左の男の子が父親で、右の女の子が叔母、中央の男性が祖父だ。
明治29年に撮られた祖父が子供の頃の写真も残っているくらいだから、
代々お祭り好きな家系なのだろう。

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一般的には喪中に祭りなどに参加する事は遠慮する物だ。
だが地元の祭りも簡単に抜けるわけにはいかない台所事情があるし、
何より父親自身がお祭りをとても愛していたから、出なかったらむしろ悲しむだろう。
出るのも供養の内だと割り切って参加した次第だ。

叔母の葬儀の時に葬儀社の人に聞いた話だ。
葬儀の後に一般的には初七日を行うのが通常だが、富士宮市では四十九日を行う事が多い。
これは浅間大社の門前町と言う特殊性が影響していて、
喪に服して神社への出入りを控えていては業務に差し支えてしまうから、
四十九日を葬儀の後に続けて行う事で忌み明けとしたのではないかとのこと。

祭りが穢れを嫌うというのは、「穢れ=気枯れ」つまり、
気持ちの落ち込んだ様をハレの場に持ち込むなという意味合いのようだ。

要は出る人間が納得して、元気に祭りを盛り上げれば良いんじゃないか。
実際、周りを見回しても、身内の不幸で祭りに出なかったなんて人は殆ど居ないものだから。

ジュビロ残留!!

先ほど入れ替え戦が終了し、ジュビロが2-1でベガルタに勝利し、J1残留が決定した。
Jリーグ最終戦で、1点が取れずロスタイムに失点するという最悪のパターンで、入れ替え戦までもつれ込んだが、ようやく残留が決定したのでこれで安心して眠れそうだ。
来年はこんな心配はしないで済むように願いたいものだ。

まさかここまでもつれ込むとは思わなかった。
昔の黄金期を考えると当時の選手たちの多くは他チームに移り、そこでも来期は戦力外通告されるなど、時の移ろいを痛感する。
世代交代が求められる時期でありながら、それが思うように行かぬもどかしさばかり。

難産ではあったがニューヒーローの出現を喜びたい。

防災訓練

12月7日の日曜日は宮本区の防災訓練に参加し、小型ポンプの操作を指導しました。

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役員は準備で早めに集合とのことで、1時間前に行ったら早すぎたようでした。
天候は快晴で眺めも良いので、久しぶりに家の周りを見て歩きました。
中央図書館駐車場から見た富士山です。

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市民文化会館駐輪場の銀杏は黄葉を散らし終わる頃。

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市民文化会館植え込みのドウダンツツジの紅葉がきれいでした。

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防災倉庫から訓練の道具を引き出します。
台車にセットした可搬ポンプの指導を私が担当します。

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区民館前に集まった参加者。
開始を待ちます。

ハンドマイクを持ちながら指導していましたので、訓練中の写真は残念ながらありません。

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最後に非常食の試食が行われました。

この日は晴着撮影の予約が入っていたので、早めに抜けて帰りました。

回数が多ければ良いというものでもないでしょうが、毎年9月と12月の2回、防災訓練が行われています。
東海地震の危険性が叫ばれて久しいのでずいぶん長い事こんなペースで訓練を行っています。
避けるべきはマンネリ化でしょうね。

富士宮のお好み焼き

富士宮やきそばもずいぶんと有名になった物で、関係各位の努力には本当に感服しました。

富士宮市も富士宮の祭りも全国にもっと広く知ってもらいたいのですが、こちらはなかなか難しいものです。2009年の国民文化祭には食の祭典とお囃子の祭典が富士宮市を会場に行われますので、この機会を大いに活用したい物です。

さて、振り返って考えてみると、あまり外食で焼きそばを食べていないことに気づきました。外食の機会自体が少ないというのもありますが、焼きそばは家で食べるのがほとんど。
近所の駄菓子屋に行けば店の一角にやきそばやお好み焼きを焼く焼き台がありましたが、そこで食べるのはもっぱらお好み焼きで、あえて焼きそばを食べようとも思いませんでした。
理由は値段だったのかもしれません。
使用する材料はキャベツに肉かす(当時は天かすと呼んでいた)ソースにだし粉と青のり。紅ショウガは好みで材料は共通です。
違いは水で溶いた小麦粉を使うか、腰のある蒸し麺を使うかぐらいで、そこの違いが値段の差だったように思います。
よく似た兄弟みたいな物です。
たまに臨時のお小遣いなどがはいると駄菓子屋でお好み焼きを焼いてもらい、二つ折りにして鉄板の隅に置き、小さな返しで少しずつ食べ、漫画雑誌を読みながらラムネを飲むというのが最高の贅沢でした。

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まだやきそば学会が出来る前のこと、富士宮のやきそばがよそのより断然美味しいというのを、父母がバス旅行でガイドさんから聞いてきました。
国内各地をガイドしながら回るお仕事ですから、行く先々でいろんなやきそばを食べたけれど、富士宮のやきそばが一番美味しいんだそうです。

腰のある蒸し麺、甘いキャベツ、香ばしい肉かす、コクのあるだし粉。どれも安価な材料ですから、駄菓子屋さんなどで食べられる庶民の食べ物です。
まさにB級たる所以ですね。

つくづく思うのですが、下手をすれば廃棄されるような豚の脂身からラードを絞った残りかすと鰯削りのふるい落としを、やきそばやお好み焼きに活かしてその味を引き立てた先人の知恵は賞賛に値します。

今の物あまりの世の中では生まれ得ない、誰もが貧しかった時代が産み出した傑作だと私は思っています。

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