へんぽらいの祭り談義

富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。

ネット・パソコン

へんぽらいとは富士宮弁で変わり者のこと。ライフワークの祭りを通してふるさとの今を発信し続ける、心ある変わり者で有りたいと思います。
様々な祭りをご紹介するWEBサイトはこちらです。
http://maturi.info/

夏の幻-2

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その日の夜おかみさんから心配をかけた掲示板仲間の皆さんに、お礼の書き込みがあった。
巨人軍広報からメールをいただき、こちらからの連絡待ちになっていること、また別の親しい知人のルートでも入手できそうだという報告があり、多くの人たちからメールや電話をいただいたということに感激し、とても感謝している旨が書かれていた。

深夜のあの時間の書き込みにもかかわらず、何人かの仲間はおかみさんの悲鳴にも似た言葉に何とかしようと行動を起こしていたのだ。手早く削除したはずでそれほどは影響無いかと思っていたが、ネットの力恐るべし。

その2日後の夕方、あらためてお礼と報告が投稿された。
巨人軍の広報の方にもご支援頂いたのだけれど、知人のルートで手に入れる事にして、10日ほどでサイン入りバットが少年に手渡されることになったという事だった。
重ねて多くの人たちの協力や励ましに感激し、皆さんの行為や励ましを少年の親御さんにメッセージをプリントして届けたいと結んでいた。

29日の書き込みにはバットが少年に届けられたという報告がある。
今朝6時に巨人の元コーチの方と親しい知人の方の手から少年の父に手渡され、
今日午後少年にバットと元コーチの書いた本がわたされた。
昨夜のドームの試合後、松井選手にバットをもらい、その足で届けてくれたとの事。
藤田元監督からもメッセージをいただき、その子も言葉にならないほど喜んでいたと母親から電話があったという。

その後少年を励まそうと別の掲示板で皆が少年宛にメッセージを投稿し、おかみさんがプリントアウトして少年に届けた。ぶっきらぼうな口調でありながら胸を打つメールなど多くの励ましの言葉が届けられた。

宣告された2ヶ月は過ぎ、気にはしながらも便りがないのは良い兆候なんだろうと思っていた。しばらくしてリハビリに励んでいるとの報告に、奇跡が起きるのを期待していたのだが・・・。

しばらくぶりの女将さんの書き込みは少年の死を伝えていた。
「少年はお星様になりました。」
と。
人の非力をつくづく思い知らされたが、ご両親の感謝を伝えられると少しは力になれたのかとも思う。

パソコンやインターネット好きに人間味を感じないなんてのは、単なる先入観に過ぎない。
少なくともあの夏の夜から皆が一人の少年を気遣い、心から励ました。
奇跡は起きなかったけれど皆が奇跡を願った。
みんな人間味溢れる良いやつばかりじゃないか。

ネットの匿名性を良い事に悪さを重ねる輩も確かに居る。
でも大半の人は心ある善意の人なんだ。

また同じ夏が来た。


※ 写真は富士山山開きで披露される手筒花火です。

夏の幻-1

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おや?
キーワード検索でひっかかったのは解約したプロバイダにあった掲示板だった。
かなり昔である。初めてドメインを取得し別のホスティングサービスに移転したので、移転通知だけ置かせて頂くようお願いして他は削除したはずだった。
あるはずのないリンクをクリックすると、なんとその掲示板が表示された。
サーバートラブルか何かがあり、そのためにプロバイダのバックアップデータから復元でもしたのだろうか。
まるで夏の幻だな。

読み進むうちに思い出した。
そうか、あれは丁度こんな時期だったんだ。

当時ネット仲間でお互いに掲示板を持ち、それらを巡回しては他愛もない話題を書き込んで親交を深めていた。そんなある日船宿のおかみさんの書き込みがそれらの掲示板を駆けめぐった。
知人の子供が余命2ヶ月と宣告された。親もできるだけの手だてを講じるつもりだが、少年に闘病の支えと希望になるように大好きな松井選手のサイン入りバットを贈りたいという。

必死の思いから彼女は仲間の掲示板全てにそれを投稿したのだった。
メールと違って掲示板は多くの目に触れる。善意の人たちが一斉に動き出したらいろんなルートから松井選手のサイン入りバットが求められ、それらがバッティングしてしまう事が考えられた。善意でかけずり回って手に入れたバットを渡そうとしたらすでに解決済みでは、せっかくの多くの善意が宙に浮いてしまう。
これはいかんと老婆心でおかみさんに早速メールを送り、バットは必ず手にはいるから多くの掲示板の書き込みは削除するようにと伝え、巨人軍のホームページで連絡先を探した。
ところが巨人軍のサイトには連絡先がどこにもないのですな。そこで読売新聞社にメールを送り巨人軍広報に連絡を取って頂き、それを報告してあとはおかみさんにおまかせした。

最初の投稿のタイムスタンプは8月20日の01:58となっていた。

                         -------- つづく

※写真は当時の掲示板仲間トンボ玉作家ぐれさんの「ドラ玉」。
 ドラえもんの顔が埋め込まれています。

熱い思いは

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 私のサイトのきっかけは「故郷とお祭りを知ってもらおう!」という思いつきでした。
「インターネットは貧者の放送局」という言葉に感銘を受け、勢いでサイトをオープンしたわけです。
タグを辞書登録しテキストエディタでこつこつとページを作りました。そんな状況ですから最初の容量はフロッピー1枚に余裕で収まるようなものでした。
Yahoo!にも登録して頂いてそこそこ訪問者もあり、気をよくして複数プロバイダにページを分割、次にはドメインを取ってとバブル状態の拡大が続きましたが、気がつけば更新も滞り意欲も減退しているというスランプに陥り、わずかな更新でごまかしているという状態が続きました。そんな好不調の波にぶつかりながら気がつけばはや10年。長いようであっという間でした。

 同じように故郷の祭りを紹介しているページにリンクさせて頂いているのですが、祭りと日本の伝統関連ページでようやく1000を超すサイトが登録できました。
http://www.maturi-jp.com/php/modules/yomi/
ここまで来るのも時間がかかっているのですが、中には新たなドメインを取得して移転したり、無くなってしまうサイトがあったりと正確なデータの維持で悩まされます。
私もスランプも経験していますので、消えてしまうページの気持ちもわからないではありません。
でも続けてきたからこそ多くのサイトとの連携が取れるし、培った多くのリンクが検索エンジン上位表示に生きているのだと思います。

 サイトを閉じようとしている人は考えて欲しいんです。
最初にはそれなりの熱い思いがあったはず。情報が古くなったら必要なところだけ直せば良いんです。
閉じられたサイトでも古いページへのリンクがけっこう高い評価(表示順位)で残っている事もあります。それって財産じゃありませんか?

関連リンク
http://www.miyachou.com/wp/?p=31

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