昨日の朝前蛹になっていたツマグロヒョウモンが、今朝見たら蛹になっていました。

幼虫時代のトゲトゲは背中の突起になりましたが、頭の側から数えて5対の突起は黄金色に輝いています。

これは1日前の前蛹の写真です。
背中の細かな棘毛の生えたトゲは、すでに脱ぎ捨てられるために空洞ができかかっています。

蛹化の連続写真をgifアニメにした物です。
幼虫の皮を脱ぎ捨てれば、すでに蝶になるパーツが区分けされています。
富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。
昨日の朝前蛹になっていたツマグロヒョウモンが、今朝見たら蛹になっていました。

幼虫時代のトゲトゲは背中の突起になりましたが、頭の側から数えて5対の突起は黄金色に輝いています。

これは1日前の前蛹の写真です。
背中の細かな棘毛の生えたトゲは、すでに脱ぎ捨てられるために空洞ができかかっています。

蛹化の連続写真をgifアニメにした物です。
幼虫の皮を脱ぎ捨てれば、すでに蝶になるパーツが区分けされています。
今年は蝉の鳴き声が聞こえ始めるのが、例年より遅かったように思います。
例年7月の10日前後と記憶していますが、今年初めて蝉の鳴き声を聞いたのは7月15日の事。その後もなかなか合唱までには至らず、8月の声を聞いてようやく蝉の声が賑やかに聞こえました。
ある新聞によれば、蝉出現の遅れは春先の低温に起因するとか。
そういえば、4月初めが満開のはずの桜がようやく咲き揃ったのが4月12日頃でしたから、1週間か10日ぐらい遅れていたと思います。

4月12日に浅間大社正面参道から写した写真です。
ようやく咲き揃ったのがこの日ぐらい。低温が桜を足止めしていたのでしょう。
ようやくセミの羽化も本格化し、何度か幼虫に遭遇した。

アブラゼミの羽化
まさに幼虫の殻から脱出するところ。

これもアブラゼミ
殻からの脱出だ。

クマゼミの羽化
黒くなるべき体色はまだ淡い。黄金の産毛が輝く。
羽化後しっかり羽も固まってから、翌朝空に放った。
8月になり、ようやく蝉の声も盛んに聞こえるようになった。
夏が涼しければ過ごしやすいというのも人間の勝手。
らしくなければ、収穫にもさまざまな不都合が起きる。
庭のイチジク、酔芙蓉の花は今年は順調に育つのだろうか。
昨日以前のブログを探したら、17年以上長生きした猫の命日が今日だと判った。
18歳を目前に昇天したが、思えば波乱に満ちた生涯だった。
隣家の屋根づたいに二階の窓から入ってくるようなお転婆な猫だった。
初めてのお産で胎児が参道を通過できずに死にかけるが、帝王切開で胎児を取り出し一命を取り留めた。以前事故か何かにあったらしく、骨盤の変形で産道が狭かったとのこと。
ついでに避妊手術もしていただいた。
両後足を失ったのはそれから何年もしないうちだ。
血まみれで帰った時には家中蒼白となり、獣医さんに運び込んだら選択を迫られた。
足のないまま面倒を見るか、それか安楽死かと。
それほど重症だったわけだ。
治療をお願いし、右後足はくるぶしから、左後足は膝から切断した。
「大丈夫、後足はなくてもその分前足が強くなりますよ。」
獣医さんの言葉だ。
後足がないから走れないし、ジャンプも出来ない。階段を上って2階に来る時は前足を階段にかけて体を引き上げそれこそ重労働だったが、下りる時は逆立ちして流れるように前足で駆け下りた。
あまり外には出なかったが、ある時外で猫が喧嘩している声がした。
急いで表に飛び出るとすでに猫の姿はなかったが、叩き合いで抜けたと思われる猫毛の大きな塊が車道脇のコンクリートブロックの前に鎮座していた。毛色から相手猫の物と思われ、腕力がパワーアップしたのを実感した。
店の上がりかまちから、ガラス戸越しに表の通りを眺めている事が多く、猫好きな方は通りながらその姿を探していたという。

無くなる前年ぐらいに後肢にガンが見つかり、短い足をまた切りつめた。
これがその時の写真だ。
平成20年6月に3匹の子猫を拾った。
元気に走り回る子猫は老いた猫には煩い存在に他ならず、顔を見れば怒りまくっていた。

子猫が小さい時は物置部屋に閉じこめていたが、大きくなればそうも行かず老猫の側を駆け抜けては怒られていた。
同居には無理があるからと老猫を2階に避難させていたが、老齢ゆえか年明けから食欲が落ち衰弱が目立った。
1月23日の未明から苦しみ、家内がつききりでいたが朝方息を引き取った。
その際に感じた不思議な事がある。
脈も呼吸も止まったというのに、猫が喉を鳴らすようなゴロゴロという音を聞いたのだ。
思わず耳を疑い、猫に耳をあてたがどこから聞こえるのかは判らなかった。
それを聞いたのは私一人ではない。家内も同じ音を聞いている。
ネコも年を経ると妖怪になると言う。
昇天にあたり、メッセージを残したのだろうか。

芋虫毛虫が蝶になる。
それは醜いアヒルの子が白鳥になるよりも大きな驚きではないだろうか。
羽化したばかりのアオスジアゲハだ。
黒光りする翅の地に、水色からうす黄色までのグラデーションが鮮やかだ。
人の変化を喩えるならそれは変身だが、昆虫の場合だと変態と呼ばれる。
変態には幼虫から蛹になる蛹化と、蛹から蝶になる羽化があるわけだが、一番大きな変化は一体いつなんだろう。

羽化は最終的に蝶になる場面だが、その翅も眼も触覚も脚も、蛹の時代から殻の中に
用意されていたものじゃないか。
時間をかけて熟成し、殻を脱ぎ捨て翅を広げたに過ぎない。

蛹化の連続写真をgifアニメにしたものだ。
幼虫時代の皮を脱ぎ捨てると、そこにはすでに成虫になるための各部位が割り振られている。
蛹化は家造りで言ったら上棟式みたいなもの。
すでにある設計図に従って骨格を組み上げるようなものじゃないだろうか。

幼虫の体から成虫の体への見た目の変化は、やっぱり蛹化だろう。
でもその変化のための準備は、蛹になる直前の前蛹の時に行われている。
食べた餌を吸収し、糞は全て排出しゼリーのように半透明になった。
糸を吐き、蛹になる足場や体を取り巻く帯も用意した。
そして遺伝子に組み込まれた設計図の通りに、内部で成体の部位を組み立てているところだ。
見た目には判りにくいが、変化のための大きな仕事は深く静かに行われている。
動かぬ時変わらぬ時、それはひょっとすると大きく変化するために着々と準備を進めている時かも知れない。
大きな変化には、どうしても準備期間が必要なんだろう。
スランプってたぶんそんなものかも知れない。
触れただけで倒れたという銀杏は、富士山の縄状溶岩の上で深く根を下ろすことも出来ず、周囲に根を広げることもままならなかったのだろうか。
同じような老木の倒れたのを見たことがある。
それは浅間大社境内、天神社隣の椎の大木だった。
早朝いきなり倒れ、浅間大社境内透き塀をかすめて少し破損させたと言うが、人や車には被害が及ばなかったという。

これがその椎の木の根本だ。
ちぎれて小さくはなっているのだろうが、周囲に張り出すべき根張りがあまりにも小さい。
すぐ下は縄状溶岩で深く根を下ろすことは出来ないが、広く根を張り出すにはスペースが確保できなかったのだろうか。

この老木の枝分かれした部分には他種の若木が着床していた。
幹の下部には枝が朽ちたような穴があり、そこに潜ろうとするヘビの姿も見たことがある。
上部は案外しっかりしているようだが、根や幹の下部では腐朽が進んでいたのだろう。
この木が倒れた一月ほど後に、少し西側の老木も倒れたそうだ。
その頃は浅間大社の神職も上級職が相次いで亡くなっており、まさに世代交代を思わせるものだった。
芯部が腐って空洞を生じた樹が、形成層が活発化することで空洞を覆い尽くし樹勢を盛り返すという話も聞く。

この老いたシイの大木は以前根本に人が入れるほどの芯部の腐朽による大きな空洞があったそうだ。ある時この空洞に誰かが火をつけ、腐朽部分を伝って上部に開いた多くの穴からも火を噴き出し消火にはとても手間取ったと、以前消防署に勤めていた役員さんから聞いた。
腐った上に火事に遭い、枯れるとしか思えなかったこの木が、なんと空洞を覆い隠すほどに樹勢を回復したのだという。
枯れた木が幼木のベッドとなり若木を育てる。
倒木更新、切り株更新という話を屋久島で聞いてきた。
半分死んでも半分生きているというような状態で、そこに根付いた若木が旺盛な生命力で生長していったら、元の木と融合して一つになることもあるらしい。
枯れそうだからと簡単に伐採するのも考え直し、危険がないようなら生かす方策を試みたらどうなのだろう。

信長の首塚と言われる西山本門寺の大ヒイラギだ。
枯死が危ぶまれたが、幹から生えた枝が勢いよく育っている。
樹勢を回復してさらなる年輪を加えて貰いたい。
昔読んだ易の言葉に「古楊ひこばえを生ず」と言うのがある。
枯れたと思った楊(やなぎ)の根元から新たな芽が生えた。それはとても目出度いということ。
実生の若木はすべてこれから幹や葉や根を伸ばし、少しづつ成長していかなければならないが、ひこばえはしっかり踏ん張った元の木の根がある。
その成長は比べものにならない。
簡単に新しいものに植え替えるというのが昨今の風潮だが、人よりずっと長くその地に生きてきた木を思い、見守ってやることも一つの方法ではないだろうか。

そうそう、この春新装なった城山区民館だが、福石神社という神社の境内地に社務所(?拝殿)を兼ねる形で作られている。

これが在りし日の銀杏と商店で、上の写真で山車の左に見える電柱がこの商店右の電柱だ。建物西側登山道の北側から見たのが先の写真で、この写真は南側から見たもの。
銀杏の向こうにあるのが昔の区民館。手狭で老朽化しているということで新築が急がれていた。
城山区と言えば、人口減少の進む市街地では珍しい世帯数の多いマンモス区だ。
あまり小さな区民館では用をなさない。
敷地を目一杯活用するために、商店には移転して貰い銀杏は伐ることになった。
かれこれ50年も昔のこと、小学生当時この隣の道を通って大宮小に通っていた。
銀杏の下は帰りに道草を食う格好の場所で、銀杏が実る頃は石を投げて実を落としたりしていた。
樹皮には垂れた乳のような模様が見られ、この樹の経た年月を思わせたものだ。
おまけに幾度か落雷にも遭っているという。
区民のためとは言え、歴史ある老大樹を伐るとはいかがなものか。
そう思う人も多かったようで、事故がなければ良いんだがと危惧する声もよく聞かれたものだ。
完成して幸いなことに、この工事で事故が起きたという話も聞かないので、安堵していた。
たまたま地元の人に銀杏のことを聞く機会があった。
何せこの大きさだ。おまけに根を下ろしたところは溶岩層。
撤去にはかなりの手間と費用がかかると見積もられていたそうだ。
そして撤去の日、重機が用意され作業が開始されると、触れただけであっけなく銀杏は倒れてしまったという。
地盤は溶岩層。銀杏は深く根を下ろすことが出来ず、薄い表土に根を広げかろうじて生きてきたのだろう。倒れてみれば周囲に張り出した根も小さく、この樹の苦労を示すものだったようだ。
この老いた銀杏は、寿命を迎え倒れる時を待っていたのではないだろうか。
悔いなく一生を全うした。
そう思いたい。
へんぽらいネットより
梅雨明けというと思い出すのは3年前のこと。
梅雨が明けたというその日に浅間大社境内を歩いたとき、湧玉池のほとりで涼んでいた人たちが口々に話してくれた。
白い蛇が湧玉池を泳いで横切り、森に消えていったというのだ。

梅雨明けの陽光きらめく湧玉池だ。
この水面を白い蛇が泳いで渡ったという。
それは幻想的な光景だったろう。
それで白い蛇のことを、浅間大社の神主さんに聞いてみた。
白い蛇そのものの情報は得られなかった物の、参集所前の島などで大きな蛇の抜け殻を見ることはよくあるとのこと。

そして翌年のこと。
浅間大社青年会の、創立35周年記念式典が参集所で行われたときだ。
式典を終え記念講演に移る際に会場設営のため小休止があったので、窓から湧玉池を見ていたら蛇が池を泳いでいるのを発見した。悠々と池を泳いで北側の森に消えて いった。
対岸寄りで逆行気味。蛇行し波を立てて泳ぐのは遠目にも見えたが、白蛇かどうかまでは判らなかった。
懇親会などで話をしてみたら、白蛇の目撃談を聞くことができた。
7-8年前の青年会総会の日に湧玉池の石垣で白蛇を見たのだそうだ。

それから池に来るたびに白蛇はいないかと探すようになった。
ある日子供達が蛇を見つけ騒いでいたので駆けつけると、すでに石積みの隙間に逃げ込んだ後だった。
後日覗いたら顔を出していたので、そっと近寄って 撮影した。
アオダイショウだろうか、残念ながら白蛇ではなかった。
とはいえ、池に接する森は広大で何か居てもおかしくはない。
いつの日か白蛇に出会う日があるかもしれない。
そんな日を楽しみに待っている。
参考
先日ブレスご購入のお客様が再来店。
今度はネックレスをご購入いただいた。
何か良いことがあったようで、なんだか嬉しそうな様子につられて微笑んでしまう。
ブレスレットの効き目でもあったのかな。
天然石と呼ぶかパワーストーンと呼ぶかで、石に対するスタンスが変わるが、私はできれば地球が生み出した貴石として愛でたいと思っている。
様々な色、形、反射、透過、光沢など、いろいろあってみんな良い。
素直に楽しみたい。
とは言え、惹かれる石はどうしても出て来る。
巷間言われる石の効能も、色彩心理学なんて物もあるように、必ずしも迷信とは言えない。
お好きな石が決まったら、その効能書きを読んでみるのも興味深い物だ。
案外あなたが欲していた物を、その石が表しているかもしれない。
紀元杉から少し戻り、ヤクスギランドを見学。
正直言って、場末の遊園地じゃあるまいにこのヤクスギランドという名前は何かそぐわない。
名前を聞くだけで、あまり期待はできないんじゃないかと思った。
しかし歩道や手すり、説明を聞くところにはぬかるみ対策だろうか石版が埋め込まれ整備されている。こう言ったものを見るとむやみに人が自然に立ち入らぬような気遣いも感じられ、名前から受けるがっかり感を少し見直した。

入り口にいたヤクシカだ。ここまで上ってくる途中でも何匹か遭遇していたが、人慣れしているのか落ち着いた物だ。ガイドさんが言うには人の数ほどヤクシカもいるのだそうだ。

昔の屋久杉伐採跡
当時は大きな材木として伐られたようで、用材に適する根本を除いた少し高い部分で伐られている。伐った屋久杉は屋根材用に板に挽き、人が背負っておろしたという。
巨木の大きさを活かすのではなく、小材をたくさん得るために伐られたと言うのは少し悲しいが、運び出すことも難しい険しい山奥だ。無理もないか。
300年ほどの時を経て、切り株には新たな種が根付き成長している。
花崗岩に覆われた山肌では養分に乏しく、倒木や切り株は豊富な養分を持つ格好の培養地だ。倒木から新たな木が育つことを倒木更新、切り株から育つことを切株更新と呼んでいる。

双子杉
切株の上に2本の杉が切株更新で育った物。異なる樹種も絡みつくように共生しており、数百年も経てば狭い切株の上で融合するのではないだろうか。

くぐり杉
元々2本の木だったが、右側の木が倒れかかり左側の木と上部で合体している。

木漏れ日の中を進む。
雨なら雨具をまとっての見学らしいが、蒸しもせず風が心地よく天気には本当に恵まれていた。

倒木や切株といった朽ち木を豊かな土壌としての輪廻転生、そして融合。
悠久の時と自然に対する畏怖の念が屋久杉を守ってきたのだろう。
1993(平成5)年に世界自然遺産に登録された。

見学コースを抜けた道路際の朽ち木の中に芽生えを見つけた。
どこに生じたにしても、育つ枯れるは運の善し悪し。
人の手によって寿命が縮められぬよう祈りたい。
有るがままであれ。

下山するバスの窓からヤクザルの親子を見た。
案外人慣れしているのか道路際にいたが、際を乗用車が通り抜けるとさすがに危険を感じたかその後山側に後ずさった。

宮之浦港から船で指宿に戻る。
山頂部の雲はまた増えたようで、好天の元で見学できたのは本当に幸いだった。
来るときには高速船で1時間15分だったのが、帰りは2時間10分かかる。
理由は直行ではないからで、指宿から来た船は種子島に立ち寄った後に指宿に戻るからだった。
今度機会があればじっくりと時間をかけて歩いてみたい。
ウィルソン株や縄文杉など、まだまだ見たい物があるからだ。
自然を壊すのも人なら、守るのも人。
次の訪問は20年後の結婚50周年かな。
どうぞそのまま変わらずにいてください。
参考
屋久島ツアーの2日目は日帰りで屋久島を周遊する。
ウイルソン株や縄文杉と言った屋久杉を見るには、山道を何時間も歩かなければならず、日帰りは難しい。
日帰りの制約の中でバスで移動して名勝や屋久杉を見るには、行動範囲が限られてしまう。
正直言って、それほどの期待はしていなかった。

指宿港だ。対岸左の建物が宿舎の指宿シーサイドホテル。

宮之浦港に着いた。船は乗ってきたtoppy号。
山に雲はかかるが、日射しはまぶしい。

千尋(せんぴろ)の滝。大いなる岩盤を穿ち流れる川と滝も見事だが、迫る一枚岩の山肌が実に雄大だ。岩肌に昨日の雨の名残がしたたり流れている。

大きな岩も、少しずつ剥がれるのだろうか。

別の展望台に移ったとき、にわか雨に襲われた。
岩肌が雨に濡れ、光る。

屋久杉を見に行く前に昼食休憩。
日射しはまばゆく輝く夏の空だ。

紀元杉まではバスで行ける。
道の脇の上部が枯れた大木が紀元杉だ。

根元を一回りする歩道がつけられている。
枯れた杉に着生した他の植物も見える。
枯れて倒れた木や切り株、その上に芽生えた様々な樹種が屋久杉の謎を解く鍵になるとか。