10月8日に「美しい日本の遊び-水辺のつきを愛でる空きの川床」と銘打って、浅間大社参集所で川床という催しが行われた。
湧玉池の畔に建つこの建物の窓辺からは、清透な水に遊ぶアヒルやニジマスが見られるのだが、夜はさすがに無理だ。
代わりに情趣を添えたのはロウソクの明かりだ。池の周囲に置かれた燈火を会場から見たらきれいだったろうな。
祭り準備で毎夜詰める区民館には打ち合わせで他区が来訪した。
打ち合わせを終えて歓談中。
夜更けて帰宅すると月は西に傾いていた。
満月までもう少しだ。
富士山とふるさと富士宮市の風景、祭り・催し、自然、生き物などをSNSなどネットに発信し、多くの写真で紹介しています。
10月8日に「美しい日本の遊び-水辺のつきを愛でる空きの川床」と銘打って、浅間大社参集所で川床という催しが行われた。
湧玉池の畔に建つこの建物の窓辺からは、清透な水に遊ぶアヒルやニジマスが見られるのだが、夜はさすがに無理だ。
代わりに情趣を添えたのはロウソクの明かりだ。池の周囲に置かれた燈火を会場から見たらきれいだったろうな。
祭り準備で毎夜詰める区民館には打ち合わせで他区が来訪した。
打ち合わせを終えて歓談中。
夜更けて帰宅すると月は西に傾いていた。
満月までもう少しだ。
富士山の伏流水が湧き出る湧玉池は特別天然記念物に指定されている。
真夏でも水温は13℃と澄んだ清冽な水が流れ出し、一級河川神田川となり町中を流れ下る。
この流れにはニジマスが放たれ、3月初めの日曜日から秋まで虹鱒釣りが楽しめる。
釣り人が一人いれば見物人が集まり、釣り談義に花が咲く。
今年は夏の多雨と台風のために湧水量が多く、川の水もいつになくたっぷりしている。
神田川の起点となる神幸橋だ。通称は石橋と呼ばれる。
特別天然記念物の石の標柱も湧玉池が溢れ水浸しだ。
湧玉池には上池、下池二つの池があり、これは上池すぐ下に集まったニジマスだ。
9月初めには上池の流れ出しには堰板がはまっていた。
湧水量が増えた事で、今まで上池と下池を隔てていたこの堰板が外された。
上池は以前清掃された時に魚を下池に追い出して?終わってからもアブラハヤしかいなかったのだが、堰が外れ水量が多い事もありニジマスが遡上したものらしい。
下池でも時折産卵行動が見られたが、この湧水量が続けば上池での産卵行動も見られるかも知れない。
梅雨明けというと思い出すのは3年前のこと。
梅雨が明けたというその日に浅間大社境内を歩いたとき、湧玉池のほとりで涼んでいた人たちが口々に話してくれた。
白い蛇が湧玉池を泳いで横切り、森に消えていったというのだ。
梅雨明けの陽光きらめく湧玉池だ。
この水面を白い蛇が泳いで渡ったという。
それは幻想的な光景だったろう。
それで白い蛇のことを、浅間大社の神主さんに聞いてみた。
白い蛇そのものの情報は得られなかった物の、参集所前の島などで大きな蛇の抜け殻を見ることはよくあるとのこと。
そして翌年のこと。
浅間大社青年会の、創立35周年記念式典が参集所で行われたときだ。
式典を終え記念講演に移る際に会場設営のため小休止があったので、窓から湧玉池を見ていたら蛇が池を泳いでいるのを発見した。悠々と池を泳いで北側の森に消えて いった。
対岸寄りで逆行気味。蛇行し波を立てて泳ぐのは遠目にも見えたが、白蛇かどうかまでは判らなかった。
懇親会などで話をしてみたら、白蛇の目撃談を聞くことができた。
7-8年前の青年会総会の日に湧玉池の石垣で白蛇を見たのだそうだ。
それから池に来るたびに白蛇はいないかと探すようになった。
ある日子供達が蛇を見つけ騒いでいたので駆けつけると、すでに石積みの隙間に逃げ込んだ後だった。
後日覗いたら顔を出していたので、そっと近寄って 撮影した。
アオダイショウだろうか、残念ながら白蛇ではなかった。
とはいえ、池に接する森は広大で何か居てもおかしくはない。
いつの日か白蛇に出会う日があるかもしれない。
そんな日を楽しみに待っている。
参考
紀元杉から少し戻り、ヤクスギランドを見学。
正直言って、場末の遊園地じゃあるまいにこのヤクスギランドという名前は何かそぐわない。
名前を聞くだけで、あまり期待はできないんじゃないかと思った。
しかし歩道や手すり、説明を聞くところにはぬかるみ対策だろうか石版が埋め込まれ整備されている。こう言ったものを見るとむやみに人が自然に立ち入らぬような気遣いも感じられ、名前から受けるがっかり感を少し見直した。
入り口にいたヤクシカだ。ここまで上ってくる途中でも何匹か遭遇していたが、人慣れしているのか落ち着いた物だ。ガイドさんが言うには人の数ほどヤクシカもいるのだそうだ。
昔の屋久杉伐採跡
当時は大きな材木として伐られたようで、用材に適する根本を除いた少し高い部分で伐られている。伐った屋久杉は屋根材用に板に挽き、人が背負っておろしたという。
巨木の大きさを活かすのではなく、小材をたくさん得るために伐られたと言うのは少し悲しいが、運び出すことも難しい険しい山奥だ。無理もないか。
300年ほどの時を経て、切り株には新たな種が根付き成長している。
花崗岩に覆われた山肌では養分に乏しく、倒木や切り株は豊富な養分を持つ格好の培養地だ。倒木から新たな木が育つことを倒木更新、切り株から育つことを切株更新と呼んでいる。
双子杉
切株の上に2本の杉が切株更新で育った物。異なる樹種も絡みつくように共生しており、数百年も経てば狭い切株の上で融合するのではないだろうか。
くぐり杉
元々2本の木だったが、右側の木が倒れかかり左側の木と上部で合体している。
木漏れ日の中を進む。
雨なら雨具をまとっての見学らしいが、蒸しもせず風が心地よく天気には本当に恵まれていた。
倒木や切株といった朽ち木を豊かな土壌としての輪廻転生、そして融合。
悠久の時と自然に対する畏怖の念が屋久杉を守ってきたのだろう。
1993(平成5)年に世界自然遺産に登録された。
見学コースを抜けた道路際の朽ち木の中に芽生えを見つけた。
どこに生じたにしても、育つ枯れるは運の善し悪し。
人の手によって寿命が縮められぬよう祈りたい。
有るがままであれ。
下山するバスの窓からヤクザルの親子を見た。
案外人慣れしているのか道路際にいたが、際を乗用車が通り抜けるとさすがに危険を感じたかその後山側に後ずさった。
宮之浦港から船で指宿に戻る。
山頂部の雲はまた増えたようで、好天の元で見学できたのは本当に幸いだった。
来るときには高速船で1時間15分だったのが、帰りは2時間10分かかる。
理由は直行ではないからで、指宿から来た船は種子島に立ち寄った後に指宿に戻るからだった。
今度機会があればじっくりと時間をかけて歩いてみたい。
ウィルソン株や縄文杉など、まだまだ見たい物があるからだ。
自然を壊すのも人なら、守るのも人。
次の訪問は20年後の結婚50周年かな。
どうぞそのまま変わらずにいてください。
参考
屋久島ツアーの2日目は日帰りで屋久島を周遊する。
ウイルソン株や縄文杉と言った屋久杉を見るには、山道を何時間も歩かなければならず、日帰りは難しい。
日帰りの制約の中でバスで移動して名勝や屋久杉を見るには、行動範囲が限られてしまう。
正直言って、それほどの期待はしていなかった。
指宿港だ。対岸左の建物が宿舎の指宿シーサイドホテル。
宮之浦港に着いた。船は乗ってきたtoppy号。
山に雲はかかるが、日射しはまぶしい。
千尋(せんぴろ)の滝。大いなる岩盤を穿ち流れる川と滝も見事だが、迫る一枚岩の山肌が実に雄大だ。岩肌に昨日の雨の名残がしたたり流れている。
大きな岩も、少しずつ剥がれるのだろうか。
別の展望台に移ったとき、にわか雨に襲われた。
岩肌が雨に濡れ、光る。
屋久杉を見に行く前に昼食休憩。
日射しはまばゆく輝く夏の空だ。
紀元杉まではバスで行ける。
道の脇の上部が枯れた大木が紀元杉だ。
根元を一回りする歩道がつけられている。
枯れた杉に着生した他の植物も見える。
枯れて倒れた木や切り株、その上に芽生えた様々な樹種が屋久杉の謎を解く鍵になるとか。
本日富士宮市文化財保護審議会が開かれ、冒頭、芝川町が合併したことにより、新たな委員2名が委嘱を受けた。
平成21年度事業報告と平成22年度の事業計画に続き、議題となったのは「旧芝川町指定文化財の調査について」だった。
芝川町時代の文化財の内、国や県指定のものは指定母体がそのままなので継続するが、旧芝川町指定のものは指定母体が合併により消滅したので、現在宙に浮いた形。
文化財としてのの指定基準がそれぞれ違ったということから、そのまま富士宮市文化財にすればいいと言うものではないらしい。
20件の文化財を富士宮市の文化財として指定するためにこれから調査を行い、24年頃には富士宮市文化財としての指定を決定するという。
旧芝川町指定の本門寺のイヌマキ。推定樹齢は350年という。
平成21年秋撮影