月曜夜の火事の事は全国ニュースで流れたらしい。たしかに滅多にない大きな火災だった。
消防団を退団して8年になるが、隣接地域で火災発生との広報を聴いては、そのあたりには知り合いも多いのでじっとしては居られない。
現場を確かめるべく駆けつけた。
カメラをと思い玄関まで持って出たが、思い直して持たずに出かけた。
報道でもないのに被災者が居る現場で、たとえ神経を使いながらとは言えシャッターを切る事に抵抗があったからだ。
隣接家屋を巻き込んで鎮火は深夜。管轄分団は朝4時まで現場に張り付いていたそうだ。絡まりながら延長されたホースの数も多く、こっちなら写真を撮っても気が咎めることはなかったろうな。
月曜の昼間、国文祭の展示用資料をチェックしていて、昭和9年大火の復興祭の記念写真を見ていた。
昭和7年の大宮大火で神田川以東の広範な地域が焼き尽くされ、その惨状を私の祖父が撮影したものが絵はがきになって残っている。
木造家屋はあらかた焼け落ちている。
惨状とはいえ、誰かが後世に伝えなければならない。
写真に携わる物の使命としてこれを撮った物なのだろう。
やはり貴重な記録だ。
撮る撮らないはともかく、カメラはやはり持ち歩くべきかな。